読書日和

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「村上海賊の娘 下巻」和田竜

2018-03-22 19:50:05 | 小説


今回ご紹介するのは「村上海賊の娘 下巻」(著:和田竜)です。

-----内容-----
人ひとりの性根を見くびるな。
織田方の猛攻を雑賀衆の火縄が食い止め、本願寺門徒の反転攻勢を京より急襲した信長が粉砕する。
村上・毛利の連合軍もついに難波海へ。
村上海賊は毛利も知らぬ禁じ手と秘策を携えていた。
第11回本屋大賞受賞作。

-----感想-----
※「村上海賊の娘 上巻」感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

織田信長の登場によって門徒は大坂本願寺と木津砦に敗走し、信長率いる三千の兵が追撃します。
その中で源爺は一人、南無阿弥陀仏と呟きながら天王寺砦に向かいます。
源爺を見て景は「逃げろ」と言いますが、源爺は極楽往生だけを考えてひたすら前に進んで行きます。
義清が「先を急ぐ。射殺せ」と命じたため、景は矢で源爺を殺そうとする又右衛門と安太夫を止めようと暴れます。
その姿を見て七五三兵衛は心底呆れ、「おどれみたいな者(もん)を泉州でどない言うか教(おせ)ちゃら」「面白(おもしゃ)ない奴ちゅうんじゃ」と言い、源爺に銛(もり)を投げつけて串刺しにします。
「面白くない奴」は泉州者にとって最大の侮辱の言葉で、それまでは景に惚れていた七五三兵衛が愛想を尽かしたのが分かる場面でした。

景は天王寺砦を出て源爺の最期を看取ります。
「見てくださったか。わしは一歩も退きませなんだぞ」
「ああ」
「見てたぞ。見事だった。これでお望みの往生も叶うってもんだ」

傍若無人な振る舞いが目立つ景ですが、死に行く源爺を褒め称えてあげていて、心の優しい面もあるのだと思いました。

信長の軍勢の後から七五三兵衛達天王寺砦の軍勢三千も続き、七五三兵衛は孫市の存在が気になります。
孫市は大坂本願寺の門前で反転して雑賀党を一斉射撃の陣形にし、撃った後はそれぞれ逃げ、大坂本願寺の南西約30キロにある貝塚御坊に集うように言います。
一斉射撃で信長の軍勢を止めると孫市は雑賀党に散るように言い、大坂本願寺の門を閉めろと言います。

孫市は信長だけは討つつもりでいて、すぐには逃げずに大地に身を隠しながら種子島(鉄砲のこと)で信長を狙撃します。
しかし七五三兵衛が咄嗟に信長に飛びかかり、弾は急所には当たらず脚に当たり信長は助かります。
信長は自身を狙撃したのは雑賀党の首領、鈴木孫市に違いないと気づき、七五三兵衛に捕らえるように命じます。
さらに「七五三兵衛よ、おのれの武勇を示すはここではない」と言い、どういう意味か気になりました。

景は「進者(すすまば)往生極楽 退者無間地獄(ひかばむけんじごく)」の旗で門徒達を大量に死なせた頼龍に激怒して、亡くなった源爺を連れて木津砦に向かいます。
頼龍を呼び出すと「源爺が極楽往生した証を見せろ」と無茶を言います。
そのようなものは見せられるわけがないため、一向宗に因縁をつける言葉に激怒した頼龍が景を殺そうかと考えていると、留吉が「阿弥陀樣の教えに文句を付ける気か」と激怒します。
景は「留吉、お前は騙されておる。戦をやめ、砦を引き揚げても、地獄に堕ちることなどない。砦を出るんだ」と言いますが留吉はさらに激怒します。
「見損なうな!わしは地獄行きが恐ろしゅうて言うてるんじゃないわ。何のために砦におると思うのじゃ。法敵を倒すためじゃないかっ」
そして「帰れ」と言い、景は寂しそうに木津砦を去ります。

