創価学会の信仰に功徳はあるか?

コメントする人は「01.創価学会の信仰に功徳はあるか?を書く前に」を読んでね。

115.周りや相手が見えない、自分しか見えていない、創価の人

2006年07月07日 18時37分03秒 | 創価学会
 先日メールでとあるブログのコメントを教えて頂きました。
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 女性学会員と挙式予定の(一般の?)人のようです。式場とかも決めて準備していたところ、彼女から
「結婚式当日の夜に青年部の教学試験があるので受けたい」
などと言われたそうです。
 結婚式を終えた直後に教学試験を受けに行くのは創価からすると信心があるという事になります。日程を連絡して試験を受けさせようとする幹部も受ける本人もどうかしていますね。
 試験当日に結婚式があるかどうかを彼女さんが幹部に伝えたかは不明ですが、少なくとも彼氏には試験を優先したいと言ったみたいです。普通は2次会ですよね。
 その彼氏さんは「結婚式夜に試験を受けるなら、別の日に式を延期したい。」と伝えたみたいです。結局、女性学会員さんの母親が、たしなめてくれたようで、
「お母さんだって、そんなこと言われたら怒るわよ。あなたは逆にそんな事を言われても怒らないの?」と聞かれたそうですが、それでもあまり悪くは思わなかったらしいです。(笑)

 ご本人さんから詳細な後日談です。追記させて頂きます。

 彼女さんが教学試験を受けたかったのは、前回の教学試験で事情があって勉強に打ち込む時間が少なく落ちてしまったと思い、それを悔やんでいたそうです。そのことを知っていた女子部の人が、結婚式当日と知りながらも受験を勧めたようです。翌日に彼女さんから電話があり、謝ってくれて、
「教学試験を受けたい気持ちが強かったからあんなことを言ってしまったけど、考えが間違っていた。試験は諦めて2次会もするようにしたい。」とのことです。

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 もうなんていうか異常です。彼氏さんの後ろには人が大勢いることがわからないのでしょうね。。。元学会員の私でさえ、理解出来ません。ドン引きします。学会員だった頃なら私もきっと「すごいですね。信心ありますね」なんて肯定していたかも知れませんけど。w

 でも良かったですね。追記した文章を読めばお母さんに言われて渋々、でなくおかしな気持ちの強さがあったことを認め、ごめんなさい、もしています。既に一つMCが解けている、あるいは気が付いていると思います。良かったですね。>彼氏さん。 やはり夫婦恋人ですから、こういう時はきちんと話すか、場合によっては喧嘩や言いあいをするしかないですね。

 自分とパートナーの現実的な幸せが大事でもなく、友人達と幸せを分け合うでもなく自分の事が大事なわけです。

 ある地方の文化祭で創価班のつながりで庶務をしていた時に、結婚するカップルがいました。文化祭の日程は私は知っていましたが、当然極秘です。池田氏の来訪だけが未定でした。(池田氏はその文化祭には来なかったのですが。)池田氏を守る、という観点から日程は極秘なのです。私より上の幹部に何時ならOKか?という問い合わせをしていましたが、結局は極秘のままでそのカップルには教えられなかったと思います。当時は私も仕方ないと思ってました。

 人の幸不幸よりも日程優先、組織優先、奴隷のように言う事を聞くのが優先、これが学会です。本末転倒ですね。
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 「私は夫を昨年事故で亡くした。なので、年賀状のやりとりをしていた人に喪中はがきを送った。すると同じ会社に勤めていた先輩が急に『大丈夫?家に行きたい』と言ってきた。」

 「その先輩は選挙になると電話をかけてきて、投票を依頼してくる友人だった。投票ぐらいなら、とOKしてきたが、それほど親しい仲でもなかったので今回の訪問は断った。でも強引に押し切られ、結局友人は家に来ることになってしまった。玄関を開けると何と友人と一緒に知らないおばさんがいた。友人は『ごめんね、近所の人なの。一緒についてきちゃった。子供の面倒みてもらえるし』とおばさんを紹介した。」

 「おかしいなと思いながらも、仕方なく家にあげるとそのおばさんは『私の親戚も事故にあったけどこれを信じていたから助かったのよ』と、ある宗教の勧誘を始めた。『いいビデオがあるから見ましょうよ。ビデオデッキこれかしら?』幸い録画中だったのでビデオを見ることは阻止できた。が、それからもひたすらおばさんはずっと『信じていると・・・』と宗教の話をし、先輩はニコニコして横でうなずいている。」

