明治大学『傾(かぶ)く技術(わざ)-三代の継承と日本的コミュニケーション』
明治大学校友会寄付講座
『傾(かぶ)く技術(わざ)-三代の継承と日本的コミュニケーション』
鼎談:市川染五郎、明治大学文学部教授 齋藤孝、読売新聞 田中聡記者
日時:7月11日(土) 14:00~15:30(開場13:30)
場所:明治大学リバティタワー1階リバティホール
市川染五郎× 斎藤孝(『声に出して読みたい日本語』の著者です)×田中聡(読売文化部記者)の鼎談を聴きにいきました。この鼎談、かなり面白かったです。染五郎さんがここまで色々話すって珍しい。斎藤孝先生がお話上手で自分の知識や体験談を絡めつつうまく話しを振ってくれたのと、田中記者も合間合間でうまくツッコミを入れてくれて、話相手に恵まれたって感じでした。
以下、思い出したことをつらつらと。メモも何も取らずに聞いていたので、正確なレポは残念ながら書けません。時系列もバラバラですし、トーク内容もこんな感じだったというおおざっぱなものです。言葉の使い方等、だいぶ違うとは思いますがご容赦を。
一番印象的だったのは、斉藤先生が「今日これだけは絶対忘れない時間になる」とおっしゃった時間です、やはり(笑)。「知らざぁ言って聞かせやしょう」から始まる弁天小僧の名文句の一節を中抜きながら、染五郎さんが滔々とやってくださったたのです。斎藤先生が染五郎さんに顔合わせの時にお願いしてくれたそうです。これが粋で鯔背でとても格好よかったんですよ。ほんのちょっとやっただけでしたが拍手が凄かったです。後で、学生が「歌舞伎は庶民のものと言うけれど、染五郎さんの台詞を聞いたらこれは芸術だって思った」と感想を言っていましたが歌舞伎を観たことがない学生たちにはかなりインパクトがあったみたいです。その後、染五郎さんが台詞を言って参加者が復唱する、という贅沢な時間も!本当に楽しかったです。斎藤先生ありがとう!!
知らざぁ言って聞かせやしょう
浜の真砂と五右衛門が歌に残した盗人の
種は尽きねぇ七里が浜
<~中抜き>
ここやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父さんの 似ぬ声色でゆすりたかり
名せぇ由縁の弁天小僧菊之助たぁ俺がことだ
鼎談内容:
まずは金太郎くん襲名披露の話から。幸四郎さんが今までみせたことない顔を見せていることに斎藤先生も田中記者も驚いたという話から。二人して「孫って特別に可愛い存在なんですねえ」としみじみ。染五郎さんも「そうなんですかねえ、やっぱり」と。
斎藤先生「親子の関係は責任とかライバル心もあるし、なかなか難しいけど孫は年が離れているから無条件に可愛がれるんじゃないかと。部活動でも3年生と2年生との関係は難しいけど3年生と1年生はうまくいくんですよね。近すぎると難しいんじゃないか」と。
田中記者「福助さんから聞いた話ですが楽屋で芝翫さんが自分には言ったことがなかった話を児太郎にはしてる。え~、それボクには教えてくれなかったのに、と思いながら、あとで息子に何言ってた?と詳しく聞いているらしいですよ(笑)」と。「いずれ幸四郎さんがいっくんにあれこれ言っているのを後で染五郎さんが聞きだすという風景もあるかも(笑)」
という感じで始まりました。それから、染五郎さん金太郎くんの事や自分の初舞台の事など。自分が12歳の時に毛振りで首を痛めた経験から、金太郎くんには週2、3回マッサージを受けさせていたそう。最初の頃は首と肩が凝っていたが後半にいくにつれ、首と肩は大丈夫で腰と足が凝ってきたそう。それだけちゃんと後半になるにいき腰で振るという毛振りの基本ができていたということ。子供なので見よう見真似でやってしまえるところもあるんでしょう。公演中、舞台上では子供に気を使うことはしなかった。自分が舞台に真剣に向き合っている姿を見せたかったので。金太郎くんの毛振りの舞台写真で、「自分の理想の形してる」と思ったショットがあったそうな。子供ってすごいんですよね、と。全然親バカな感じじゃなく、子供の可能性って凄いという雰囲気でさらり言っていた。そしてちょっと嫉妬も、と(笑)
