野党がどんなに反対しようが、国防や治安に対して日本国民を守れない限り、正論にならない。例えば日本の国防が世界最大になったとしても、それが即他国の侵略に結びつかないのは、現在の政治や経済を見れば明らかだろう。むしろ、日本経済が悪化し、資源も手にできなくなるような状況が発生すれば、野党ですら他国の侵略を提言するんじゃないか? 過去の歴史ではそうなっている。
目先のことしか考えてないなら、今どんなに平和だとか、唱えてみたところでご都合主義的な意見でしかない。政権交代の必要性だって具体的なメリットも見えない状況ではそれこそ自分たちが権力を握りたいとしか思えない。
その例が地方行政だろう。本当に地方を活性化し、市民の生活を保護したいのなら、何故、無防備都市宣言という意味のない宣言をするんだろうか?
政治の主義なんか本当にどうでもいいんだ。国民が安心して生活していける国が欲しいだけだ。それを満たさない限り、とてもじゃないが外国人が住みやすい国などできる訳がない。差別はどういった状況で生じるのか考えてもないで、平等だとか格差撤廃と叫んだところでなくならない。いじめも同じだ。
不満が出るということは、不満の原因がある。その原因は何かと言えば、法律や道徳も守って生きても生活ひとつできない社会構造って点じゃないのか?
だからといってみんな平等というのは、誰もが望んでないはず。何故なら、他人と比較して自分が低いってことは決して満足ではないからだ。
ゆえに格差とか平等って思考することこそ、差別のはじまりだ。
自由とは責任を負う。表現の自由というなら、作者が責任を負うような仕組みを作ればいい。同時にそれに協賛したモデルやスタッフすべてが責任を負う。
そこまで覚悟してそれでもタブーに挑戦するなら、それはすでに法の規制だけではすまない。言論統制だって歴史上幾度も繰り返したが、結局いつかは破れる。
ただし、道徳、モラルは別だろう。理性といってもいい。誰もが表の顔と本音がある。本音の部分では例えばクローズされかつ登録された世界であれば認めるなどにすればいいだけだ。すべてを封鎖したところで、地下で活動するのは明らかであり、それまで排除することは本当に自由を奪うことでしかない。
誰もが話題にしないんだが、本来子供だから責任を負わないでもいいって発想は間違いだろう。子供だろうが社会で活動する限りは責任を伴う。ネット社会でも同じ。そこには大人も子供も違いはない。つまり子供なら無責任でもいい、という土壌がイジメの温床になる。これにはきっちり罰をつくり、きちんと執行させた後には社会に再び参加させる。ここで何もしない子供との差はあって当然なんだ。
そういった社会的責任というのは誰もが負うって社会でない限りは好き勝手なままの自由という言葉が飛び交うだけだろう。
別にいい子である必要はないし、個性があってもいい。責任を追えるならだ。
借金や経済自立ができない大人も同じできちんと自分の責任を考えないからだ。
やり直すために個人破産がある。しかし、そこまで行かないで経済自立できないってのは、どう考えても本人の問題でしかない。経済自立ができない状態での出産や育児が可能か考えるなら、子供を作らないって発想するのが責任を負う者だろう。
そこではじめて生活基盤が何故自立で維持できないのか、という問題になる。
このプロセスを飛び越えて、母子(父子)家庭を支援しろってのは、乱暴すぎる。
子供を産み育てるのに誰もが平等という発想は、子供の人権保護からすれば矛盾している。子供は親を選べない。飲んだくれの父親だろうが、ギャンブルばかりの母親だろうが、子供に取っては親って発想をやめないかなぁ。本当に子供の未来を考えるなら、こういった無責任な親よりはきちんと自立して生活している親の方がずっと必要なんだ。成功した人をみない限り、成功するのは難しいからだ。
反面教師というが、それは本当に経済的、心理的に支えてくれる親族がいればこそ言えることで、愛情もない、貧困状況で育って本当にまともな社会生活が送れると思うのか?