 「子どもがぐずりだしたのでやっと帰ることになったが『今日はゆっくり話せなかったからこれ読んで』と新聞の切抜きを渡された。結局夫を亡くした私を心配して来てくれたのではなく、夫を亡くしたから入会しやすいのでは、とカモにされたのだ、とわかり悔しかった。」

 「しかもその後『先日の新聞を購読してほしい。1ヶ月読んでみて。お金は私が払うから』という電話があり、きっぱり断ったのだがその後もしつこく勧誘され、本当に腹が立つ!」
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 こういう体験もあります。こすとこさんの書き込みであってご本人の書き込みではないようなのですが、メールでログを頂いています。転載は出来ませんでしたがわかりやすいように こすとこさん の文を元に書き直しています。 こすとこさん の文章の転載許可は頂いています。 もし万一、ご本人がご覧になりましたら、ハンドル名は転載しませんので、本文と日時の転載許可と出来ればもっと詳しいセリフなど教えて下さい。

 創価に関わった事のある人なら、あるいは活動家なら身に覚えのある人がいるのでは??
 この人の場合もホントに未亡人さんを心配しているようには思えませんね。『私の親戚も事故にあったけどこれを信じていたから助かったのよ』よくこんな事が言えますね。「もう取り返しが付かないのに。しかも他人に。」直接の友人とか内部の人ならともかくね。。。。。親戚なんてホントか嘘か分かりませんし、創価であってもなくても交通事故で助かる人はたくさんいます。

 どうしても不幸な人を勧誘したり、放っておかないのが一般の宗教ですが、上記の言い方だけでははっきり言ってどうにもならないでしょう。アンチと創価の接点である「幸せになるから。」という結論しか言ってないでしょう。「新聞とって」「この信心は、学会は、先生は、凄い」とかね。。。 そもそも相手に怒りを覚えさせるというのは、完全に説明不足や方法を間違えています。nanaを連想させます。そ、つまり創価でも分かる人には分かると思いますが、仏法対話にも折伏にもなっていないのですよ。

 不幸な人をつかまえてチャンスと思うのは勝手ですが、結論や成果を急ぎすぎです。私の退転の時と同じで、病気が治った人を連れてくるならともかく、同じ病気で苦しんでいる人を連れてこられてもね。。。。普通は未亡人を連れてくるのが当然だし、いきなりつれてくるのも駄目でしょう。

こういった一般的な感覚が全く欠如しているのが創価ですね。

 私も家庭訪問はいつもアポ無しでした。理由は「同志だから。」という暗黙の了解です。学会員の結果オーライ主義、前向き主義、脳天気主義(池田氏の?)の賜です。50年60年前の戦後、東京下町の醤油を買いに行くのではなくちょっと借りる、というノリのまま今でも内部でも外部でも家庭訪問しているって事ですね。

こんな事をしていた自分が嫌になります。

●ではどうしてこんな相手の事を考えない折伏をするのでしょうか?
しつこい理由は16,17にも書いてきましたが、
学会の人はどうしてしつこいのか?その2
>そして折伏の際に、自分の事、自分の幸せしか考えない人もいます。
 実を言うとブログに何度も書いてきましたが「相手の悩み事を聞き出すのが折伏なのです。」この辺は詳しく書くと敵である創価に塩を送るのでもう書きません。色々前提条件や方法があります。私はいつも悩み事を聞き出せるように、実際に質問していましたが、最初から出来ていた訳ではありません。最初は上記の通り、迷惑な折伏をしていました。もちろん上記のアレは聞き出せてはいませんよ?夫が亡くなったというどうにもならない事を偶々喪中はがきで知っただけです。前提条件や方法も全くクリアしていません。

 私も実際どんな気持ちで折伏していたか?学会活動していたか?というと、例えば簡単に書くと「悩み事は?」と聞いても宗教者に、創価の人に、言うわけありません。勧誘されるのが分かってますからね。(笑)なので、なかなか折伏出来ませんでしたから学会活動を頑張ってしまうわけです。

