第3部 『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』
文楽って、氷上のチェス”カーリング”(トリノってますな~)
見る前は「よく判らんし、チンタラしてんのちゃうん」
見出したら「なんでか釘付け」
ジックリ!HOTに!エエやないかいな。
オバチャンプレーヤーもおるで!
今日もぎょ~さんの人が来てる。
若い人増えたなぁ~。オジサン達もっ!
『奥村書店』の若旦那発見!
※ 歌舞伎座のご近所にある古本屋 → 奥村書店HP
大旦那(勝手に名付けた)は、いつも小唄のようなものを口ずさんでいる。
古い写真も売ってます!品揃えも充実。エエ本屋です。
『天網島時雨炬燵』は近松の『心中天網島』の改作。
何故そうしたか?その事情はイヤホンガイドで…
アチャ~借りへんかった。聞いた人教えて下さい~。
『心中天網島』観たことあるけど、
”違いが判る”(byネスカフェ・ゴールドブレンド)にはならんやろなぁ…。
北新地河庄の段
大坂はキタ、曽根崎新地
「ヤ小春様か、なんといの。気色も悪いか顔も細り、
いかうやつれさんしたなう。」
『曽根崎心中』に続いて、またここでも!言われてみたいわ~。
遊女小春にご執心な江戸屋太兵衛。
金にものを言わせて恋人・紙屋治兵衛との仲を裂いた。
ルンルンで茶屋河庄にやってきた太兵衛と相棒善六。
「毛虫!嫌い!今日のお客は侍や。あっち行ってんか」
小春に言われてんのに、
「ヤ侍客ぢや。侍なんぢやいなんぢやい、
へヽなんの刀差すか差さんか、侍も町人も客は客ぢやわい。
なんぼ差しても五本六本は差すまいし、よう差して刀脇差たつた二本ぢやい。
(略)二本差が怖けりやなあ、フン田楽屋の門を通れんぢやないかい」
箒を三味線に見立ててベンベンやり出したで~。
お客さん、笑えよ~(by横山たかし ひろし)
でも、ズズンっ!とやって来た侍に、恐れをなして逃げよった。
吉田玉女っ!男っぷりが上がったな!(人形を見ろ~)
竹本住大夫&野澤錦糸
「待ってました!住大夫!」声も掛かった。拍手もデカイ!
√ 天満に、年経(ふ)る千早振る、神にはあらぬ紙様と、
世の鰐口に乗るばかり。小春に深く、大幣(おおぬさ)の、
腐り合ふたる御注連縄。
今は結ぶの水無月、堰かれて逢はれぬ身となり果て、
哀れ逢瀬の首尾あらば、それをふたりが最期日と、名残の文の云ひ交はし、
毎夜々々の死に覚悟。魂抜けてとぼとぼうかうか、身を焦がす。
「天満のイーイーイーイ年経る千早振る」までを時代物のように語れと、
先代喜左衛門師匠に教えてもらいました。
「神ににはあらぬ紙様と~」からコロッと
本来の世話物語り口調に変えないかんのです。
大夫だけではなく、三味線もここで雰囲気を変えて弾きます。(「文楽のこころを語る」)
そ、そんな所まで聴いてなかった…すんまっせん m(_ _)m
小春は侍に「心中しないでイイ方法」を尋ねたりなんかする。
「クッソー騙しやがったなー!」店の外で聞いていた治兵衛、
思わず脇差を店の中へブスッッッ!!!
アララ、侍に縛られても~た。
『河庄』(歌舞伎)のセットと違う!
格子窓が客席から丸見え~。
だから、治兵衛は後ろ姿。おまぬけなお尻やわ~。クックックッ。
下手サイドブロックからは、
その裏で喋ってる河庄亭主(玉勢)が見えんかった…(ガックシ…)
身動きとれない治兵衛~。
通り掛かった恋敵の太兵衛にいじめられる。
あ~情けない声やなぁ。治兵衛さん。
侍は治兵衛の兄孫右衛門やったっ!
交わした起請を焼いてくれ!と兄に頼む。
小春の懐に入っている起請の中から、ポロ…と
「小春様参る 紙屋内」
ギョッッ!目と目を合わせる小春と孫右衛門!