児童ポルノとか随分前から騒いではいる。しかし、アジア諸国、EU諸国では体を売らなければ生活できない子供が存在している事実に目を瞑るのはいかがなものか。
そういった子供たちへの自立まで考えないで児童ポルノうんぬん、と言うのはおかしい。むしろ、そういった親がいなくて生活できない、ストリートチュルドレンをどう自立させてあげられるのか、そこまで考えて欲しいもんだ。それこそ、難民と同じように人口の何%かは日本国で難民と同じように受け入れるとか考えてもいいと思うよ。原因はそういった貧困層の子供たちが生活するために選択する手段からなくさないと絶対になくならない。逆に日本のような経済自立している国であれば、しっかり児童でも罰することを考えるべきだろう。
まあ、肖像権というか、知らないところで自分の姿を撮影されるなんてのは、確かに気持ちがいいもんじゃないから、それは法律的にきちんと定めるべきだろう。
ただし、ここには児童だけではなく大人も許可なく撮影禁止っていうようにだ。
雇用問題はどうなるのか。企業は今でも同じような給与体系でしか雇用を考えない。例えば、月給は生活ができる最低水準で誰もが同じに保障され、成果などでは賞与で評価するとか考えないんだろうか? 学歴とかではじめから給与が決まるってのがそもそもおかしい。なにせやることはいっしょだったりもするんだもんな。
成果や評価に学歴や資格を入れればいいだけで、月々の給与だけは保証させるしかない。ローンとかだって頭金をためるなどいくらでも利子がかからない方法はある。管理職や役員、経営者だって賞与以外はみんな同じ金額でもいいと思う。
あとは退職するときに退職金ってのもやめてもいい。その分賞与で払えばいい。
あとはもらった人の責任でどうするのか決めればいい。何も企業がそこまで面倒みないでもいいだろうになぁ。年金も401Kでいい。
これが本当に自由かつ責任がある給与をもらう側からの提案なんだけどね。
最終的には年収で格差はでる。それはそれで当たり前だ。何年も働いて、成果も出しても給与が同じじゃそれこそヤル気は失せる。賞与だって年4回にすればいい。
アルバイトやパート労働者にしてももう少し考えてやらないと駄目だろう。
雇用保険などはやっと適用うんぬんと言い出したようだが、それだって雇用者が個人で加入できるなどの方法も考えて欲しい。なにせ雇い主側が確実に雇用保険を適用するなんて保障はないからだ。年金手帳じゃないが、労働者も例えば一意の管理番号を所持するなどして、パート、アルバイト、正社員、契約社員と職歴が判明する仕組みにすればいいだけだと思うんだが、やらないのか?
社会保険番号って米国式もあるが、豪州式税金ナンバーという方法もある。
税金が一番いいのは、それに福祉も連動すれば確実なんだけど、まあ、反対する馬鹿がいるんだろう。利用者側からすれば個人情報保護だけ法的にしっかり定めてもらえば、便利だと思うけどね。そうなると日本国民もICカード付きIDカード所持ってのが一番いい方法だと思う。これがパスポートとも連動すれば確実だろう。
管理されることを望むくせに、何故反対するんだろうか? 国から金を無心することには誰も反対しないくせに、どうしてなんだろうか?
さて、この番号のメリットは国からすれば国民数、その移動、収入とすべてのデータが入手できることにある。要は正しいデータさえあれば正しい予算が組めるから無駄もなるなるはずなんだけどね。
個人情報を一括管理するメリットは個人だけではなく、金融や銀行でも役立つ。
そう遠くない日には実現すると思う。それこそ動物のように人間にチップを埋め込むとかありそうだからなぁ。まあ、反対しても管理する側に取って無駄なく効率がよい方法としてはこれぐらいしかないんだもんなぁ。
メリット、デメリットを双方考えても、別に騙すとか考えてないなら、いいと思う。それこそ借金だらけであれば、その利子で生活できないのならどうすればいいのかって判断もできるだろう。病気であればカルテ情報をどこの病院でも閲覧できるようになればたらいまわしも怖くない。要はプライバシーというのは、うさんくさいことを考えてない限りは気にしないでもいいってことだ。
いろんな情報が統合化されてないために面倒な手続きや確認作業が増えるだけだ。
それをなくすだけでもかなり効率もよくなる。便利ってこうゆうことだ。
どんなことでも極限すればお話の世界になるだけだ。
現実として安心した社会ってのは、日々それなりにいろんなことがあるが、いつかは家も持って家族で住めるって具体的な夢が実現できる社会ってことじゃないのか? 30歳までに金を貯めて、さっさと引退して好きなことをやるってのでもいい。すべてが経済が安定し、雇用が安定することが先ず何よりも重要なんだ。
そのためにはどうすればいいのか、そこから考えていくしかない。
補足:
こんなSFみたいことを考えても現実はもっと悲惨という奴もいる。
だけど悲惨といったところで、誰が悪い、誰のせい、と文句を言ったところで何も変わらない。生きるのは自分自身。既成概念というか、見栄をすてれば真実が見えてくると思っている。給与がいい仕事が見つからないのは、そういった職種に適材じゃないだけって気が付けばいいだけじゃないのか? それとも自分で自営するか。そんな根性がないなら、社会が作ったレールの上を脱線しないように進むしかない。それこそ公務員でいいと思う。それだって試験があるんだけどね。
何もしないで文句だけ言って生活できる、というなら評論家になればいい。
人の上下左右など関係ない。いかに自分が望む方向へ進めるかだけだ。それが正しいかどうかも関係ない。人生に攻略法はないからだ。
目先のことしか考えてないなら、今どんなに平和だとか、唱えてみたところでご都合主義的な意見でしかない。政権交代の必要性だって具体的なメリットも見えない状況ではそれこそ自分たちが権力を握りたいとしか思えない。
その例が地方行政だろう。本当に地方を活性化し、市民の生活を保護したいのなら、何故、無防備都市宣言という意味のない宣言をするんだろうか?