1-21に書いたとおり、自分の悩み事を簡単に打ち明けてはいけませんよ?余程信用があるかその後のサポートまでする人かどうか気を付けて下さい。

 折伏や学会活動の時の私の気持ちの原動力としては自分の悩み事が大きいです。折伏や学会活動で自分の悩み事が解決できることを期待しているのです。「この学会活動で、折伏できっと功徳がある。祈りが叶う」ってね。内部の家庭訪問にしても仏法を理解して貰って学会活動をして幸福になって貰う、という気持ちはあります。実際に祈るわけですから。ですが、反面では自分の宿命転換や功徳も期待しています。どちらに重きが置かれるかは時と場合によりけりで微妙ですね。

ホントに会員さんを心配した事もありますが、自分の功徳を期待して「頑張ろう」と思った事も多々あります。上記の例は自分の事、自分のノルマしか考えていないわけです。

真面目な、一生懸命な、人の為な、学会員???
>ここで書いたとおり、仏法対話や折伏する事によって自分の宿命転換が出来る。祈りが叶う。相手にとっても信心を反発しても来世では信心する。というものですから、話せば話すだけ自分にもお互いにも功徳があるという宗教です。

●組織自体が健康食品の口コミ販売と同じで”成功例だけ”を持ち出す。
 相手の気持ちを考える事が出来ない場合は上記のような折伏になってしまうんでしょうね。また、会合で家庭訪問や折伏の成功例を聞いているのが良くないです。「自分でも出来る。」「押しの一手で行くんだ!」プラシーボ効果も加わり強気になり、また失敗を繰り返すわけです。(笑)成功例も必要ですが、創価に限らずどんな組織でも失敗例も学ぶべきなんでしょうね。きっと。

 男子部の中で部長や本部長がその辺をサポートしてくれると良いのですが、失敗例の具体的な検証や考察などのサポートは一切、学会にはありません。
 一応状況に応じてはいますが、常に「相手の身になれ!相手の気持ちを考えろ!相手の為に祈れ!」という精神的結論しかありません。折伏初心者にとっては命令的結論になります。折伏の玄人になると自分で自然と出来るようになります。それでも部長、本部長が頑張って祈っても男子部の未活動家は9割です。(笑)退転する時に本部長に「祈りが叶うというならば、未活動家を全員活動家に出来ますか?」ときいたら「そんな事は出来ない」って言われました。今までは何だったんだ?と思いましたね。最近の記事に書きましたが、皆さん手前勝手に自分の都合の良い様にそれぐらいにしか信じていないわけです。

 私のブログは創価での誠実やサポート、人として?誰の為?どうあるべきか?という事をたくさん書いています。過去のブログ記事にも再三書いてきましたが、本記事はまたもや「誰の為?人の為?」ということです。
 だからnanaにもメールでホントに「自分の為”だけ”」ではありませんか?と「そこまでわざわざ」書いてメールしたのです。tabu○も自分の事しか考えていないわけです。また、ここに罵倒のコメントを残した人も多かれ少なかれそうでしょう。

キリスト教の愛の精神や仏法で言う慈悲は創価にはありません。特に最近の創価はお守り御本尊に拘り、数、ノルマ信仰です。お守り本尊を簡単に与えてしまうので折伏や説明がごっそり抜けてしまいます。

私のしあわせ日記 なんだかな~
2006/07/07 11:42
ここのこすとこさんのコメントは私と同様ですね。

こすとこさんは折伏は善の行為だ、と悩んでいますが、視点がちょっと違うだけです。

 あえて創価よりの擁護を一つだけ書いておくと、のべ100人折伏して、一人入信したとするとその一人しか救えていないし、上手くいったケースだけを見ているか、強調するから創価は「折伏は人の為になっている、幸せになっている」なんていうんです。錯覚です。実際に折伏してみればわかりますが、20人30人に話してやっと一人か二人きちんと最後まで話を聞いて貰えて仏法対話出来るんです。(話を聞いてくれる人はなかなかいないので少しでも話を聞くと、とてもしつこく付きまとわれます。)99人や19人や29人を不幸にしてるか迷惑をかけているのです。もちろんそうでない折伏も出来ると思いますけどね。(75万世帯以後、時間を一週間に一人、100%の確率で入信する人がいれば昭和30年代に日本人全員が入信して折伏は終わります。)選挙だってFやZは自分が報告した数と同じだけ取れていないでしょう?創価の組織に上がってくる数字は過大な報告ばかります。幹部なら知っています。ありゃ、擁護になってないな。(笑)

周りや相手の見えない、自分しか見えていない、創価学会員の体験談、どうぞ↓

以上。

'06.07.09 青文字追記
コメント (17)
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