2018年4月5日 00:21頃 注書きを追記。
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ある方からご指摘頂き、新たに判明したことがあります。2,3の奥深く面白いテーマがあるのでブログ本文では追記、修正の更新せずこのままとします。本記事の引用転載を禁止はしません。01番記事に書いたルール通り、誰かが引用転載して問題や誤ちがあっても私は一切責任を取りません。
創価や正宗の勤行形式が意味不明である主旨は変わりがありません。
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●禮仏偈、奉請、奉送について
禮仏偈、奉請、奉送についてはネタの宝庫だと感じて色々書けると思い時々調べていました。
実はこの3つだけでも調べれば調べるほど奥が深そうです。
1.調べれば調べるほど、古来から存在している儀礼。
2.日蓮宗だけでなく鎌倉時代など日本仏教の各宗派に存在している儀礼。中国仏教に遡ることが可能な儀礼。
と言えそうだと考えています。
仏像や本尊を最重要視しない(重視するが1番ではないという意味)日本の禅宗でも仏に対し禮仏偈(讃仏偈)を唱え、仏法僧の三宝を敬います。
●日蓮宗聖典の勤行法式に記載される「運想」
例えば「運想」は荊溪湛然(けいけいたんねん)が著した「法華三昧行事運想補助儀」にまで遡れることが分かっています。
湛然さんは妙楽大師と称され、天台宗の第六祖です。日蓮遺文にも数多く出てきます。
なお、中国天台宗の修行は天台禅、座禅です。法華禅、禅法華だったわけですね。
現代人から見て、湛然さんがどの程度、禅宗の正統派だったのかは勉強不足で今の私には分かりません。
荊溪湛然が著した「法華三昧行事運想補助儀」には、佛に請い願う儀礼があり次のように重要なキーワードが出てきます。
請佛、次請佛菩薩、五歎佛、六禮佛、多寶佛、分身、東方諸佛、三世諸佛、舍利形像等、妙法、諸菩薩、舍利弗等、普賢菩薩
「法華三昧行事運想補助儀」の六禮佛には次の一節があります。
我此道場如帝珠。釋迦牟尼影現中。我身影現如來前。頭面接足歸命禮。
日蓮宗聖典の禮仏偈を見ると、
我此道場如帝珠 十方三寶影現中 我身影現三寶前 頭面接足歸命禮
と書かれており酷似しています。
禮仏偈は日蓮宗聖典で一番最初に出てくる勤行法式です。
私は漢文がすらすら読めないのですが、六禮佛は禮佛(礼仏)の形式の一つ、あるいは日本仏教の禮仏偈の原型と見て、まず間違いないでしょう。
請佛、次請佛菩薩はおそらく奉請に近い内容でしょう。「法華三昧行事運想補助儀」冒頭には入道場観らしい記述も見受けられます。
なお「法華三昧行事運想補助儀」は大正新脩大藏經に掲載されています。
●「運想」は中国仏教の天台宗の湛然さんと日本仏教の道元さんの時代から今に伝わっています。
繰り返しますが、目に見える仏像や本尊を最重要視しない日本の禅宗や中国天台禅でも、目に見えない仏に対し禮仏偈(讃仏偈)を唱え勧請を行い、仏法僧の三宝を敬います。
湛然の「法華三昧行事運想補助儀」を「道元さんと師匠である如浄禅師」は知っていた事実が分かっています。
なにせ、道元さんの有名で素晴らしい正法眼蔵に記載されているので本記事のへ非難、誹謗中傷は諦めましょう。
☆☆「鎌倉時代の道元さんと師匠である如浄さんから、現代の曹洞宗の僧俗の皆さんに至るまで、素晴らしい儀礼を維持している事がわかると思います。」☆☆ 正法眼蔵を学べば、わかるのですが。
なお「法華三昧行事運想補助儀」の一節については、日本天台の円仁も知っていた様です。
証拠となる文献を私は未調査ですが、もう、その必要もないでしょう。
讃仏偈が浄土宗にもある点についても、もう書く必要もありませんね。
真言密教になると真言宗信徒向け勤行はすぐ解るのですが、お坊さん向けの勤行は数多く複雑になっているようです。
お坊さんと信徒さんで古来から教え(勤行など)の領分が異なる点も間接的に証明できていると思います。
●日蓮宗聖典に記載される「運想」や「禮仏偈」などが日蓮由来かどうか?