染五郎さん、子育ても芝居でもいわゆる自分アピール、押し付けが苦手なんだそうです。自分のウィークポイントと言っていました。「押し付けるのではなく、わかってもらえるように伝える事をしていきたです。芸は10割やってしまうといけない、8割ぐらいにするのが品のある芸になると言われています。お客様に判りやすく全部答えるように演じても違うと思いますし、かといって自分の見せたい物をどうだと押しつけてもそれも違う思うんです。その兼ね合いが難しいですね。自分は肚がにじみ出るような芝居を目指しています。芸は品格のあるものでないといけないと思うんですよね。でないと、とても薄っぺらいものになってしまうと思うんです。」
この肚のことから腹を据えて、という話になり、腰を決める立ち振る舞いなどの話に。日本の舞踊と西洋舞踊が正反対とか。ここらで斎藤先生が「いざやかぶかん」DVDを持ち出し、この染五郎さんの踊りの解説がすごく良いんですよ~と。これ一見の価値ありですよ、と絶賛。立ち振る舞い、呼吸方法など、日本人としての立ち振る舞いの基本の部分のところを教えているのが気に入ったみたいでした。
そこで、台詞廻しの呼吸方法のことに言及し、染五郎さんがまだまだで今勉強中ですと。先輩役者さんが教えてくれる時に手を自分の腹と背中に置かせるんだそうです。それで台詞を言ってくれる。そうするとその呼吸方法がじかに伝わってくるんだそう。かなり息を腹に溜め込むらしいです。
何もしない、為所のない役は難しい、という話。染五郎さん「いるだけでその人物像をわからせないといけない」というような話をした時、斎藤先生が「世阿弥の言葉で「「何も演戯しないところが面白い」という言葉がある」と紹介したんです。それで染ちゃんが「何もしない、為所のない役は難しいけど、そういう役に説得力をだせるようになりたい」というようなことを。田中記者が「勧進帳の義経が代表ですよね。全然動かない、ほとんど座っているだけの役だけどそれだけで品格を感じさせ、弁慶やより格上の雰囲気を出さないといけない。弁慶と富樫と同じくらいに大事な役なんですよね」と。染五郎さん「そうなんですよ、義経は何もしないけど、物語の核の存在ですからね。何もしないで存在感をみせないといけない難しい役」
質問コーナー:
役者志望の男性「役者になるためにこれだけはやっておいたほうがいいといいことを教えて」
染五郎さん「役者は基本的に人を演じるので、まずは色んなものを観たり聞いたりして感動してほしい。何か、良いものを見たり、芝居でも映画でも音楽でもなんでもいいんです。日常の風景でも、ああ、いいなあ、ステキだなあと感動することが大事」。感受性を磨いてということですね。「技術は努力すれば誰でも身に付くから」と言っていました。その努力が難しいんですけどね~と思いました(笑)。
男子学生「歌舞伎は大衆演劇だといいますが、今、染五郎さんの台詞を聴いてたら芸術でもあると思うんです。その点についてどう考えていますか?」
染五郎さん「先ほども少しお話しましたが歌舞伎はわかりずらいものになってきているのは確か。歌舞伎は最先端の芝居を止めて古典になった時から、身近なものではだんだんなくなってきた。その過程で先人たちが芸を洗練させていき芸術の方向に向いたと思っている。その先がどうなるかわからないけど見極めていき、その先へ行きたいと思う」
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書けたのは内容の三分一以下な感じですが…、ざっとこんな雰囲気でした。主催者の方、スタッフの方、出演者のお三方、楽しい時間をどうもありがとうございました。