景は七五三兵衛と留吉を両方とも怒らせてしまいます。
向かってくる敵を相手に戦っている人達に水を差すことばかりしているからだと思いました。
景は酷く落ちこみ、景親に「能島に帰ろう」と言います。
二人が歩いていると孫市に遭遇し、能島村上なら織田方も遠慮があるため、織田方の関所を通るために一緒に行くように言われます。
すると今度は孫市を追う七五三兵衛が現れ、景が「なぜ源爺を討ち殺した」と言うと七五三兵衛は呆れて次のように言います。
「討ち殺したんはな、敵やからや」

景は己の甘い考えと振る舞いは七五三兵衛を呆れさせ、留吉を傷つけただけだったと悟り気持ちが挫折します。
上巻での強気で奔放な振る舞いからはこんな姿になるとは思わなかったので驚きました。
七五三兵衛が去り関所を通った後、孫市は「しばらくは泉州の貝塚御坊にいるつもりだ。役に立てることがあれば、力を貸そう」と言い去っていきます。
しかし「この一言が、後に自身はおろか雑賀党全体をも窮地に追い込むとは思いも寄らなかった。」とあり、どうなるのか気になりました。

信長から「毛利家が大坂本願寺に兵糧入れをするという風聞があるため、泉州の侍衆は住吉の浜に砦を築き、木津川河口から入る船をことごとく沈めよ。ただちに住吉へと赴き、河口の封鎖にかかれ」と下知(げち)が出ます。
さらに「海上では泉州侍は七五三兵衛が支配すること」と下知が出て、信長が「おのれの武勇を示すはここではない」と言っていたのはこのことでした。
七五三兵衛は毛利家と三島村上が来れば泉州随一の海賊衆、眞鍋家でも軍船の数、兵力ともに敵わないと警戒します。
また他の泉州侍は船戦(ふないくさ)の経験がなく頼りにはならないです。
村上海賊と眞鍋海賊が戦うのは海賊同士の戦いで興味深かったです。

景の身を案じて引き返してきていた家臣達の船に乗って景と景親は能島に帰ります。
その後すぐ真鍋家の船が木津川の河口を封鎖します。


能島に到着すると景と景親は元吉の部屋に呼ばれ、景が次のように神妙なことを言って元吉を驚かせます。
「これまで私の至らぬ振る舞いにより、ご心痛をお掛けし、まことに申し訳なく、ここにお詫び申し上げまする」
「以後、戦はもとより海賊働きにも一切加わらぬと肝に銘じておりますれば、縁組のことよろしくお世話下さいますよう、お願い致しまする」
この言葉を見て景が心底打ちひしがれてしまったのが分かりました。

景と景親は元吉から能島村上も毛利家に味方することになったのと、児玉就英が景をもらっても良いと言ってきたことを聞きます。
能島村上も毛利家に味方したことで毛利家はすぐに織田家と断交し、大坂本願寺に兵糧を入れるべく準備に掛かっていました。

しかし三島村上の中で武吉だけが軍船を集合場所の賀儀(かぎ)城にやらず、何日も大三島(おおみしま)で連歌をしています。
連歌は多人数で短歌を詠み継ぐもので、五七五の「発句(ほつく)」を始めの者が詠み、次の者が発句にちなんだ七七の「脇句(わきく)」を付けます。
村上海賊が出陣する時は必ずこの連歌を行うとのことです。

武吉は上杉謙信が立つのを待つべきという小早川隆景の考えを読み、自身も同じ考えのため時間をかせぐために連歌を続けています。
いつまで続けるのだと言う来島村上の吉継と因島村上の吉充に武吉は「万句」ができたら元吉が率いて能島村上も難波に行くと言い、それにはかなりの時間がかかるため愕然とします。

景は能島城の本丸屋形から出ようとはせず、着物を楽しんで過ごすようになります。
着物姿の景を見た琴姫(景の幼馴染)が、それまで醜女と言われてきた景が実は美しいと悟る場面があります。
着物姿を笑いに来たはずが美しさに圧倒されすぐに帰っていき、なぜすぐ帰ったか分かっていない景に武吉が「ようやった」と言っていたのが面白かったです。

やがて武吉のもとに家臣から「上杉謙信、門徒と和議に至り、織田方の分国に攻め入るとの風聞あり」と知らせが来ます。
武吉はついに重い腰を上げ、元吉に能島の三百艘の軍勢を率いて賀儀城に行くように言います。
そして賀儀城から一千の大船団が出航します。