日蓮宗聖典に記載される「運想」や「禮仏偈」などが日蓮さん由来かどうかは全く分かっていません。
鎌倉時代からなのか、江戸時代からなのか、近代からなのかは興味があります。
”我身影現xx前”の「影現」というキーワードは日蓮遺文から見つかるのですが、六禮佛や日蓮宗聖典の禮仏偈らしい一節は昭和定本からまだ見つからないのです。
弟子、孫弟子まで調べる必要があると思いますが、膨大な文献が必要なのと私の年齢や健康上、時間はなく出来ないと思います。
仮に、「運想」や「禮仏偈」などが遅れて近代に日蓮宗に輸入されたとしても、江戸末期、明治初期の日蓮宗のお坊さんが勉強家だったことが分かります。
●まとめ
というわけで、最近の記事と本記事はもっと調べてから書きたかったのですが、ツイッターで勤行や世雄偈が話題になったのでタイミング的に良いと思い書いています。
私の場合こうして記事を書くと飽きて放ったらかしにするかもしれません。
そうだとしても、本記事の内容から創価などの日蓮正宗系教団が儀礼や勤行の形式においてダメな教団であることは十分に解ってもらえると思います。
過日の創価の世界青年部総会で、会合を中断し「区切りを入れ」東日本大震災で亡くなった方への黙祷や勤行唱題を「重ね重ねて」行うべきだったとツイッターに私は書きましたが、日蓮宗や各宗派の「丁寧で更に丁寧な」儀礼、勤行を調べていたのも理由の一つです。
天台宗、浄土宗、禅宗などにおいて、禮仏偈、奉請といった形式をとり偈文などで「区切られている」のがわかると思います。(*1)
学会問題の中で、創価員が在家信者(元々は正宗の信徒)なのに勤行して方便品、寿量品を読めるのは素晴らしい、そんな記述をよく見かけます。
私も在家信者が方便品、寿量品を勤行で読むことは良いことだと認めます。しかし今回のようによくよく調べると、日蓮正宗の勤行の実態は「法華三昧行事運想補助儀」とは無縁であり、意味不明な形で勤行形式としている。日蓮正宗の意味不明な勤行形式である五座三座を更に換骨奪胎しただけなのが、創価の勤行だとわかると思います。
日蓮宗の勤行法式が創価や日蓮正宗にはないわけですからね。
日蓮正宗聖典には勤行法式の記載がありません。日蓮正宗の他の文献で見つかれば記載したいと思いますが、十中八九、日蓮宗の勤行に近い勤行法式は無いでしょう。
正宗の勤行形式は禮仏偈、奉請がないので、何時までたっても仏(釈迦仏、多宝仏)はやって来ないのです。(笑)
創価員は諸天善神さえ来てくれればそれでいいのでしょう。
長い時間の中で、創価や正宗は他宗の勤行から盗用すると思いますが、みなさん如何でしょうかぁ〜?
「法華三昧行事運想補助儀」からなら盗用にはあたりませんが、日蓮、日興遺文の根拠はおそらくないでしょう。
次回は、三寶の意味、教えについて記事を予定しています。
以上
(*1)参考リンク
般若心経と各宗派
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ある方からご指摘頂き、新たに判明したことがあります。2,3の奥深く面白いテーマがあるのでブログ本文では追記、修正の更新せずこのままとします。本記事の引用転載を禁止はしません。01番記事に書いたルール通り、誰かが引用転載して問題や誤ちがあっても私は一切責任を取りません。
創価や正宗の勤行形式が意味不明である主旨は変わりがありません。
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●禮仏偈、奉請、奉送について
禮仏偈、奉請、奉送についてはネタの宝庫だと感じて色々書けると思い時々調べていました。
実はこの3つだけでも調べれば調べるほど奥が深そうです。
1.調べれば調べるほど、古来から存在している儀礼。
2.日蓮宗だけでなく鎌倉時代など日本仏教の各宗派に存在している儀礼。中国仏教に遡ることが可能な儀礼。
と言えそうだと考えています。
仏像や本尊を最重要視しない(重視するが1番ではないという意味)日本の禅宗でも仏に対し禮仏偈(讃仏偈)を唱え、仏法僧の三宝を敬います。
●日蓮宗聖典の勤行法式に記載される「運想」
例えば「運想」は荊溪湛然(けいけいたんねん)が著した「法華三昧行事運想補助儀」にまで遡れることが分かっています。
湛然さんは妙楽大師と称され、天台宗の第六祖です。日蓮遺文にも数多く出てきます。
なお、中国天台宗の修行は天台禅、座禅です。法華禅、禅法華だったわけですね。
現代人から見て、湛然さんがどの程度、禅宗の正統派だったのかは勉強不足で今の私には分かりません。
荊溪湛然が著した「法華三昧行事運想補助儀」には、佛に請い願う儀礼があり次のように重要なキーワードが出てきます。
請佛、次請佛菩薩、五歎佛、六禮佛、多寶佛、分身、東方諸佛、三世諸佛、舍利形像等、妙法、諸菩薩、舍利弗等、普賢菩薩
「法華三昧行事運想補助儀」の六禮佛には次の一節があります。
我此道場如帝珠。釋迦牟尼影現中。我身影現如來前。頭面接足歸命禮。
