錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~当時の日本映画界(その3)

2012-10-26 21:38:45 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 ほかに、昭和27年から28年にかけて映画出演した歌舞伎役者には、市川段四郎、岩井半四郎、中村扇雀、坂東鶴之助、松本幸四郎などがいる。段四郎と幸四郎は明治生まれで、時代劇の若手スター候補とは言えないが、参考までに書いておく。
 市川段四郎は、猿之助(二代目)の長男、映画女優の高杉早苗の夫、団子(三代目猿之助)の父である。昭和27年に東宝時代劇に5本出演しているが、主演は『喧嘩安兵衛』(滝沢英輔監督)だけで、ほかは助演である。
 松本幸四郎(今の幸四郎の父)は、昭和28年夏、松竹京都の時代劇大作『花の生涯』(舟橋聖一原作、大曾根辰夫監督 10月公開)に出演、主役の井伊直弼を演じている。阪妻亡き後、時代劇の大物がいなくなった松竹の大谷竹次郎社長に乞われ、遅まきながら映画デビューした。が、これが好評で、以後昭和31年まで毎年、歌舞伎のない夏休みになると、松竹の大作映画に主役で出演している。
 岩井半四郎は、戦前すでに仁科周芳(ただよし)の本名で子役で映画出演していた。東宝作品『忠臣蔵』(昭和14年 滝沢英輔監督)などである。また、終戦直後に完成し、GHQによって上映禁止になった黒澤明の『虎の尾を踏む男たち』(昭和27年4月公開)では義経に扮している。その後は市川笑猿として猿之助一座で歌舞伎修業を続け、昭和26年、歌舞伎座の「源氏物語」で若き日の光源氏を演じ(この時、錦之助は若き日の頭中将役)、脚光を浴び、同年10月、岩井半四郎を襲名した。そして、昭和27年、松竹大船の現代劇で軽い脇役で映画出演、昭和28年には時代劇3本に出演した。新東宝の『名月赤城山』、松竹京都の『疾風からす隊』と『とのさま街道』(倉橋京介監督、岩井半四郎主演)であるが、注目は浴びず、時代劇のスターになる見込みは薄かった。
 中村扇雀は、昭和28年4月、松竹京都の『お役者小僧』(冬島泰三監督 出演高田浩吉、高千穂ひづる)で映画デビュー。女形役者を演じて話題をまいた。同年11月に大映京都作品、大河内主演の『魔剣』に助演したが、この頃の映画出演はお試し程度だった。以後扇雀は舞台に専念し、本格的に映画出演を始めるのは昭和30年からである。
 坂東鶴之助は、昭和28年9月、新芸プロの『次郎長一家罷り通る』(堀内真直監督 松竹配給)でデビュー、同年新東宝の『若さま侍捕物帖』で主役を演じ、これを2本撮るが、時代劇のスターになるには程遠かった。「若さま侍」は初代が黒川弥太郎、二代目が鶴之助、そして三代目が大川橋蔵で、昭和31年以降橋蔵の当たり役になる。

 錦之助が映画デビューする前の歌舞伎役者の映画出演は以上の通りである。

 補足として、「演劇界」の昭和30年12月増刊号に「映画に出た歌舞伎俳優」という題で映画評論家の山本恭子(女性では当時の第一人者)がそれぞれの俳優に忌憚のない意見を述べている。リアルタイムの発言として参考になるので、引用しておこう。(昭和30年末の記事で、錦之助も雷蔵もすでに映画界入りしていて、二人のことにも触れているが、それはまたいずれ紹介しよう。)

(大谷友右衛門)彼の性情には何処かニヒリスティックなものがあるのか、小次郎役はハマリ役だった。その後次々映画に出演しているが、皮肉なことに『誘蛾燈』にパチンコ屋の息子、『噂の女』のアプレ青年医師など、現代劇の彼の役柄が一番印象深い。

(北上弥太郎)髷も勿論板につき、時代劇的な風貌も立派で、次々と作品に出演、時代劇では一応第一線スタアとなったが、まだ沸騰的人気がわくというところへは行かない。出演映画の質による運ということもあるが、あまり役で苦労している様子が見えず、器用にこなすところで本人も周囲も満足していることが災いしているのではないだろうか。

(岩井半四郎)現代劇でよい演技を示した。『帰郷』という映画のなかで、少々イカレ・ポンチ式のアプレ青年を演じてアッといわせた。その後時々時代劇映画で顔を見せるが、これという作品がなく、彼の本腰はやはり歌舞伎にあるらしい。

(中村扇雀)女形としての無類な美しさと色気とを舞台で買われていただけに、映画は女形を必要としないから、これも何割方かの損をしている。色若衆に扮しても、舞台の人気にまさる人気の沸き立つ道理はないのである。といって、立役の偉丈夫にもなりきれないうらみがある。

(坂東鶴之助)素や舞台で見るよりも、映画では彼の六頭身位の顔の大きさが醜く目立つので損をしている。映画の根底にあるものが、結局は冷酷なリアリズムだということを、形式美に生きる歌舞伎の人たちはまず考えてかからなけければならないのではなかろうか。


 市川雷蔵ファンのホームページ「ようこそ雷蔵ワールドへ」に、演劇雑誌「幕間」の昭和28年9月号に掲載された「東西若手放談会」の一部が紹介されている。司会の「みんな映画に出たいと思いませんか」という質問に対して、錦之助と雷蔵の回答が面白い。

錦之助―僕少しは興味を感じます。
雷蔵―僕は売りこむのは嫌いやけど、勉強になるというなら、出る。
錦之助―出てやってもいいっていうの?
雷蔵―うん、出てやってもええわ(大笑)


 控え目な錦之助に対し、強気で自信家の雷蔵の発言である。これは、昭和28年8月、新橋演舞場で東京大阪合同歌舞伎が催された時、東西の若手を何人か集めて取材した記事だと思う。(つづく)




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