あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_深緑の情島一周お散歩ツーリング

2015年05月31日 | 旅するシーカヤック
2015年5月31日(日) 今日で5月も終わり。 昨日の雨も上がり、梅雨入り前の晴れの休日。
今日の潮は大潮。 朝8時頃が満潮で、午後2時頃の干潮に向けて引き潮が続く。
瀬戸内海、特にこの芸予諸島でカヤックを楽しむには、潮汐表抜きには考えられない。

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満潮干潮の時間と、潮の流れを考慮して出艇時刻と出発地点、漕ぎ進むルート、出発地点に向けて引き返す時刻を決める事が、楽にツーリングを楽しむ秘訣なのである。
はてさて、今日はどこを漕ごうかな?

地図を眺めながら一思案。 ああでもない、こうでもない。。。
とはいえこれもツーリングの一環であり、実に楽しい一時なのである。

昨日の午後が雨の予報だったため、残念ながらこの週末はキャンプツーリングを諦め、日曜日だけの日帰りツーリング。
キャンプツーリングが好きな俺は、元々ガシガシ長距離を漕ぐ派ではなく、のんびりまったりとシーカヤックを含む旅を楽しみたい。

どうせ日帰りなら、気持ちの良いエリアをごく短時間でも、のんびりまったり海のお散歩を楽しむ事ができれば良いのである。

『潮流の影響が少なくて、最近漕いでなくて、家から近くて、気持ちの良いエリア。。。 ようし、情島に決まり!』

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『じゃあ、ちょっと漕いでくるよ。 昼前には戻る』
シーカヤックは年中ワゴンに積みっぱなしにしてあるので、思い立った時にいつでも出掛ける事ができる。
家を出てから30分弱で、いつもの浜に到着。
ウイルダネスシステムズのケープホーンを浜に降ろし、安全装備とおやつを積んで出発準備完了。

今日は晴れて気持ちの良い朝である。

梅雨入り前の、少し湿度を感じる空気と雲。

穏やかな海を、情島の北端に向けて漕いで行く。

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情島に到着すると、小さな浜を訪れる。

ここは、伏龍特別攻撃隊の基地があった所である。

また戦艦”日向”の碑もあり、カヤックから降りて手を合わせる。

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今日は久し振りに、情島を時計回りで一周するつもり。

島の北端を超えてからは、爽快な青空の下でのパドリング。

所々、岩場で釣りをしておられる方々の邪魔にならないよう、浮きの位置を確認しながら沖寄りを漕ぎ進む。

以前、何度かキャンプを楽しんだ浜。

ここには昔、大きな別荘が建っていたと聞いた事がある。
新緑の季節は終わり、深緑の美しい島の景色を堪能しながらのお散歩ツーリング。

しばらく漕ぎ進むと、浜辺にコンクリートが打ってある浜に到着。

ここは、水陸両用の戦車が上陸するためにコンクリートが打ってあると、以前、島の方から教わった場所。
休憩がてらコーヒーでも飲もうと、しばし上陸。

花崗岩の浜と綺麗な蒼い海。 青い空と白い雲。 そして、戦車が上陸するためのコンクリートの遺跡。
ほんの70年前の時代を、少しだけ想像してみる。

浜を観察すると、

いたるところに猪の足跡が。

『ちょっと、ここでの休憩はやめておこうかな』

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再び漕ぎ出し、集落に向けて漕ぎ進む。

穏やかな芸予諸島。

集落に近づくと、一人の方が道を歩いておられた。
『こんにちは』と挨拶すると、『こんにちは。 今日はええ凪でよかったねえ』 『はい、ほんまに気持ちええです』

港に入り、小さなスロープにそっとカヤックを揚げさせていただく。

持参したおやつセットを持って、防波堤の端っこに陣取る。
ソフトクーラーから、エスビットポケットストーブとメスティンを取り出し、お湯を沸かす。

お湯が湧くと、コーヒーを淹れ、持参した呉名物メロンパンの”メロンパン”を取り出す。
このメロンパンは、そのボリュームとたっぷりのクリームが話題になる事が多いのだが、俺はこのパンの生地の味がお気に入り。
なんとも深い、これぞパン!という味がする生地なのである。