日蓮宗聖典の禮仏偈を見ると、
我此道場如帝珠 十方三寶影現中 我身影現三寶前 頭面接足歸命禮
と書かれており酷似しています。
禮仏偈は日蓮宗聖典で一番最初に出てくる勤行法式です。
私は漢文がすらすら読めないのですが、六禮佛は禮佛(礼仏)の形式の一つ、あるいは日本仏教の禮仏偈の原型と見て、まず間違いないでしょう。
請佛、次請佛菩薩はおそらく奉請に近い内容でしょう。「法華三昧行事運想補助儀」冒頭には入道場観らしい記述も見受けられます。
なお「法華三昧行事運想補助儀」は大正新脩大藏經に掲載されています。
●「運想」は中国仏教の天台宗の湛然さんと日本仏教の道元さんの時代から今に伝わっています。
繰り返しますが、目に見える仏像や本尊を最重要視しない日本の禅宗や中国天台禅でも、目に見えない仏に対し禮仏偈(讃仏偈)を唱え勧請を行い、仏法僧の三宝を敬います。
湛然の「法華三昧行事運想補助儀」を「道元さんと師匠である如浄禅師」は知っていた事実が分かっています。
なにせ、道元さんの有名で素晴らしい正法眼蔵に記載されているので本記事のへ非難、誹謗中傷は諦めましょう。
☆☆「鎌倉時代の道元さんと師匠である如浄さんから、現代の曹洞宗の僧俗の皆さんに至るまで、素晴らしい儀礼を維持している事がわかると思います。」☆☆ 正法眼蔵を学べば、わかるのですが。
なお「法華三昧行事運想補助儀」の一節については、日本天台の円仁も知っていた様です。
証拠となる文献を私は未調査ですが、もう、その必要もないでしょう。
讃仏偈が浄土宗にもある点についても、もう書く必要もありませんね。
真言密教になると真言宗信徒向け勤行はすぐ解るのですが、お坊さん向けの勤行は数多く複雑になっているようです。
お坊さんと信徒さんで古来から教え(勤行など)の領分が異なる点も間接的に証明できていると思います。
●日蓮宗聖典に記載される「運想」や「禮仏偈」などが日蓮由来かどうか?
日蓮宗聖典に記載される「運想」や「禮仏偈」などが日蓮さん由来かどうかは全く分かっていません。
鎌倉時代からなのか、江戸時代からなのか、近代からなのかは興味があります。
”我身影現xx前”の「影現」というキーワードは日蓮遺文から見つかるのですが、六禮佛や日蓮宗聖典の禮仏偈らしい一節は昭和定本からまだ見つからないのです。
弟子、孫弟子まで調べる必要があると思いますが、膨大な文献が必要なのと私の年齢や健康上、時間はなく出来ないと思います。
仮に、「運想」や「禮仏偈」などが遅れて近代に日蓮宗に輸入されたとしても、江戸末期、明治初期の日蓮宗のお坊さんが勉強家だったことが分かります。
●まとめ
というわけで、最近の記事と本記事はもっと調べてから書きたかったのですが、ツイッターで勤行や世雄偈が話題になったのでタイミング的に良いと思い書いています。
私の場合こうして記事を書くと飽きて放ったらかしにするかもしれません。
そうだとしても、本記事の内容から創価などの日蓮正宗系教団が儀礼や勤行の形式においてダメな教団であることは十分に解ってもらえると思います。
過日の創価の世界青年部総会で、会合を中断し「区切りを入れ」東日本大震災で亡くなった方への黙祷や勤行唱題を「重ね重ねて」行うべきだったとツイッターに私は書きましたが、日蓮宗や各宗派の「丁寧で更に丁寧な」儀礼、勤行を調べていたのも理由の一つです。
天台宗、浄土宗、禅宗などにおいて、禮仏偈、奉請といった形式をとり偈文などで「区切られている」のがわかると思います。(*1)
学会問題の中で、創価員が在家信者(元々は正宗の信徒)なのに勤行して方便品、寿量品を読めるのは素晴らしい、そんな記述をよく見かけます。
私も在家信者が方便品、寿量品を勤行で読むことは良いことだと認めます。しかし今回のようによくよく調べると、日蓮正宗の勤行の実態は「法華三昧行事運想補助儀」とは無縁であり、意味不明な形で勤行形式としている。日蓮正宗の意味不明な勤行形式である五座三座を更に換骨奪胎しただけなのが、創価の勤行だとわかると思います。
日蓮宗の勤行法式が創価や日蓮正宗にはないわけですからね。
日蓮正宗聖典には勤行法式の記載がありません。日蓮正宗の他の文献で見つかれば記載したいと思いますが、十中八九、日蓮宗の勤行に近い勤行法式は無いでしょう。
正宗の勤行形式は禮仏偈、奉請がないので、何時までたっても仏(釈迦仏、多宝仏)はやって来ないのです。(笑)
創価員は諸天善神さえ来てくれればそれでいいのでしょう。
長い時間の中で、創価や正宗は他宗の勤行から盗用すると思いますが、みなさん如何でしょうかぁ〜?
「法華三昧行事運想補助儀」からなら盗用にはあたりませんが、日蓮、日興遺文の根拠はおそらくないでしょう。
次回は、三寶の意味、教えについて記事を予定しています。
以上
(*1)参考リンク
般若心経と各宗派
オフ会など別の形で紹介したいと思います。
なお、日蓮正宗と創価の勤行形式が全くダメであることは変わりがありません。