雨が降るとの天気予報で、畑に残していたニンニクを急いで収穫しました。数株残していたタマネギも残さず収穫しました。梅雨シーズンに入る前に、ニンニクやタマネギはすべて収穫しておく必要があります。タマネギやニンニクなどの球根野菜は天日乾燥して長期保存します。この時期、長雨で濡れてしまうと腐りやすくなるのです。そのため、梅雨前に残さず収穫しておきます。
収穫後、茎を切りそろえたジャンボニンニク
普通ニンニクとジャンボニンニクを作っています。普通のニンニクは、ほとんど掘り上げて天日乾燥中です。そのため、畑に残っているわずかな普通ニンニクとジャンボニンニクを掘りました。畑で半日乾燥させた後、茎を同じ長さに切りそろえました。そして、雨の滴が当たらない軒下に置きました。今回は紐で縛ってぶら下げる時間がありませんでした。後日縛って天日乾燥させます。
掘り出したジャンボニンニク 畑で半日ほど天日乾燥中
今年初めから何度も打ち合わせしてきた、麻郷小学校 放課後学習の成器塾の開講式がありました。成器塾の由来は、幕末期に田布施町にあった長州藩の藩校明倫館の分校である成器堂です。この成器堂の扁額が、麻郷小学校に引き継がれています。開講日当日の一斉下校時、放課後学習に参加する子供達は体育館に集合しました。町長,教育長,そして学校長からの挨拶などがありました。私はその成器塾の教室を一つ持っているため、子供を迎えに体育館に行きました。
へら台の上に布,チャコベーバー,型紙を重ね、その上からルレットで描く
私の持っている「糸紡ぎ 昔の手仕事」教室では1人の子供が学びます。なお「糸紡ぎ・・・」では内容が分かりにくいようですので、来年は「ハンドクラフト・・・」教室に改めようと思います。そして、より子供向けのメニューにしようと思います。さて、今回が初めての教室です。最初、お互いに自己紹介をしました。自己紹介が終わると、私の方から、この教室の1年間の授業内容を説明しました。綿と羊毛を使った糸紡ぎ、縫いと織り、アイロンや霧吹きなどの裁縫用具の基礎知識、ファッションデザイン、ミシンの使い方基礎、フェルト細工,収穫と料理、テーブルセッティングなどです。内容によっては校外の農園や施設を利用します。知識の勉強ばかりではつまらないので、さっそく手芸をしました。簡単なポケットティッシュケース作りです。まずは、気に入った布を選んでもらい、型紙をルレットで描き、その布をハサミで切りました。
成器塾の開講式 裁縫用具の基礎知識 子供1人にスタッフ4人
ところで、子供にとっては初めての裁縫道具ばかりのようでした。へら台,チャコペーパー,ルレット,口吹き霧吹などです。極め付きは下糸不要の手回しミシンです。私の方から丁寧に使い方を教えました。前半のお話が長かったので、ポケットティッシュケースは完成できませんでした。そのため、次回に持ち越しです。私としては、子供の目線を尊重しながら、子供の時間に合わせて焦らず制作してもらおうと思っています。保護者を交えて、スタッフと談笑しながらの楽しい「糸紡ぎ 昔の手仕事」教室ではなかったかと思います。
ルレットを使った後、布を切る 切った布をアイロンで型止め
数日前、6月最初の田布施コットンクラブの活動をしました。私はこれまで、小学校の放課後学習である成器塾「糸紡ぎ 昔の手仕事」の準備ばかりしてきました。その準備が一通り済んだため、本来の糸紡ぎや織物をしました。もっぱら整経台を使って経糸を作りました。今回、Kさんが幅広のリジット織りができる織機を持って来ました。そのリジット織機を皆さんと見学しました。
広幅のリジット織機を使って、布を織るKさんを中心に
リジット織機で織った自作布を、見たり触ったりしながら織機や布について談笑しました。リジット織機などの手織りの織機は、自動織機と異なり布を織る効率はとても悪いです。また織る人によって品質はバラバラです。しかし、紡いだ横糸や経糸にはとても個性があり、言わば世界に一つしかない芸術布と言えるでしょう。一方、世の中で流通している布は高速な自動織機で作っています。それなりに品質が良くしかも安く購入できます。織物の郷土史を調べている私としては、手織りしかなかった昔はどのようにして品質を保っていたのか知りたいところです。