な~んも知らん治兵衛。
ギャ~ギャ~喚いて、小春を蹴飛ばし去ってった…。
ほんま治兵衛って!(アホっ)
√ 『ハッ』とばかりに泣き別れ
帰る姿も痛々しく
跡を見送り声を上げ、嘆く小春も惨らしき
不心中か心中か、真の心は女房のそのひと筆の
奥深き誰が文も見ぬ恋の道
別れてこそは立ち帰る
住大夫の声って、桜餅(関東でいう道明寺のことね)!
ごちそーサマでした!!
いや~円広志来ぃへんかったで!ヤッホ~!
ハタと気がついたんやけど、
この上方の空気、”こってりしてんのに風通しがエエ”ってやつ。
これを伝えてくれるのは、年代的に住大夫で終わりなんや…。
歌舞伎では、二代目鴈治郎で終わってるから(そう思うねん私は)
体感できるのは”文楽”でだけやっっっ!!
今までは子守唄になってたけど、
これからは、住大夫を大切に聞こー!(遅ッ!)
天満紙屋内の段
炬燵の中で泣いてる治兵衛。
それを見た女房おさん♪恨み~ま~す♪(by中島みゆき)
「もうあいつとは関係ない。小春は太兵衛に見請けされるんや」
その一言に、おさんはガクガク~。
「小春さんが死んでしまう!!見請けの金、金、用意せな」
妻の手紙で小春が身を引いたと知った治兵衛は放心~。
男を巡って本妻と愛人がいがみ合ってる。
と思いきや、譲りあってんのかいな。
そんな所へドカスカやって来たのが、おさんの父。
「女郎の誠とな、鬼瓦の笑ひ顔とはないものぢやぞよ。
サア手短におさんに隙やりや。(略)
サア誓紙の代わりに去り状書け。エヽあんだら臭い」
カチン!ときたおさんの話を聞いて、ビックリなのは観客。
なんと!この父親が、銀山投資で店の身代を傾けたんやと。
それを世間に洩らさない為の偽装工作が”治兵衛の茶屋遊び”!
おさんは、出掛けて行く姿を拝んでたっちゅーねんから…。
でも結局、父親に引っ張られて行ってしまった。
取り残された治兵衛の前に現れたのは小春!
2人に残された道は”心中”…。
娘お末がツルツル坊主(キュート!)でメーセジを持って帰ってきた。
父「150両やるから小春を請け出せ」
妻「娘と尼になるから、息子を頼む」
やっぱり、2人に残された道は”心中”~。
またまた恋敵・太兵衛が来た~!
揉み合っているうちにグッサリ…。
やっぱり、やっぱり、2人に残された道は”心中”~!
道行名残の橋尽くし
堀川橋から下を覗いて心残りを振り返る、治兵衛と小春。
死に場所求めて歩きだす。
アラ…『曽根崎心中』みたいに手繋いで…ないで。
お初&徳兵衛みたいに、若さでGO~!
そんなわけにいかんわなぁ。
「後まで残る死に顔に、泣き顔残すな」
「残さじ」
√ と気を取り直しひと刃、抉(えぐ)る苦しさ暁の
見果てぬ夢と消え果てたり
小春の喉を突き、ちょっと離れた所で、首吊りする治兵衛。
『心中天網島』と違う!
あっちでは、治兵衛の体がブラブラ揺れたのに~(幻想か?)
幕
”近松の心中物”2本も上演する意味は何じゃろ~?
ちょっとくたびれたなぁ。
でも、まだまだ終わらん文楽month!
お次は、第1部に突撃~!
こちらもどうぞ → 「人形遣い 吉田玉勢」
「河庄(歌舞伎)」
ルポレポはこちら 11日~26日 国立小劇場
第1部 「御所桜堀川夜討」 「関取千両幟」
第2部 「小鍛冶」 「曽根崎心中」
第3部 「天網島時雨炬燵」
おすすめ本はこちら
「文楽に連れてって!」「文楽ざんまい」」「文楽のこころを語る」
「舞台宇宙の住人たち」
イラストつきでおもろい解説 → 大入り!文楽手帖
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私も先日行ってきましたぁ~♪
>やっぱり、2人に残された道は”心中”~!
おさんが尼になって、身を引き、丁稚三五郎の
仲人(?)で夫婦になった2人は「心中」する
必然性がなくなった・・と私には思えるんですが。
小春を盗られたと思い、乗り込んで来た
太兵衛達を殺してしまい、「成り行き」で
心中する・・・っていう風に、私には思えるん
ですがねぇ?!私の一人よがりかな?
