The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

選挙演説妨害となる大声や他人数のシュプレヒコール、プラカードをやめさせろ

2017-10-08 04:33:25 | Weblog
選挙演説は、それぞれの言論の自由に基づいた表明だ。つまり一方的なコミュニケーションを発信して、その反応で効果を測定できる。ゆえに興味がない話題なら誰一人として聞く人はいないだろう。だが、一人でも聞いているなら、それを妨害することを認めるような選挙法はおかしいのだ。今ではコミュニケーション手段の多様化でネットやマスメディアによってリアルタイムかつ場所を問わないコミュニケーションが可能になった。それでもまだ人が立って演説するのだ。これは世界共通なレガシーとも言える。どうしてなんだろうか。一つには空気が伝わる点がある。マスメディアやネットだと、視覚や聴覚がに提供元からの制限がある。つまり提供元の都合で音声をカットしたり、映像をカットや加工できるからだ。聴衆の反応というのもある。特に日本人は他人がどう反応しているのかを気にする文化のおかげで、自らがトンデモナイような世間から外れてないか、とここで検証できるともいえる。この効果を使ったのが演説者へのネガティブコールを繰り返すことだ。これによって、いかにも演説者が不適切者だという印象を与えたいという思いが見えている。だが。現実にそういった効果よりも「面倒なことに巻き込まれなたくない。」という感情が先行して、あえてうるさい場所で聞くことを選ばないで聴衆は去るのだ。過去の与党側の演説と各野党側の演説を比較して見るとよくわかる。結論としては、こういった行為を自由と法治するのであれば、演説側はすべて事前に登録した閉鎖空間またはネットのみで配信とするのが好ましいだろう。この理由の背景には、実はネガティブ活動を支援しているのが外国人による組織や団体関与というがあるからだ。また、支援団体も選挙だというのに、政治に堂々と関与してくる。どう考えてもおかしな話。そもそも支援団体があることこそ、流行の「忖度」そのものだ。つまり支援組織のマリオットであって、一般民衆すべてのためにどうする、という訳ではない。だからある意味、それぞれの支援団体や組織がどこかののかも選挙立候補者の政党は明確に投票者に表示する義務も担うはずだ。

それにしても、党首討論はかつてにないほど、意味不明な時間の無駄で終わったのはどうしてなんだろうか。何故、戦争反対を掲げる政党は、北朝鮮のミサイルや拉致問題への解決方法について、言及できないのか。だって戦争が嫌なのだから、問題をどう解決するのかを提示しない限り、「日本人はみなあきらめて、無抵抗で死ね」とはっきり言えば良いだけだ。何故なら日本に帰化した外国人の中にはそういった要望を持っている人がいないとは言えないからだ。彼らは法的にはすでに日本人なのだから、「日本人は黙って無抵抗で死ね」という政策を望んだとしてもなんらおかしくはない。リセットなんちゃら、というのも同じ。そんなゲームみたいにうまくいくなら、人類なんてとっくに絶滅していた、と思うのだが。人類なんて高等知能があると言いながら、もっとも欲深く、自己就寝的な生物だ。

ならば、誰にでも公平な意見を表明する機会を守るためにも、こういった阻害する要素は排除するのが好ましい。また、辻演説の場所にしても、選挙委員会なりが警察と協力して、危険がない場所での演説場所をそれぞれに管理するのが好ましい。ネット時代に予約できないのもおかしな話だし、周辺の安全確保すら警察はできないとすれば、それこそ日本国内の治安は安定しているとは言い難い。選挙管理委員会も警察も意見の違いを暴力、声の暴力で封鎖させないで、きちんと意見を伝えられる環境を提供するのが役目だろう。どんな意見であっても、公的に立候補できる政党や無所属立候補者および投票者なら当然、守られるべき権利だ。

自分の選択基準は、国防であり、それは安定経済政策でもある。日本はもっと広い世界の目で世界への貢献を考える時代でもある。あまりに近隣諸国に縛られすぎるから、経済もビジネスも停滞するのだ。労働人口も同じだし、移民と難民の意味ですら未だに国会議員そのものが理解してないのだ。まず、日本政府がやるべきことは、日本人家庭による貧困の廃絶。外国人家庭については、日本政府の保護の順番からすれば、難民救済より低いのだ。むしろ、外国人の権利とはそれぞれの国との信頼関係に依存するからだ。ゆえに生活保護は外国人には適用しないのが当然となる。この場合、帰国費用(渡航費)と保持している資産への課税と徴収方法が決まればいいだけだ。決して、温情だとか人道だとか、あいまいな法で適用することは正式に滞在している外国人への裏切りでもあると心すべき。また不法入滞在者や入国者の強制退去はどのような理由があっても速やかに実行する。同時に出身国の数によっては、今後のビザなし来日、留学などのビザ発行に制限を加える。出身国にしっかり罰してもらう意味だ。何故なら正式な手順でビザを得、かつ違反もしない観光者、留学生もいるだから。確か現政府は報われることを良しとしていたはずだ。当然ながらこれは近隣諸国へも反映したいのだが、果たして条約を締結しても守ってもらえるのかと、疑念は深く残っている。そのため、解決するまでは双方とも凍結ということで、ビザなし来日に制限するのが好ましい。なにせ未だに不法入国者や滞在者だった彼の国の人たちが何世代も居座って日本の国政にまで関与するための団体や組織があるのだ。おまけにその団体や組織は彼の国政府からの支援を受けているという始末。こりゃどう考えても外国政府が日本の選挙に関与しているというスキャンダルだ。だが、マスコミと呼ばれるメディアは報じない。何故なら彼らの資源そのものが外国政府という可能性もある。国営企業とかだ。外国で日本農協組合とかの宣伝をみたことはないが、まあ、日本食ブームの中にある日本米がこれにあたるのかもしれない。こういった広告がメディアの資金となれば、メディアは日本への悪口の記事や評論を発表するとは考えにくい。これが反日企業の広告であっても同じ。日本のポジティブ記事を発表するのは広告主からすればクレームがくるのは当然なのだ。これが商業広告のルール。だから広告税が必須なのだ。広告を独自世界のみにクローズし、例えば、反日国家の企業による広告には制限を加えることが可能になるからだ。

投票者は物語を見ている気分ではなく、裁判官の目で選挙演説を判断して欲しいと心から望む。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする