錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~スポーツ青年で洋画ファン(その2)

2012-10-21 11:16:18 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 また、この頃錦之助は、熱烈な洋画ファンであった。
「わが人生 悔いなくおごりなく」の中で、錦之助はこう書いている。

――ジョン・フォード監督の『駅馬車』は十回以上見ているでしょうね。ジョン・ウェインの男性的な活躍。爽快な駅馬車と馬の走りに心を弾ませ、その中に描かれる人間ドラマ・男の詩情に魅せられて、すべてのカットを覚えているくらいです。

 これは戦後にリバイバル上映された時の話にちがいない。『駅馬車』は、日本では昭和十五年六月に公開されたが、この時錦之助はまだ七歳である。昭和十六年十二月の日米開戦でアメリカ映画は一切上映されなくなるので、この間に錦之助が『駅馬車』を見たとは思えない。
 東京の有楽町にアメリカ映画の最新式ロードショー館・スバル座が完成して開館するのは、昭和二十一年大晦日で、上映作品は『アメリカ交響楽』(ジョージ・ガーシュインの伝記映画)であった。定員制で途中入場なしという理想的上映体制で、入場料は二十五円(普通の封切館は十円)だっだが、前売り券完売で大評判だったという。洋画は東京のほか、まず横浜、名古屋、京都、大阪、神戸といった大都市で上映され、昭和二十二年後半から全国の映画館に広がっていくが、アメリカ映画が主流であった。戦時中お蔵になっていたフランス映画も上映されたが、新作ではなかった。(『巴里の屋根の下』『舞踏会の手帖』『望郷』など)
 昭和二十三年以降、イギリス、フランス、イタリア、その他の国の新作が輸入され上映され始めるが、洋画の七割以上はアメリカ映画であった。
 スバル座は当時超一流のアメリカ映画専門の封切館だったが、洋画上映館はほかに銀座界隈では日比谷映画劇場、有楽座、ピカデリー劇場(旧邦楽座、昭和二十四年三月、進駐軍による接取が解除された)、東劇五階の東京中央劇場など、劇場では日劇、帝劇でも不定期に上映された。
 錦之助が舞台の合間や終った後で洋画特にアメリカ映画を見始めるのはこの頃からだった。錦之助は十五歳になっていた。次兄の梅枝が洋画ファンで、彼の話を聞いて錦之助も興味を覚えたようだ。
 錦之助の親友にNTVのプロデューサーになった樋口譲という人がいる。彼は錦之助より二歳年上で、もともと兄の梅枝の友達だった。そのうち錦之助とも親しくなり、お互い無二の親友になったのだが、彼が「平凡スタア・グラフ 中村錦之助集」(昭和二十九年十一月十日発行)に文章を寄せている。「錦ちゃんに関する四つの話」という題で、そのうち三つの話は錦之助が映画界に入る前の交友談である。


錦之助と樋口譲 ふざけて墨でヒゲを描いたという。
昭和28年夏 錦之助の家の二階のベランダにて

 樋口譲の話によると、錦之助と初めて話したのは六年前(昭和二十三年)のことで、東劇の楽屋口から出て来て銀座の方へ歩いて行く錦之助とすれ違ったので「やあ」と声を掛けると、ニッコリ笑って「今度僕も映画に誘って下さいね」と言ったのだという。錦之助は、樋口が兄の梅枝とよく日劇などで映画を観ているのを知っていたので、自分も連れて行ってくれと頼んだようだ。そこで彼は間もなく錦之助との約束を果たし、一緒に映画を観に行った。錦之助がアメリカ映画を熱心に見始めたのはその前後の頃からだったと思うと彼は語っている。
 続けて樋口はこう書いている。

――芝居の合間を縫って新しい映画を次から次へと見て廻った錦ちゃんは、僕にいろいろと映画の新知識を細かく披露してくれたが、聞いている僕のつまらなそうな顔を見て、突然話を止めてしまうことがあった。或る時、何の映画だったか一寸思い出せないが、一緒に見に行って、映画のまん中辺で僕がスヤスヤというよりグウグウ眠ってしまったら、あとで彼は「もう君とは映画は絶対に行かないからね」とはっきり宣言した。一本気で、片意地なところもある錦ちゃんは、それ以来、僕とは映画へ行かなくなってしまった。

 これはおそらく昭和二十六年頃のことかと思われる。その後、樋口は錦之助とはもっぱら食べたり飲んだりして付き合いを続けるようになったそうだ。
 錦之助は最初一人で映画館へ入ることは気が引けたようだが、そのうち暇を見つけては一人で映画館に行くようになった。見るのは邦画ではなく洋画ばかりだった。封切りのほとんどの洋画は銀座界隈の映画館で見て、見逃した評判作もあちこちの二番館、三番館で見た。戦前の名作も名画座で見るようになった。錦之助が『駅馬車』を見て感動し、何度も見たのはこの頃であろう。

『駅馬車』のほかに、錦之助が書いた文章やインタビューや対談記事などでこの頃観て感動したと言っている洋画には次のようなものがある。

『哀愁』(昭和二十四年三月公開)監督マーヴィン・ルロイ、出演ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー。 ロンドンのウォータールー橋で出会った青年将校と踊り子の悲恋物語。菊田一夫のラジオドラマ「君の名は」はこの映画をヒントにして作られた。
『邪魔者は殺せ』(昭和二十六年八月公開)監督キャロル・リード、出演ジェイムズ・メイソン。北アイルランド独立運動の闘士が官憲に追い詰められ死ぬまでの八時間を描いたドラマ。キャロル・リードの『第三の男』の前作。
『チャンピオン』(昭和二十六年八月公開)マーク・ロブソン監督、カーク・ダグラス主演。迫真のボクサー映画。
『ガラスの動物園』(昭和二十六年九月公開)監督アーヴィング・ラバー、原作テネシー・ウィリアムズ、出演ジェーン・ワイマン、カーク・ダグラス、ガートルイド・ロレンス。セントルイスに住む母と娘と息子の傷心の日々を描いたテネシー・ウィリアムズによる戯曲の映画化。
『サンセット大通り』(昭和二十六年十月公開)監督ビリー・ワイルダー、出演グロリア・スワンソン、ウィリアム・ホールデン、エリック・フォン・ストロハイム。元大女優の末路を描いた悲劇。
『陽のあたる場所』(昭和二十七年九月公開)監督ジョージ・スティーヴンス、出演モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テーラー、シェリー・ウィンタース。ドライザーの「アメリカの悲劇」の映画化。貧しい青年が出世の邪魔になると思いかつての恋人を湖上で殺害する物語。この映画については錦之助が書いた映画評があるので、後で紹介しよう。




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