東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 小行司~余田畑周辺史跡巡りウォーキングの下見(2/3)

2019年06月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 古道は、草刈りされている所とそうでない所が散在していました。草刈りされていない所は、膝上まで雑草が伸びておりやや歩きにくかったです。1時間位歩いて余田畑に近づくにつれて、舗装された道が出現するようになりました。また、眼下に整備された田んぼが見下ろせるようになりました。また遠くに氷室山や高照寺山が見えるようになりました。余田畑はもうすぐです。

       永福寺の縁側で昼食休憩、涼しい風が吹いて体が休まる


 獣が出そうな古道ばかり歩いたので、余田畑の民家が見え始めると安心しました。余田畑に着くと最初に永福寺に向かいました。永福寺に着くと、ちょうど地元の方が本堂内を掃除しておられました。その方にいろいろお聞きすると、永福寺は今、ご住職がおられないとのことでした。しかし、今でも花祭りや御詠歌のための集会を定期的に開催しているとのことです。また、自由に本堂内で休んでよいとのことでした。またトイレの場所を教えていただきました。ありがとうございます。お賽銭を入れてお祈りした後、お寺の縁側で昼食休憩をとりました。

  昼に永福寺に到着     立派な永福寺本堂    昼食後永福寺を出発
  

 昼食休憩が終わると、余田畑の柳井北部農村公園に向かいました。その公園は、余田畑ダムの湖(畑池)に沿う場所にありました。公園でトイレ休憩を取りました。少し休憩を取った後、坂道をどんどん登りました。途中、旧分教場跡と思われる広場に寄りました。

  「三」と「記念」文字の石柱       余田や多賀神社の道しるべ石
 

 その広場横に不思議な石柱がありました。「三」と「記念」は読めましたがあとの字は削られていました。おそらく神功皇后の三韓征伐の事ではないかと思われます。ちなみに、八幡八幡宮境内の石柱は「神功皇后三韓征伐」の文字がセメントで埋められています。余田畑の石柱の文字は、戦後GHQの勧告か何かで文字が削られたのではないかと思います。

 もうすぐ稲荷神社      稲荷神社に到着    神社内にお地蔵様が
  

 続いて坂道を登っていると、余田や多賀神社への道を示す道しるべ石がありました。その隣には顕彰碑が建っていました。この道しるべ石を左に向かうと、保生地、院内を通って余田に行くことができるようです。我々は多賀神社方面の道を進みました。さらに急坂を進み、稲荷神社に寄りました。この神社付近は、御岳山や琴石山がよく見える景色が良い場所です。稲荷神社で少し休憩しました。

   今回下見した、田布施町小行司~柳井市余田畑のウォーキングコース


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