明治大学校友会寄付講座
『傾(かぶ)く技術(わざ)-三代の継承と日本的コミュニケーション』
鼎談:市川染五郎、明治大学文学部教授 齋藤孝、読売新聞 田中聡記者
日時:7月11日(土) 14:00~15:30(開場13:30)
場所:明治大学リバティタワー1階リバティホール
市川染五郎× 斎藤孝(『声に出して読みたい日本語』の著者です)×田中聡(読売文化部記者)の鼎談を聴きにいきました。この鼎談、かなり面白かったです。染五郎さんがここまで色々話すって珍しい。斎藤孝先生がお話上手で自分の知識や体験談を絡めつつうまく話しを振ってくれたのと、田中記者も合間合間でうまくツッコミを入れてくれて、話相手に恵まれたって感じでした。
以下、思い出したことをつらつらと。メモも何も取らずに聞いていたので、正確なレポは残念ながら書けません。時系列もバラバラですし、トーク内容もこんな感じだったというおおざっぱなものです。言葉の使い方等、だいぶ違うとは思いますがご容赦を。
一番印象的だったのは、斉藤先生が「今日これだけは絶対忘れない時間になる」とおっしゃった時間です、やはり(笑)。「知らざぁ言って聞かせやしょう」から始まる弁天小僧の名文句の一節を中抜きながら、染五郎さんが滔々とやってくださったたのです。斎藤先生が染五郎さんに顔合わせの時にお願いしてくれたそうです。これが粋で鯔背でとても格好よかったんですよ。ほんのちょっとやっただけでしたが拍手が凄かったです。後で、学生が「歌舞伎は庶民のものと言うけれど、染五郎さんの台詞を聞いたらこれは芸術だって思った」と感想を言っていましたが歌舞伎を観たことがない学生たちにはかなりインパクトがあったみたいです。その後、染五郎さんが台詞を言って参加者が復唱する、という贅沢な時間も!本当に楽しかったです。斎藤先生ありがとう!!
知らざぁ言って聞かせやしょう
浜の真砂と五右衛門が歌に残した盗人の
種は尽きねぇ七里が浜
<~中抜き>
ここやかしこの寺島で小耳に聞いた祖父さんの 似ぬ声色でゆすりたかり
名せぇ由縁の弁天小僧菊之助たぁ俺がことだ
鼎談内容:
まずは金太郎くん襲名披露の話から。幸四郎さんが今までみせたことない顔を見せていることに斎藤先生も田中記者も驚いたという話から。二人して「孫って特別に可愛い存在なんですねえ」としみじみ。染五郎さんも「そうなんですかねえ、やっぱり」と。
斎藤先生「親子の関係は責任とかライバル心もあるし、なかなか難しいけど孫は年が離れているから無条件に可愛がれるんじゃないかと。部活動でも3年生と2年生との関係は難しいけど3年生と1年生はうまくいくんですよね。近すぎると難しいんじゃないか」と。
田中記者「福助さんから聞いた話ですが楽屋で芝翫さんが自分には言ったことがなかった話を児太郎にはしてる。え~、それボクには教えてくれなかったのに、と思いながら、あとで息子に何言ってた?と詳しく聞いているらしいですよ(笑)」と。「いずれ幸四郎さんがいっくんにあれこれ言っているのを後で染五郎さんが聞きだすという風景もあるかも(笑)」
という感じで始まりました。それから、染五郎さん金太郎くんの事や自分の初舞台の事など。自分が12歳の時に毛振りで首を痛めた経験から、金太郎くんには週2、3回マッサージを受けさせていたそう。最初の頃は首と肩が凝っていたが後半にいくにつれ、首と肩は大丈夫で腰と足が凝ってきたそう。それだけちゃんと後半になるにいき腰で振るという毛振りの基本ができていたということ。子供なので見よう見真似でやってしまえるところもあるんでしょう。公演中、舞台上では子供に気を使うことはしなかった。自分が舞台に真剣に向き合っている姿を見せたかったので。金太郎くんの毛振りの舞台写真で、「自分の理想の形してる」と思ったショットがあったそうな。子供ってすごいんですよね、と。全然親バカな感じじゃなく、子供の可能性って凄いという雰囲気でさらり言っていた。そしてちょっと嫉妬も、と(笑)