リジット織の自作布 縫ったり買った着物を試着 各自、裁縫や織物
その昔、布を織る職人のことを「織子:おりこ」と呼んでいました。品質の良い布を早く織る織子には、注文が多く入っていたようです。しかも、高級な布を頼まれていました。給金も良かったようです。一方、上手でなかった織子にはなかなか注文が入らず、モンペなどの低級用途の布しか頼まれなかったようです。当然給金も少なかったのでしょう。当時織られた布の見本帳が残っています。当時の田布施では、縞,紬などいろいろな織物が織られていたことが分かります。
各自織物や裁縫をしながら、楽しげに情報交換
和綿,藍,そしてサツマイモの畑の耕耘除草をしました。和綿の種をまいたり、藍の苗を植え付けたり,そしてサツマイモ苗を植え付けてから約1ヶ月もの間草取りをしていませんでした。そのため、遠目にも雑草が目立つようになりました。このまま放置していると、畑を草が覆いつくしてしまいます。平クワを使っての除草は時間がかかり疲れます。そのため、耕耘機のロータリーを使って効率よく耕耘除草しました。
耕耘機のロータリーを回しながら和綿畑を耕耘除草
ロータリーを回しながら耕耘除草する時、間違って和綿の芽を傷つけないように注意しました。そのため、芽をギリギリ避けながら耕耘除草をしました。畝間も株間も1mにしたため、ロータリーを使って畝間も株間を機械的に除草できます。これから梅雨シーズンに入りますます雑草が勢いを増しますので、今後も暇をみては除草しようと思います。
サツマイモ畑の除草 和綿の芽を避けて耕耘 寄生植物ネナシグサ
耕耘除草をしていると、珍しい植物を見つけました。その植物はネナシグサです。名前のとおり葉がない寄生植物です。葉緑素を持っていないため白か黄色をしています。他の植物に巻き付いて、その茎に根を差し込みます。そして、その巻き付いた植物の栄養を吸い取ります。この寄生植物がはびこると、栽培植物は養分を吸い取られ枯れてしまいます。そのため、見つけるとすぐに引きちぎって投げ捨てなければなりません。
株回りにびっしり生えた雑草 手で綺麗に株回りを除草後
古道は、草刈りされている所とそうでない所が散在していました。草刈りされていない所は、膝上まで雑草が伸びておりやや歩きにくかったです。1時間位歩いて余田畑に近づくにつれて、舗装された道が出現するようになりました。また、眼下に整備された田んぼが見下ろせるようになりました。また遠くに氷室山や高照寺山が見えるようになりました。余田畑はもうすぐです。
永福寺の縁側で昼食休憩、涼しい風が吹いて体が休まる
獣が出そうな古道ばかり歩いたので、余田畑の民家が見え始めると安心しました。余田畑に着くと最初に永福寺に向かいました。永福寺に着くと、ちょうど地元の方が本堂内を掃除しておられました。その方にいろいろお聞きすると、永福寺は今、ご住職がおられないとのことでした。しかし、今でも花祭りや御詠歌のための集会を定期的に開催しているとのことです。また、自由に本堂内で休んでよいとのことでした。またトイレの場所を教えていただきました。ありがとうございます。お賽銭を入れてお祈りした後、お寺の縁側で昼食休憩をとりました。
昼に永福寺に到着 立派な永福寺本堂 昼食後永福寺を出発
昼食休憩が終わると、余田畑の柳井北部農村公園に向かいました。その公園は、余田畑ダムの湖(畑池)に沿う場所にありました。公園でトイレ休憩を取りました。少し休憩を取った後、坂道をどんどん登りました。途中、旧分教場跡と思われる広場に寄りました。
「三」と「記念」文字の石柱 余田や多賀神社の道しるべ石
その広場横に不思議な石柱がありました。「三」と「記念」は読めましたがあとの字は削られていました。おそらく神功皇后の三韓征伐の事ではないかと思われます。ちなみに、八幡八幡宮境内の石柱は「神功皇后三韓征伐」の文字がセメントで埋められています。余田畑の石柱の文字は、戦後GHQの勧告か何かで文字が削られたのではないかと思います。