う~~~む、「紙屋内」は、とってつけたような
感じで、私はイマイチ???です。
>「成り行き」で心中する・・・っていう風に、私には思えるんですがねぇ?!私の一人よがりかな?
私もそう思います。「どっかでストップ掛けれんのちゃうん?」って。
>乗り込んで来た太兵衛達を殺してしまい、
あ、私ったらこの場面書くのを忘れていますね。
トホホ。追加しなくては…。
>う~~~む、「紙屋内」は、とってつけたような
感じで、私はイマイチ???です。
その場面、歌舞伎で観たのが初めてだったんです「時雨の炬燵」
つまらなかったので、文楽版もそーだろーと思ってたら、去年1月の大阪公演の時に、
おさんがコタツに潜ってる治兵衛のを覗き込んだ顔が、泣いているように見えて。WOOO~!
今回、上演されなかった前の部分も付いてたから、
やっと私の心に届いたんでしょうか(笑)
でも、いつもどの役にも感情移入できないんですヨ~。
箒は大活躍でしたね!(「大入り文楽手帖」で読みました)
それによると、最初人形浄瑠璃は人形一体を一人が遣っていたそうです。だから人形も小屋も今より小さかった。が、段々に従業員のお給金も上げなくてはならなくなり、芝居小屋を大きくしてお客を増やすようになった。だから人形も大きくしないと見えないので大きくして三人で遣うようになった。
小屋が大きくなると中で飲み食いをするようになった。そうすると芝居中でもざわざわしている。原作の「心中天網島」のほうがずっと筋の通った話なんだが、それではお客さんが静かに観ていない。それでお客さんの注意を引くような場面の多い内容に書き換えられたのが「天網島時雨炬燵」なのだそうです。
「曽根崎心中」も今回の文楽が原作に忠実、歌舞伎座でやったのが近松自信が書き変えたもの、それでもその後長い間上演されなかった理由も同じことだそうです。
それで、うちにあった「日本古典講座」を紐解いてみましたら、大久保忠國氏が解説しておられました。以下要点を引用します。
「今日の世評の高さとはことかわり、享保五年の初演当時はそれほど迎えられなかったらしい。原作のままでは大正十一年初代鴈冶郎らが上演するまで長く上演されずに過ぎた。繰り返し上演されたのは近松半二らが書き変えた『心中紙屋治兵衛』や、さらに後の『時雨炬燵』である。『時雨炬燵』の後半の付加された部分など、決してよく書けてはいないのだが、原作の下之巻(曽根崎の茶屋で二人は心中の手はずを決め、再度意見しに来た兄孫右衛門をやり過ごしてから道行、心中。この時二人は髪を切って出家の姿になり、おさんにせめてもの心遣いをする)を切り捨てた場合、締めくくりがないので、自然そのほうが上演されるのである。そのため原作の持つしっとりとした気分がそこなわれる弊は覆いがたいものがある。」
その通りですね。長くなり失礼しました。
丁寧な解説!好多謝~!!です。
『心中天網島』観たことがあるのに、ラストシーンの違いしかチェック出来なかった私には、
「すっげぇイイ作品になってるよ」とは言えない…。
色々と加工されて今日に残っているのですね!!!
奥が深すぎて、覗いて見ても”真っ暗闇じゃぁござんせんか”状態です…トホホ。
それにしても「日本古典講座」スゴイ本っぽいなぁ。
他に何かあったら是非教えて下さい!