染五郎さん、子育ても芝居でもいわゆる自分アピール、押し付けが苦手なんだそうです。自分のウィークポイントと言っていました。「押し付けるのではなく、わかってもらえるように伝える事をしていきたです。芸は10割やってしまうといけない、8割ぐらいにするのが品のある芸になると言われています。お客様に判りやすく全部答えるように演じても違うと思いますし、かといって自分の見せたい物をどうだと押しつけてもそれも違う思うんです。その兼ね合いが難しいですね。自分は肚がにじみ出るような芝居を目指しています。芸は品格のあるものでないといけないと思うんですよね。でないと、とても薄っぺらいものになってしまうと思うんです。」
この肚のことから腹を据えて、という話になり、腰を決める立ち振る舞いなどの話に。日本の舞踊と西洋舞踊が正反対とか。ここらで斎藤先生が「いざやかぶかん」DVDを持ち出し、この染五郎さんの踊りの解説がすごく良いんですよ~と。これ一見の価値ありですよ、と絶賛。立ち振る舞い、呼吸方法など、日本人としての立ち振る舞いの基本の部分のところを教えているのが気に入ったみたいでした。
そこで、台詞廻しの呼吸方法のことに言及し、染五郎さんがまだまだで今勉強中ですと。先輩役者さんが教えてくれる時に手を自分の腹と背中に置かせるんだそうです。それで台詞を言ってくれる。そうするとその呼吸方法がじかに伝わってくるんだそう。かなり息を腹に溜め込むらしいです。
何もしない、為所のない役は難しい、という話。染五郎さん「いるだけでその人物像をわからせないといけない」というような話をした時、斎藤先生が「世阿弥の言葉で「「何も演戯しないところが面白い」という言葉がある」と紹介したんです。それで染ちゃんが「何もしない、為所のない役は難しいけど、そういう役に説得力をだせるようになりたい」というようなことを。田中記者が「勧進帳の義経が代表ですよね。全然動かない、ほとんど座っているだけの役だけどそれだけで品格を感じさせ、弁慶やより格上の雰囲気を出さないといけない。弁慶と富樫と同じくらいに大事な役なんですよね」と。染五郎さん「そうなんですよ、義経は何もしないけど、物語の核の存在ですからね。何もしないで存在感をみせないといけない難しい役」
質問コーナー:
役者志望の男性「役者になるためにこれだけはやっておいたほうがいいといいことを教えて」
染五郎さん「役者は基本的に人を演じるので、まずは色んなものを観たり聞いたりして感動してほしい。何か、良いものを見たり、芝居でも映画でも音楽でもなんでもいいんです。日常の風景でも、ああ、いいなあ、ステキだなあと感動することが大事」。感受性を磨いてということですね。「技術は努力すれば誰でも身に付くから」と言っていました。その努力が難しいんですけどね~と思いました(笑)。
男子学生「歌舞伎は大衆演劇だといいますが、今、染五郎さんの台詞を聴いてたら芸術でもあると思うんです。その点についてどう考えていますか?」
染五郎さん「先ほども少しお話しましたが歌舞伎はわかりずらいものになってきているのは確か。歌舞伎は最先端の芝居を止めて古典になった時から、身近なものではだんだんなくなってきた。その過程で先人たちが芸を洗練させていき芸術の方向に向いたと思っている。その先がどうなるかわからないけど見極めていき、その先へ行きたいと思う」
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書けたのは内容の三分一以下な感じですが…、ざっとこんな雰囲気でした。主催者の方、スタッフの方、出演者のお三方、楽しい時間をどうもありがとうございました。