もうすぐ稲荷神社 稲荷神社に到着 神社内にお地蔵様が
続いて坂道を登っていると、余田や多賀神社への道を示す道しるべ石がありました。その隣には顕彰碑が建っていました。この道しるべ石を左に向かうと、保生地、院内を通って余田に行くことができるようです。我々は多賀神社方面の道を進みました。さらに急坂を進み、稲荷神社に寄りました。この神社付近は、御岳山や琴石山がよく見える景色が良い場所です。稲荷神社で少し休憩しました。
今回下見した、田布施町小行司~柳井市余田畑のウォーキングコース
4月に開校式があった田布施町少年少女発明クラブ、6月に入り活動が佳境に入りました。先月まではどんな発明工作を作るかアイデアを考えたり、そのアイデアを図面化したりしてきました。今月からはノコギリ、釘、ペンチ、ヤスリ、金づち、半田ごてなどの工具をどんどん使って、自分が考えたアイデアを具現化します。工作室に37人の子供,指導員,そして保護者の50人位が混じっての工作です。エアコンがない部屋なので扇風機全開です。全員が工作するには狭い工作室なので、何人かは廊下にはみ出しての工作です。
指導員にアドバイスをもらいながら、自分のアイデアを制作中の子供達
工作している子供達を見ていると、去年までは比較的こじんまりした工作が多かったように思います。しかし、今年は木工作品を作る子供が多いよう思います。去年の秋、全員がノコギリを使って箱を作った経験があったからかも知れません。木工作品が多いためか、平均して作品が大きくなるようです。とにかく、いろんな道具を使う経験をして欲しいと思っています。
指導員のアドバイス 釘を打つ前にキリで穴あけ 板を前に思案中かな
他に面白いのは、これまで男の子は比較的に車を応用した作品が多かったように思います。今年は、モーターを使うにしても車作りが少ないようです。また、去年まで女の子は比較的おとなしい作品が多かったように思います。今年はノコギリを使う女の子が多いように思います。工作に対する熱意や工具を使う器用さは、男の子も女の子はあまり差はないようです。これからますます熱い日々が続きます。良い作品ができたらと思います。
友達と協力して板を切る ちょっと難しいかな?棒にほぞ穴を掘る
2ヶ月ぶりに、いつものメンバーが集まって楽しい夕べを過ごしました。今回集まった一番の目的は、来月予定の県外の観光地や史跡巡りコースの最終確認です。前回は北九州域の観光地や史跡巡りをしましたが、来月は西九州を予定しています。熊本>天草>島原>長崎方面です。20歳代、このコースを逆に旅行したことがあります。今から40年位前の事です。当時の西九州が、今はどう変わっているか興味があります。また、来月ウォーキングの下見やこれまでのウォーキングなどの話をしながら楽しい夕べが過ぎていきました。
美味しい料理に楽しい話題で、夕べを共に過ごしたいつもの仲間達
このところ忙しくて布を織る暇がなかなか取れません。当初、自分が紡いだ糸で布を織ろうと思っていました。しかし、糸紡ぎする時間も取れません。そのため、売っている白糸を使って布を織ろうと思い立ちました。私が持っている織機は、持ち運び型織機ですのでテーブルクロス程度の布しか織れません。忘れないうちに布を織ってみようと思います。まずは整経しなればなりません。江戸時代から明治にかけて、田布施町では盛んに布が織られました。当時はどのように整経していたのでしょうか。
整形台を使って、気長に経糸(16本 x 2組 x 8)を作る
整形する前に、経糸を何本にするか、長さを何センチにするか決めなければなりません。私は、経糸を三色に染めてチェック模様の布を作りたいと思っています。三色とは、藍で染めた青、紅花で染めた赤、タマネギで染めた茶です。そして、染めない白色を含めた四色でチェック模様ができたらと思っています。染めの素人ですので、薄く染まった経糸で十分です。
縦横兼用にする糸 長さ2mの経糸 整形台を糸が往復