政治の主義なんか本当にどうでもいいんだ。国民が安心して生活していける国が欲しいだけだ。それを満たさない限り、とてもじゃないが外国人が住みやすい国などできる訳がない。差別はどういった状況で生じるのか考えてもないで、平等だとか格差撤廃と叫んだところでなくならない。いじめも同じだ。
不満が出るということは、不満の原因がある。その原因は何かと言えば、法律や道徳も守って生きても生活ひとつできない社会構造って点じゃないのか?
だからといってみんな平等というのは、誰もが望んでないはず。何故なら、他人と比較して自分が低いってことは決して満足ではないからだ。
ゆえに格差とか平等って思考することこそ、差別のはじまりだ。
自由とは責任を負う。表現の自由というなら、作者が責任を負うような仕組みを作ればいい。同時にそれに協賛したモデルやスタッフすべてが責任を負う。
そこまで覚悟してそれでもタブーに挑戦するなら、それはすでに法の規制だけではすまない。言論統制だって歴史上幾度も繰り返したが、結局いつかは破れる。
ただし、道徳、モラルは別だろう。理性といってもいい。誰もが表の顔と本音がある。本音の部分では例えばクローズされかつ登録された世界であれば認めるなどにすればいいだけだ。すべてを封鎖したところで、地下で活動するのは明らかであり、それまで排除することは本当に自由を奪うことでしかない。
誰もが話題にしないんだが、本来子供だから責任を負わないでもいいって発想は間違いだろう。子供だろうが社会で活動する限りは責任を伴う。ネット社会でも同じ。そこには大人も子供も違いはない。つまり子供なら無責任でもいい、という土壌がイジメの温床になる。これにはきっちり罰をつくり、きちんと執行させた後には社会に再び参加させる。ここで何もしない子供との差はあって当然なんだ。
そういった社会的責任というのは誰もが負うって社会でない限りは好き勝手なままの自由という言葉が飛び交うだけだろう。
別にいい子である必要はないし、個性があってもいい。責任を追えるならだ。
借金や経済自立ができない大人も同じできちんと自分の責任を考えないからだ。
やり直すために個人破産がある。しかし、そこまで行かないで経済自立できないってのは、どう考えても本人の問題でしかない。経済自立ができない状態での出産や育児が可能か考えるなら、子供を作らないって発想するのが責任を負う者だろう。
そこではじめて生活基盤が何故自立で維持できないのか、という問題になる。
このプロセスを飛び越えて、母子(父子)家庭を支援しろってのは、乱暴すぎる。
子供を産み育てるのに誰もが平等という発想は、子供の人権保護からすれば矛盾している。子供は親を選べない。飲んだくれの父親だろうが、ギャンブルばかりの母親だろうが、子供に取っては親って発想をやめないかなぁ。本当に子供の未来を考えるなら、こういった無責任な親よりはきちんと自立して生活している親の方がずっと必要なんだ。成功した人をみない限り、成功するのは難しいからだ。
反面教師というが、それは本当に経済的、心理的に支えてくれる親族がいればこそ言えることで、愛情もない、貧困状況で育って本当にまともな社会生活が送れると思うのか?