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そうこうしていると、先ほど挨拶した方が戻ってこられた。

『こんにちは。 ほんまに今日はええ天気ですね』 『ほんま。 昨日は雨で寒かったから、今日と逆なら良かったのに』
『昨日は何かあったんですか?』 『なあに、NHKの取材がこの島であったんよ』
『へえ、なんの取材だったんです?』 『ここには昔、特攻隊の基地があったんよ。 その取材。 90歳を過ぎた元特攻隊の人を連れて、雨の中取材しよったんよ』
『そうですか。 特攻隊って伏龍ですよね。 さっき、その碑の所にも行ってきたんです』

『あの浜に、日向の碑いうのもありましたが』 『あれは、戦艦日向の碑。 昔この沖に泊まっとった日向が、アメリカの戦闘機に攻撃を受けて沈没したんよ』
『それで死んだ兵隊さん達を、あの浜に引き揚げて、油を掛けて荼毘に付したんよね』 『そうだったんですか。 知りませんでした』

『子供の頃に、この山の上から米軍の戦闘機が急降下して戦艦を攻撃したのを見た覚えがある。 帰りにはこの島の目の前を、海面スレスレの高さで飛んで戻りよった。 ここから見たら、アメリカ人の顔が分かるくらいじゃったよ』

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『じゃあ戦争の頃は、大勢の人が住んどったんですか?』 『うん、多い時には千人くらい居ったらしい。 島の谷という谷には兵舎を作って兵隊さんが住んどったし、ここらには当時、将校さんらが住むのに貸しとった家もある』

『戦争が終わった後も、鰆漁の季節なんかは賑やかじゃったらしいですね』 『そうそう。 昔は鰆漁や鰯漁の頃は賑やかじゃった。 鰯の時には、倉橋の鹿島あたりからもここに来て、船で寝泊まりしながら人も雇うて漁をしよったなあ』

『豊島あたりから来る船はなかったんですか』 『そうじゃのう、たしかに前に豊島から若い漁師が来て、ここに船を泊めてもエエか?いうて聞くけん、ええよ、いうて泊めさせてあげたこともある。 太刀魚を持ってきて、一緒に酒飲もうやいうけえ一緒に飲みよったら、えらい盛り上がって、たいそう酔っぱらった事もあったのう』

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『今は漁はどうですか?』
『だめだめ。 魚の値段が安いじゃろう。 時間給にしたら、200円にもならんような時もあるよ。 そこらでアルバイトしよる方がよっぽどええわ』

『いろんな島や港で聞いても、みなさんそう言われますね。 確かに日本海の港で聞いたときも、油代が高うなって儲からんから、定年退職した人が半分趣味で海に出よるのがほどんどじゃいうて言われよりました。 また、イカ釣り漁をするよりも、イカ釣りする人を連れて海に出る遊漁船の方が儲かるいうて』
『ほんまにそうよ』

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その後も、村上水軍の見張り台の事、賑やかだった頃の島の様子、戦争中の工事跡、似島の砂船の話、海を渡る猪の話などなど、様々なお話を伺った。 『へえ、そんな事があったんですか』

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『いやあ、今日は天気も良かったし、ええ話も聞かせてもろうて、ほんまに楽しかったです。 ありがとうござます』
『じゃあ、気いつけて。 またきんさい』
『はい、また遊びにきますけん』

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今日は残念ながら日帰りツーリングではあったが、のんびりまったり地元の島を訪ね、貴重なお話を伺う事ができた。

いやあ、天気にも人との出会いにも恵まれて、なかなかええ休日やったなあ。

さて、来週末はどこ行こう?
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