経糸の長さは2mとしました。縦縞の色の順番は今のところ、青,赤,茶,白,青,赤,茶,白の予定です。この順番は、各色の染め具合を見てから再考しようと思います。経糸の本数は、16本 x 2組 x 8の256本の予定です。糸の配分は、青32本、赤32本・・・・白32本です。また、横糸も32本ごとに色を変えようかと思っています。整経,染め,織りと気長な作業が続きます。暇を見ての作業になるので、布ができるのに1年位はかかるのではないかと思っています。気の長い話です。
綜絖で交差する経糸部分 経糸16本分の出来上がり
今月の史跡巡りウォーキングは、田布施町小行司のにこにこパークをスタートして、柳井市余田畑を経由して、再び小行司に入り多賀社をお詣りします。そして最後に、スタートしたにこにこパークに戻ります。その下見をしてきました。下見をする理由は大きくは次の二つです。1番目は、ちゃんと歩くことができる道かどうかのルート確認です。2番目は、トイレの場所を確認することです。女性にとってトイレは譲れないポイントです。他に、休憩ポイントの確認などがあります。
低い草が生い茂る古道を歩きながらルート確認
にこにこパークで、本番ウォーキング時にお弁当を受け取ることができるかどうかの確認をしました。確認の結果、前日までに注文すれば当日朝に受け取ることができるとのことでした。ただし、当日雨でウォーキングが中止になってもお弁当の注文は有効です。そのため、雨の中を受け取りに行かなければなりません。そのリスクがあることを知っておく必要があります。
にこにこパークをスタート 日清戦役時の顕彰碑 黒杭ダム湖の脇を歩く
なお、5年前に小行司をウォーキングした時は晴天でした。そのため、注文したお弁当を美味しく食べることができました。さて、9:30に田布施町交流館に下見メンバーが集まりました。そして、車2台に分乗して小行司のにこにこパークに向かいました。10:00前に着いて、地図を出したり日傘などを出してたりしてウォーキングの準備をしました。
黒杭ダムを離れて山の中に 突然に広々とした田園が出現
10:00過ぎににこにこパークを出発しました。最初、柳井市街に向かう広い道路を黒杭ダム方面に向かって進みました。少しして、日清戦役で亡くなった伊陸の方の顕彰碑に寄りました。その顕彰碑を見た後、しばらくして道端の草刈りをしている地元の方々とすれ違いました。暑い中、ご苦労様です。緩い下り坂をどんどん歩いていると、トンネルが見えてきました。トンネル手前で道を横断して黒杭ダム湖の水辺に沿う小道を歩きました。
車通行禁止のバー設置 歩きやすい古道 未収穫の梅
その小道は、余田畑に向かう古道です。その古道を歩いていると道に迷いました。それでも進んでいると、急に目の前が開いて田園が広がりした。その頃、道を間違えたことに気が付きました。道を戻り、山に沿う古道を探し当てました。その古道、車での通過は禁止されていました。日陰で涼しく起伏が少ない歩きやすい古道でした。この古道は今、誰も歩いていないようです。いずれ自然に返り、木々に覆われると思います。
今回下見した、田布施町小行司~柳井市余田畑のウォーキングコース
今年のタマネギの出来はまあまあでしょうか。4月から葉付きのまま食べ始めています。今週になってから茎が次々に倒れ始めたため、すべてのタマネギを収穫しました。最初、タマネギを抜いたまま畑に1日程度並べて一次天日乾燥しました。次に、並べたタマネギを一輪車に載せて軒下に運びました。そして、軒下にぶら下げて二次天日乾燥しました。種まきして育苗したタマネギが、ちゃんと収穫できてありがたいことです。
結束したタマネギを、軒下にぶら下げて天日乾燥
去年の9月に種をまいて育苗したり、育苗したタマネギを植え付けしたり、購入した赤タマネギ苗を畑に植え付けしたりしました。特に今年は赤タマネギを植えてみました。どの苗も同じように立派なタマネギになりました。ただ、詳細にみると冬に追肥したタマネギの方が全体的に太っていました。タマネギの肥料は難しいです。肥料をやりすぎると、太くなるのですが長く天日乾燥できません。腐りやすくなるのです。
倒れたタマネギを抜く 一次乾燥中の赤タマネギ 普通と赤のタマネギ
一方で肥料を施さなかったタマネギはもちろん太りません。個人的には、タマネギ畑を作る時の元費と冬の施肥がタマネギ栽培のポイントかなあと思っています。タマネギは自宅で消費するより多く収穫できました。天日乾燥限度の12月頃までの間、親戚に届けたり、皆さんにお分けしようと思います。
一輪車に積んで軒下に運搬 数個ごとにまとめて縄で結束
午後から雨が降りましたが、午前中まではカラカラのお天気でした。雨が降る前に、和綿畑の除草をしました。この畑は面積が広いため、草刈機を使って除草しました。手を使っての除草は腰を悪くします。そのため、ここ最近は草刈機だけで除草しています。ただ、草刈機は注意しないと雑草と一緒に和綿を刈り取ってしまいます。和綿を傷つけないように草刈機を使いました。ところが・・・・
地面が乾燥しているため、除草中に土煙が発生
ところが・・・・数日前と比べて発芽した和綿が減っていることに気が付きました。やれやれ、この和綿畑もネキリムシの被害です。確か、和綿の種は5~6粒/株まいたはずです。しかし、まったく発芽しないか、1本程度しか発芽していません。株元をほじくってみると、根から上が食べられていました。そして、丸々と太ったネキリムシがどの株にも潜んでいました。午後からネキリムシ退治と再度和綿の種まきをすることにしました。
和綿(〇印)周辺の雑草 草刈機で丁寧に除草中 和綿周辺の除草完了
午後、ネキリムシ被害のあった和綿の株元をほじくってネキリムシを探しました。ネキリムシを取り除くと、和綿の種を5~6粒/株まきました。今年は、種まきをやり直す綿畑の続出です。農薬を使わない害虫の駆除方法はないものでしょう。害虫がいやがる除虫菊やマーガレットなどの植物を周辺に栽培するとよいかも知れませんが。
和綿近くを草刈機で除草中 水をふりかけて土埃にまみれた綿を綺麗に
5月初めに息子夫婦や友達に袋掛けしてもらった桃が大ピンチです。先日雨が降った時、根本近くの太い枝が折れてしまいました。雨で濡れた葉の重みや風に耐えかねたのでしょう。その枝先には10個位の袋掛けした桃があります。枝が折れたので、葉が枯れるだろうと思っていました。そして、桃もしぼんでいくだろうと思っていました。ところが、葉がしおれる気配がありません。さらに桃もしぼみません。不思議なことです。
根本近くの折れた枝と、その枝先の葉や袋掛けした桃
折れた太い枝をよく見ると、枝の下部がかろうじて繋がっています。この繋がった部分を通じて枝先に水や養分が供給されているようです。これから梅雨のシーズンに入ります。雨で折れた個所がだんだん腐っていくと思います。そうなれば、枝先の葉が枯れたり、桃も成熟しなくなると思います。あと一ヶ月頑張ってくれれば、折れた枝先の桃を収穫できます。明日、折れた個所に腐敗を防ぐ薬を塗っておこうと思います。この冬、残念ですが、刈れた箇所をノコギリで切断します。
かろうじて枝下半分が繋がる 今のところ桃は成熟途上
秋に種まきをして冬を越した紅花が、ようやく花を咲かせるようになりました。紅花は古くから、植物由来の赤色染色剤として珍重されてきました。三年ほど前から栽培していますが、最初は栽培方法がよく分かりませんでした。そして、山口県では冬に育てた方が良いことがだんだん分かってきました。さらに、移植に弱い植物であることも分かってきました。つまり、直播ではよく育つのですが、苗を育てて移植すると育ちが悪いのです。
これから2週間位に渡って、次々に咲く花びらを収穫
冬を越して大きく育った紅花の花びらを、今年初めて収穫しました。今後2週間位にわたって収穫して天日乾燥します。そして、乾燥した花びらを使って布を赤く染色します。なお、花には鋭い棘があります。刺されないように注意して花びらを取り出します。ところで、まだ紅花を使っての染色に慣れていません。花びらには黄色と赤色の染色成分があるとのこと。水に溶けやすい黄色を最初に洗い流して、次に赤く染色するそうです。また、色を固定する焙煎剤についても勉強しなければなりません。
大きく綺麗な黄色の花 やや赤みが出始めた頃に収穫
紅花畑を見て回っていると、白い花びらの紅花があることに気が付きました。白い花びらは染色できないと思われるため、もったいないのですがその株は抜いておきました。紅花のまわりに蝶々がヒラヒラ舞っていました。モンシロチョウです。そう言えば、東京で暮らしている時、ある施設で紅花の花びらを取り出すボランティアをしたことがあります。株ごと刈り取って部屋に持ち込んで花びらだけ取るのです。花びら以外の茎や葉などを捨てていました。そのようにすると種を取ることができません。私は、畑に入って花びらだけ収穫しています。すると、あとで種を取ることができるのです。
次々に咲く花と、花にとまって蜜を吸うモンシロチョウ
5月初めから、綿の種類別(洋綿,和綿,茶綿,緑綿,灰綿)に畑を分けて種まきをしました。それぞれの畑で、綿が次々に芽生えています。ところが、洋綿の畑だけは壊滅状態なのです。発芽したにもかかわらず、次々に葉が倒れたり枯れたり縮んだりしています。これはネキリムシの仕業です。今年は異様にネキリムシが多いようです。ネキリムシは昼間は地中に潜んでいて、夜に出て根,葉,茎を食い荒らします。被害のあった株は再度種まきしました。ところで。隣の畝に種をまいていた紅花も壊滅状態でした。紅花はすべての種をまいてしまったため、再度の種まきはできませんでした。
発芽するものの、すぐにネキリムシに食い尽くされる綿の芽
ネキリムシはふだん地中に潜んでいます。食い尽くされた綿芽近くを指でほじくり返すと、丸々と太ったネキリムシが出てきます。土と同じような色をしているため、なかなか見つけることができません。すべての株をほじくり返すのはとても難儀です。それでも、ネキリムシを見つけては再び綿の種をまいています。中腰の姿勢を続けていると腰が痛くてたまりません。やれやれです!
茎から上が無い綿芽 ほじくり出したネキリムシ 再び綿の種まき
島食堂ひなたを出て馬島側への道を進みました。その道をどんどん進むと、島固有の街並みに出ました。そして、山に向かう細い一本の石階段の小道に入りました。その道をどんどん登るごとに、左右に民家の玄関や庭が次々に現れました。さらに登ると、一本の舗装道路に出ました。その道路は馬島を一周する道です。軽トラックがぎりぎり通ることができる細さです。その道をのんびり歩いていると、畑でタマネギを収穫している方がいました。その方に声をかけてみました。
馬島の街並みの頂上にあった大師堂
その農作業している方に声をかけて、地元のお地蔵様やお寺についていろいろお聞きしました。すると、大師堂がすぐ近くの山道を登った先にあること、民家の海側に神社があることを教えてもらいました。大津島は回天記念館で知られていますが、それ以外に寺や神社もあったのです。その地元の方にお礼を言って大師堂に向かいました。
大師堂内のお地蔵様 大師堂傍のお地蔵様 馬島の民家から見た海
大師堂は、細い山道を登り切った場所にありました。大師堂周辺をよく見ると、かつては棚田だったと思われる段がありました。その元棚田は長い間耕されていないようで雑木で覆われていました。大師堂に着くと、隣に釜戸がある部屋がありました。今でも何とか使われているようでした。大師堂に向かう山道の草も刈られていました。残り少ない住民が大師堂を何とか守っているのではないかと思います。
神社の拝殿や燈篭 神社拝殿の傍にあるお地蔵様
大師堂を出ると、海まで一気に下る石段を降りました。降りる時に急ぎ過ぎたのか、一人が滑って転んでしまいました。海に到着寸前に神社に着きました。近くにいた方に聞きましたが、地元の方ではなかったようで神社の名前は結局分かりませんでした。
皆さんに乗船券を渡す 全員船に乗り徳山へ 徳山港に無事到着
神社をお詣りしていると、スマホに電話がかかりました。馬島港で皆さんが待っているとのこと。全員の乗船券を私が持っていたため、急いで港に直行しました。皆さんに乗船券を渡して、無事に船に乗りました。雨模様のウォーキングでしたが、皆さん楽しく歩くことができたと思います。参加された方々、お疲れ様でした。次回は、小行司,黒杭,余田畑方面の史跡を巡るウォーキングです。
大津島回天記念館など、史跡巡りをしたコース