児童ポルノとか随分前から騒いではいる。しかし、アジア諸国、EU諸国では体を売らなければ生活できない子供が存在している事実に目を瞑るのはいかがなものか。
そういった子供たちへの自立まで考えないで児童ポルノうんぬん、と言うのはおかしい。むしろ、そういった親がいなくて生活できない、ストリートチュルドレンをどう自立させてあげられるのか、そこまで考えて欲しいもんだ。それこそ、難民と同じように人口の何%かは日本国で難民と同じように受け入れるとか考えてもいいと思うよ。原因はそういった貧困層の子供たちが生活するために選択する手段からなくさないと絶対になくならない。逆に日本のような経済自立している国であれば、しっかり児童でも罰することを考えるべきだろう。
まあ、肖像権というか、知らないところで自分の姿を撮影されるなんてのは、確かに気持ちがいいもんじゃないから、それは法律的にきちんと定めるべきだろう。
ただし、ここには児童だけではなく大人も許可なく撮影禁止っていうようにだ。
雇用問題はどうなるのか。企業は今でも同じような給与体系でしか雇用を考えない。例えば、月給は生活ができる最低水準で誰もが同じに保障され、成果などでは賞与で評価するとか考えないんだろうか? 学歴とかではじめから給与が決まるってのがそもそもおかしい。なにせやることはいっしょだったりもするんだもんな。
成果や評価に学歴や資格を入れればいいだけで、月々の給与だけは保証させるしかない。ローンとかだって頭金をためるなどいくらでも利子がかからない方法はある。管理職や役員、経営者だって賞与以外はみんな同じ金額でもいいと思う。
あとは退職するときに退職金ってのもやめてもいい。その分賞与で払えばいい。
あとはもらった人の責任でどうするのか決めればいい。何も企業がそこまで面倒みないでもいいだろうになぁ。年金も401Kでいい。
これが本当に自由かつ責任がある給与をもらう側からの提案なんだけどね。
最終的には年収で格差はでる。それはそれで当たり前だ。何年も働いて、成果も出しても給与が同じじゃそれこそヤル気は失せる。賞与だって年4回にすればいい。
アルバイトやパート労働者にしてももう少し考えてやらないと駄目だろう。
雇用保険などはやっと適用うんぬんと言い出したようだが、それだって雇用者が個人で加入できるなどの方法も考えて欲しい。なにせ雇い主側が確実に雇用保険を適用するなんて保障はないからだ。年金手帳じゃないが、労働者も例えば一意の管理番号を所持するなどして、パート、アルバイト、正社員、契約社員と職歴が判明する仕組みにすればいいだけだと思うんだが、やらないのか?
社会保険番号って米国式もあるが、豪州式税金ナンバーという方法もある。
税金が一番いいのは、それに福祉も連動すれば確実なんだけど、まあ、反対する馬鹿がいるんだろう。利用者側からすれば個人情報保護だけ法的にしっかり定めてもらえば、便利だと思うけどね。そうなると日本国民もICカード付きIDカード所持ってのが一番いい方法だと思う。これがパスポートとも連動すれば確実だろう。
管理されることを望むくせに、何故反対するんだろうか? 国から金を無心することには誰も反対しないくせに、どうしてなんだろうか?
さて、この番号のメリットは国からすれば国民数、その移動、収入とすべてのデータが入手できることにある。要は正しいデータさえあれば正しい予算が組めるから無駄もなるなるはずなんだけどね。
個人情報を一括管理するメリットは個人だけではなく、金融や銀行でも役立つ。
そう遠くない日には実現すると思う。それこそ動物のように人間にチップを埋め込むとかありそうだからなぁ。まあ、反対しても管理する側に取って無駄なく効率がよい方法としてはこれぐらいしかないんだもんなぁ。
メリット、デメリットを双方考えても、別に騙すとか考えてないなら、いいと思う。それこそ借金だらけであれば、その利子で生活できないのならどうすればいいのかって判断もできるだろう。病気であればカルテ情報をどこの病院でも閲覧できるようになればたらいまわしも怖くない。要はプライバシーというのは、うさんくさいことを考えてない限りは気にしないでもいいってことだ。
いろんな情報が統合化されてないために面倒な手続きや確認作業が増えるだけだ。
それをなくすだけでもかなり効率もよくなる。便利ってこうゆうことだ。
どんなことでも極限すればお話の世界になるだけだ。
現実として安心した社会ってのは、日々それなりにいろんなことがあるが、いつかは家も持って家族で住めるって具体的な夢が実現できる社会ってことじゃないのか? 30歳までに金を貯めて、さっさと引退して好きなことをやるってのでもいい。すべてが経済が安定し、雇用が安定することが先ず何よりも重要なんだ。
そのためにはどうすればいいのか、そこから考えていくしかない。
補足:
こんなSFみたいことを考えても現実はもっと悲惨という奴もいる。
だけど悲惨といったところで、誰が悪い、誰のせい、と文句を言ったところで何も変わらない。生きるのは自分自身。既成概念というか、見栄をすてれば真実が見えてくると思っている。給与がいい仕事が見つからないのは、そういった職種に適材じゃないだけって気が付けばいいだけじゃないのか? それとも自分で自営するか。そんな根性がないなら、社会が作ったレールの上を脱線しないように進むしかない。それこそ公務員でいいと思う。それだって試験があるんだけどね。
何もしないで文句だけ言って生活できる、というなら評論家になればいい。
人の上下左右など関係ない。いかに自分が望む方向へ進めるかだけだ。それが正しいかどうかも関係ない。人生に攻略法はないからだ。