創価学会の信仰に功徳はあるか?

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【日記】しばらく前に久々に法華経で思考停止した。(笑)

2015年07月05日 23時11分43秒 | 創価学会
 しばらく前に久々に思考停止した。(笑)

今まで思考停止って仏教学関係でほとんどなかったけど、学会員時代のマイナスな何かが残っているのかもしれない。理由は定かでないが停止した。ww 
親子関係に関わるいくつかのテーマで、2度3度思考停止はあったのですけどね。
わからないとか理解できないとはやっぱり違う思考停止。

人間に驚いても仏教学で驚きたくない私にとって、経典内容そのものには驚かなかったからきりぎりセーフかな。ヽ(^o^;)ノ
単なる一経典というだけでなく仏教文化や人間育成という観点から、歴史や経典を学ぶと日蓮さんを含め昔の人は偉かったと思うことが数年前から多くなり、約2年ほど前からは確実に多くなっている。

そんな私にとって今学んでいる多くの仏教学や心理学、人付き合いはプラスになっていて、過去の何か、、、、たぶんマイナスになっているのは創価班か何かの指導会での服従や絶対を強いる教えだと思う。
記憶にはないが、おそらく学会員時代に熱を入れた経典部分であって、学会教学や学会精神が混じっている可能性は高いと思う。あるいは、経典部分をなんとなく非カルト的に理解出来ていたのに、全く無視して学会活動で歪んだ学会精神やカルト的な認識のもとに無理に学会的に理解しようとしていた可能性がある。
度々書いているように「言っていることとやっていることが違う」不健全な状態と同じで「考えていることとやっていることが違う」と言えばいいのだろうか。


体験ではなく一般論だが、+とマイナスのギャップの中に当人にとって 大事なもの、真剣なもの、真剣に取り組んだもの、真面目でありたい、望んでいたもの、傷つきたくない、大事な人間関係、等々であることが多い。
それぞれの項目が、過去か今のどちらの何にあてはまるかは、人による。。。と思う。
過去にプラスマイナスあれば、今にもプラスマイナスあるだろう。

というのも私の場合、過去に親子関係で思考停止しても、(乗り越えたかどうか、変えることが出来たか?とは違い)思考停止はマイナスにはならず対処ができている。
親はもう変わりようがない。

今日も同じ法華経某〇〇品の一節がテーマで思考停止はしなかったものの、やはりチンプンカンプン。w
彼の解説には、ほぼ嘘(?)(笑)があると思うし(わざとそう言っている?)、ごまかしやいい加減が混じっていて、なんとなくからかわれているようにもにも感じるが、いつものことだし仕方ないか。(笑)
法華経だけでなく、様々なことに学会員時代の現代的な信じるとか信仰とは程遠い認識が今の自分にはある。とはいえ彼とは頭の出来が違うのだし、分かっても分からなくてもどちらもでも、まぁいいか。

思考停止した法華経某〇〇品の一節、自分にとっては原始仏教と合わせてちょっとしたテーマになるのかもしれない。

学会員時代、分かったつもりで行動していたので、出来れば何時の日か行動した後に理解に気がつけばいいとおもうけど、どうなることやら。お気楽が一番かな。

以上。
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