他力本願な私っ(>_<)
「何でそ~なるの!何でそ~なるの!」と萩本欽一が頭の中で大爆走していましたが、
謎が解け、皆さんのコメントで納得できました。
ありがとうございました。
今月上旬に奥村書店に行ったら、若旦那さんが常連?のおじさんに、「三部のチケット余ってますよ」って誘って、断られていました。
それを端で聞いて“文楽好きがここにおるで!”と一人目を血走らせてました。
「イラストいっぱい」の文楽手帖も、よろしくお願いしまーす。
解説ありがとうございました。
昨晩ももう一度見てきました。
「河床」は良いです。(ここ、孫右衛門が主人公かと
私は思ってますが)
が、「紙屋内」がどうもいけません
治兵衛の性格(とういうか性根)が変るのです。
一貫してない・・・・。
最初は太夫の表現の違いか?と思いましたが
昨晩見て、「脚本」のせいか?!と
おさんは「貞女」っぽく描かれていますが
ある一面、子どもをも巻き込んだ妻の
「復讐」というか「逆襲」にも感じるのですが。
おさんは自己犠牲の極地(尼になるなど)に自己を置く事で、逆に小春を追いつめた・・とも思いました。
彼女は足掛け3年のたまりにたまった「悋気」を
一気に吐き出し、スカッとしたかも(?)しれません
がねぇ。小春・治兵衛はたまったもんではありません。
↑はワタクシ、戸浪の妄想です
妄想は膨らむばかり~~~です。
>原作の下之巻(曽根崎の茶屋で二人は心中の手はずを決め、再度意見しに来た兄孫右衛門をやり過ごして
↑ここ、「大和屋」ですね
しっとりとしたいい段です。
私は時々CDで聴いてます。女義の竹本駒之助師匠と
鶴澤津賀寿さんの演奏がビクターから出てます。
って、わたしゃビクターのまわし者か!/face_tehe/}
私もそう思いました。小春が太兵衛に見受けされると聞いただけで「小春さんは死んでしまう」と気がつくおさんが、自分や娘までも出家させて小春が治兵衛の女房にのほほんと収まるはずのないことくらいわかるでしょう、と。
おさんが尼になるというのも、おさんのお父さんの投機失敗の話も、治兵衛が太兵衛を殺すというのも原作にはないのです(って、私も今度知ったのですが。)
で、もう一度「日本古典鑑賞講座」(角川書店)を見てみると、「心中物の最高傑作」の小題の下、
「近松の心中物は、心中せざるを得なくなる経緯をもっぱらたどるのが常道であるが、本作では最初から心中の条件は具わっており、周囲の者が何とか二人を助けようと救いの手をさしのべるが、結局その苦労も空しく、心中に終わるように運んでいる。その間、一度は心中を思い止まる大きな曲折があり、治兵衛の恋に溺れきった男の姿、小春のせつない義理立て、女房おさんや兄孫右衛門の情愛、苦悩等が巧みに織りなされ、稀に見る傑作たり得たのである。」
とありました。それぞれの人物の情愛の美しさを描くだけではお客さんの興味を惹きつけることが難しかったのでしょう。
「河庄」はいいですね!でも「心中紙屋治兵衛」のほうがおさんから手紙が来るところからやるのでわかりやすいですね。歌舞伎チャンネルで何度かやってる、鴈冶郎、秀太郎、富十郎、坂東吉弥、竹三郎の「河庄」、いいですねェ!!何度も見てしまいます。そしてため息をついてます・・・。
でも!お園さま、戸浪さま、私も文楽に目覚めました!歌舞伎への思いに勝ることはない・・・かもしれませんが、これからも見たい!と思ってます。(って人のブログを通信欄に使うな!ゴメンネ、かしまし娘さん)
奥村書店のHPに“チケット救済”ってありましたが、そのチケットでしよーか。
若旦那は、常連さんとよく歌舞伎談義をしてますね。
舞踊について質問した事があります!真摯に答えてくれました。
今度は、大旦那としゃべってみたいです。クフフ。
「大和屋の段」って、真夜中に、孫右衛門が“子供の顔を見たら思いとどまるかもしれない”と思って、治兵衛の息子を連れて、小春の店に行くけど会えない。
その兄の後ろ姿に、治兵衛が「遺体の始末もさせてしまう…すまない」と呟く。
ってヤツですか?もしや。
「心中天網島」で観ました!
孫右衛門に泣けて泣けて、しゃ~なかったです。
あの2人はどーでもよくなりました。(笑)
「悋気」ね。なるほど~。向田邦子の『阿修羅の如く』を思い出しました!納得!
歌舞伎は俳優ありきだから、“通し”でやるより、好きな段だけ上演するんでしよーか。
「河庄」の“とぼとぼうかうか”は二代目が最高に好きで~す。
ドンドン伝言版にでも連絡帳にでも使って下さい~(笑)
いらっしゃいませ~(^O^)
TBね、私の方も上手くいったり行かなかったり…トホホ。
そうなんですヨ!突っ込み所満載っ!
今度上演される時は、皆で「ツッコミ手帳」でも作ってから観劇したいですね(笑)