創価学会の信仰に功徳はあるか?

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故・渡辺慈済氏の大経寺は日蓮正宗に復帰

2017年05月20日 00時47分56秒 | 創価学会
●創価学会の日蓮正宗を批判するビデオ

 闇は去り、太陽は昇った ~平成の宗教改革~ 第2部

故・渡辺慈済氏は学会版パクリ本の出来を知っていたと思えません。

●故・渡辺慈済氏の神奈川県平塚市大経寺は日蓮正宗に復帰

日蓮正宗改革同盟のサイト
日蓮正宗問題研究:ニュース‐宗門が「寺院明け渡し」裁判で全面敗訴
これが二〇〇四年頃。

ところが、二〇一〇年に神奈川県平塚市大経寺は日蓮正宗に復帰しています。

創価学会が裁判で勝ったはずなのに岩手県釜石市常説寺と神奈川県平塚市大経寺はなぜ日蓮正宗に復帰してしまったのでしょうか? - Yahoo!知恵袋

大経寺

こうした事例を見ると、日顕本尊から日寛本尊へ取り替えなど、誘われても二〇年は様子を見たほうがいいでしょう。

●日寛本尊取り換えはやはり法律上のリスク回避か?

 大経寺の裁判結果は最初からというよりも、日顕本尊から日寛本尊へ取り替え時から法的なリスクがあるのは学会側は知っていたのではないでしょうか?

 過去記事に何度か書いてきたのですが、本尊取り換えはやはり法律上のリスク回避だったのではないでしょうか?
創価学会は何度も裁判しており、裁判対策する弁護士は優秀だと思います。
人道的か良心的かは別です。(仏道どころじゃない。。。)

日蓮正宗本尊の所有権と信仰心の問題です。私が日寛本尊に取り替えず、日顕本尊を持っていたとします。
なおかつ、私が昔教えられたとおり「私は日蓮正宗創価学会の信者です。大御本尊を信じます。」と言っていたら、法律上かなり微妙な問題だったのではないでしょうか?
要は二つの宗教法人に所属することは法律上問題がありません。
どちらか片方だけを選択しても良いのですが、元々、私は二つに所属し登山もしていたわけです。
形式上、私の師匠は日顕だったはずですが、他の人から日蓮教学を学んでも問題ありません。
厳密には師弟の師はお坊さん、弟は信徒。信徒同士で弟子というのは、日蓮遺文から読み取った覚えはありません。また、伝統的ではありません。信徒同士の師弟不二は威張ったり誇ったりするものではありません。

日顕本尊を持っている人がいたら、「私は日蓮正宗創価学会の信者です。大御本尊を信じます。」と言ってみては如何ですか?
今後、徐々に「そうだそうだ」と言い改める正宗の僧俗が増えるかもしれませんよ。

当時、池田大作は問題発言していますし、池田大作、秋谷会長など学会トップは正宗に対して正宗教義を否定する文書に署名して提出していますからクビにされても仕方ないのかもしれません。
学会トップだけをクビにすれば違ったのかもしれませんが、末端会員が毎日活動していたのは学会組織においてです。
'90年代はネットは普及していなかったので、末端会員は「幸せになりたいし、人を幸せにしたい。折伏したい。大御本尊も御本尊も正しい」くらいしかリアルで言いません。
正宗が一方的に全員クビにしたので宗教的に真面目な人たちは行かなかったか行けなかった一面があるのかもしれません。

●創価学会の日寛本尊改ざんは腹黒くないか?

 御書全集も編年体も酷い出来です。学会批判は過去記事にたくさん書いてきましたが、創価学会本部は、会員や社会をバカにしていると感じる時が多々あります。
調べる奴はいないだろう、調べてもわからないだろう、バレないだろう、という末端会員をバカにする態度です。
日寛本尊を改ざんしても多くの学会員が受け取って納得してしまっているので、御書でも御本尊でもコピーして少し変更しても付いてくると学会本部トップは思っているのではないでしょうか?