大船団が毛利家が借りている岩屋城のある淡路島に着岸すると、その数を見た七五三兵衛達が驚愕します。
しかし一千艘のうち七百艘は兵糧船で、兵船は三百艘で真鍋家と同じ数です。
さらに淡路島を領する安宅(あたぎ)信康は何をしてくるか分からない人物のため、淡路島に待機する兵糧船の守備兵として百艘残さないといけず、戦える船は二百艘で織田方より少なくなります。
一方の織田方の弱点は三百艘のうち真鍋家のものは百五十艘しかなく、あとの半分は船戦をしたことがない人達が乗っていて頼りにならないことです。

宗勝が自身の主である隆景の「毛利方は上杉謙信出陣の報を岩屋城で待ち、その知らせがあるまでは敵には一切手出ししない」という考えを伝えます。
さらにあと二週間(兵糧攻めを受ける大坂本願寺がぎりぎり持ちこたえられる日)待って謙信が出陣しなければ毛利家は引き返すと言い、一同が騒然とします。
隆景の考えは「全ては毛利家存続のため」で、謙信が出陣しなければ大坂本願寺を目の前にしながら見殺しにし、醜態をさらし、評判を落とすのも仕方なしと考えています。
これは非情ですが、それくらい織田家という巨大な敵を相手に毛利家と大坂本願寺だけで戦うのは危険ということなのだと思います。

景は隆景の考えを読んでいる武吉から戦にはならないこと、門徒を見捨てることを聞くと絶叫し、もう一度難波に行く決心をします。
「瀬戸内を出たとき、あいつらは極楽往生がすでに決まっていると信じていた。それでも、弥陀(みだ)の御恩に報いるために、行かぬでもいい戦に行って命を捧げたんだ。戦場では退けば地獄だと脅され、話が違うと知っても、あいつらは仏の恩義を忘れようとはしなかった。オレは見事だと思った。立派だと思った。オレはそういう立派な奴らを助けてやりたい。オレはあいつらのために戦ってやりたい」

景の乗る船が出発するのを見送る武吉に兵が「御屋形樣はお発ちになりませぬので」と聞くと、武吉は次のように言います。
「三十年ぶりに鬼手(きしゅ)が出るのだ」
「我が娘が戦に赴けば、当方の勝利疑いなし」
鬼手という言葉は以前にも登場していて、どんなものなのか気になりました。

景が淡路島に到着し、七五三兵衛のところに行って掛け合い木津川の封鎖を解くと言い、無謀だと言う元吉に「七五三兵衛に侮られている自身だからこそできる」と言います。
しかし景の「こちらの軍勢は淡路島で兵糧船の米俵と兵を積み替え、兵船一千艘の船団になっている。そちらに勝ち目はない」というはったりを七五三兵衛は信じますがそれでも戦うと言い、掛け合いは決裂します。
淡路島に戻った景はすぐに織田方へ攻め掛かるよう説きますが一同の謙信が出陣しなければ引き返すという考えは変わらないです。
何としても留吉達門徒を助けたい景は最後の一手として密かに一人で貝塚御坊に行くことを決断します。


二週間経っても上杉謙信は出陣せず、その夜に毛利家は帰りますが直後に景が雑賀党五十艘の船団を率いて七五三兵衛達の前に現れ、戦いが始まります。
毛利家が帰ってから二時間経った頃、景親が姉を見捨てられずに景が戦っていることを話します。
すると村上海賊の兵達が次々と雄叫びを上げ三島村上が全て難波海に戻って行きます。
これを見て就英も宗勝も戻る決断をします。

「死兵」という言葉がここで登場したのがとても印象的でした。
上巻で七五三兵衛が「南無阿弥陀仏」とだけ言いながら槍で突いてくる門徒の大軍を前に次のように思う場面がありました。
戦場の兵が、心の隅に押しやりながらも必ず意識する死への恐怖心を、目の前の門徒たちは持っていない。
決して敵に廻してはならぬ者。それが、死兵や。