もしかすると、改ざんされた日寛本尊をみて日蓮正宗側が「謗法だ!」と言うことすら、計算の内だったのかもしれません。
第二次宗門問題が起きた時、動揺していたのは末端だけで、「トップの一部」は自分たちの幸福(お金)だけは確保し、正宗から切られることを覚悟完了していた、そんな気がしてなりません。

●師匠が地獄に堕ちたら地獄にまでついていく

 覚悟完了を裏付けるのが次の学会指導です。

「師匠が地獄に堕ちたら、地獄にまでついていくのが弟子だ。何があっても池田先生について行け。これが弟子の道だ。」
男子部幹部や創価班幹部からこんなことを頻繁に言われました。幹部自身が「俺についてこい」と言わず、あの人について行けというのが擬似宗教なのでしょう。
池田大作は藤原行正にも同じ様に「ぼくと一緒にやろう」って言ってますね。

日達氏「仏教では『恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なり』と法華経に説いております。今までかわいがられた、あるいは育てられたという恩を捨てて、真実の法を求めてこそ自分の父なり師匠なりを導くことになるということであります。
 よく学会の人が間違ったことを言いますね。『師匠が地獄へ行ったら自分も地獄に行っても良い』という考えは大変な間違いであります。よく考えなければいけません。そのような考えは、人を信じて法を信じないということであります。もしも師匠が地獄へ落ちたならば、自分が本当の信心によって救ってやろうということこそ師匠に対する報恩であります。それを間違ってはいけないのでございます。それでこそ『無為』すなわち真実の道に入る者であり、真実に恩を報ずる者であると仏様が定められておるのであります」
(福岡県妙流寺 昭和五四年七月一七日)

日蓮遺文に幾つも「死んだ親族のために貴方自身がしっかりと法華経信仰をしなさい。親族と貴方の成仏は間違いない」(主旨)とありますね。この件は日達氏のほうが正しいです。

 学会指導と誓願は依法不依人の原則から外れますし、そもそも正宗や学会の題目を唱えて死んだ人は成仏のはずです。心理学を持ち出すまでもなく「池田大作自身が地獄へ行くと考えていたからこその発想と指導」でしょう。成仏に疑いない人や教団が地獄に堕ちる仮定をすること自体が、信心が足りない証拠でしょう。誓願の方向が明後日過ぎます。

●日蓮正宗の数々の失敗

 渡辺慈済氏と大経寺の例を見れば、本尊やお寺は正宗の所有物でも信仰のあり方や心の問題は強制できない判例なのかもしれません。
正宗僧侶が世間知らず、人の心知らずで破門した為に、創価のオバちゃんオジちゃんは余計に付いてこない結果になっています。

(A)正宗は学会トップを破門しても、末端だけは破門しないほうが心を揺さぶれたでしょう。現代の日本仏教的には、僧侶が信徒を破門にしたら非仏教なので責任とって辞職すべきだった。もしかしたら、信徒の大量破門は日蓮正宗だけかもしれません。
(B)日寛本尊の改ざんについて、問題だ、禁止だと言っても謗法だと言わないほうが良かった。
(C)創価学会の日寛本尊が配布された時に、正宗は学会トップを説得できなかった謝罪として、5000円〜10000円で特別に本尊を手書きで書写して下付すべきだった。要はどちらがサービス精神、慈悲や親切、対価があるかという問題です。
(D)僧侶が自分でも折伏や新入会員の勤行などの指導して、創価学会員の布教の苦労を知るべきだった。
(E)折伏は僧侶の仕事です。僧侶の仕事は信徒を増やす事です。日蓮正宗の信徒数が大きく減った段階で、正宗側が日顕を退座させるべきだった。
(F)末端の法華講員に様々に「謗法だ!」等と言わせて末端同士を争わせた。末端同士を和解させるのが僧侶の仕事。

●まとめ

 日顕本尊から日寛本尊へ取り替えについても、私も十年は様子を見るべきでしたね。
私自身も日蓮正宗創価学会の入信は馬鹿なことをしたなと思っています。
そもそも最初から日蓮正宗にも創価学会にも入信しないほうが良かったです。

もし今、日蓮宗と日蓮正宗の二つの内、一つしか入信できないのであれば、日蓮宗を選ぶと思います。
私は若い時に周囲の反対を押し切って日蓮正宗創価学会に入信しました。
JSCPR系などの日蓮宗に入信していたら、周りに迷惑もかけず、友人も無くさずに今でも日蓮宗信徒でいることが出来たでしょう。

以上

PS
創価学会(日蓮世界宗創価学会)は選択肢にも入りません。

'170521
幾つか修正。

日蓮正宗本尊の所有権の問題です。

日蓮正宗本尊の所有権と信仰心の問題です。
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