雄叫びを上げ凄まじい勢いで戻っていく村上海賊に「死兵」という言葉が使われていて、七五三兵衛が再び「決して敵に廻してはならぬ者」を敵に廻したのが分かりました。

眞鍋海賊に追い詰められ窮地になっている景達のもとに毛利村上の船団が戻ってきます。
元吉が指揮する毛利方の船団は鶴翼(かくよく)の陣を敷き敵を包囲しようとしますが、七五三兵衛は魚鱗(ぎょりん)の陣を敷いて密集陣形になって包囲網を一点突破しようとします。
これを元吉が難波海の潮流を読んだ策で打ち破ると、村上海賊は焙烙玉(ほうろくだま)という秘術の爆弾を次々と投げ込み眞鍋海賊の船を爆破炎上させていきます。
義清達の船団百五十艘は何もせずに七五三兵衛達を見捨てるつもりでしたが、窮地を見て義清は参戦を決意します。

義清率いる新手の百五十艘がやってきます。
元吉が新手に向い、七五三兵衛には景親の船が相手をします。
しかし七五三兵衛達が景親の船に乗り込んできて七五三兵衛の圧倒的な強さによって船を乗っ取られそうになります。
景親は自身の船を大量の焙烙玉で爆破して七五三兵衛を討ち取ろうとします。
景は腕、脇腹、脚に矢が刺さり満身創痍になりますが、七五三兵衛の船に乗り込み敵を次々と倒していきます。

義清達の船はわざと村上海賊に船に乗り込んで来させ待ち構える戦法に出ます。
しかし吉充も吉継も罠と分かっていて乗り込んで行きます。
敵に「罠ですわ」と言われ大人数に待ち構えられ吉継の肩からみるみる力が抜けていった場面が印象的で、てっきりこれは勝てないと思ったのかと思いましたがそうではなかったです。

七五三兵衛が景の前に現れます。
「おう、能島の姫、何やわし間違うちゃったみたいやの」
「ようやっと分かったわ、おのれは面白い奴っちゃ」

一度は景を面白くない奴と言った七五三兵衛が再び面白い奴と認めたこの場面は良かったです。
しかし面白さに応えるのは七五三兵衛が持つ三尺五寸の大太刀で、景と七五三兵衛の激闘になります。
七五三兵衛の執念は凄まじく、景が勝ったかと思っても最後まで勝負の行方が分かりませんでした。


景が雑賀党を率いて現れてから始まった戦いは200ページ以上も続き、凄く大規模に描かれていました。
史実のとおり、木津川合戦は毛利家の勝利で終わります。
公式な資料にはわずかに1ヶ所しか書かれていない「能島村上の景姫」を見出だし、この史実で大活躍させた構成が凄いと思います。
一度は挫折した村上海賊の娘がもう一度立ち上がり、毛利村上の船団をも動かして木津川河口を封鎖する敵に向かっていくのはとても面白かったです。


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2 コメント

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村上海賊の娘 (もののはじめのiina)
2018-03-26 16:21:48
戦国時代には面白い武将が多いですね。
われわれは、歴史を知っているので安心して小説などを読んだり見たりできますが、当人たちは生きるか死ぬかの選択を迫られるので大変です。

村上海賊、それもその娘に焦点を当てた物語に仕立て上げたものです。
(はまかぜ)さんには、この読書感想をご案内済みでした。でも、ついでに採り上げただけでした。(^_^;)
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/c938c5b9973442c2e32ffe03d597f6a7

孫市も愉快な男だったみたいです。『尻啖え孫市』も読んで映画も見ました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/23d56181301a577f8b55d09f9a579ce6

こんどは、江の島にお越しください。

返信する
iinaさんへ (はまかぜ)
2018-03-26 23:42:31
こんばんは。
戦国時代、魅力のある面白い武将が何人もいますね
毛利家も織田家という巨大な敵を前に生きるか死ぬかの選択を迫られていました。

景姫は公式な資料には1ヶ所しか名前が登場しないようで、その1ヶ所から景姫を見出して大活躍させた構成が凄いと思います

『尻啖え孫市』という作品は初めて知りました。
「村上海賊の娘」でも活躍していて、主人公としても見せ場があると思います。
愉快な男とのことで、映画も楽しい雰囲気になっていそうですね
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