この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

解釈に自由なんてものはない。決して。

2021-03-08 22:48:12 | 戯言
 しばらく前のことですが、9年以上前に書いた記事にコメントがつきました。
 ご覧の通り、閑古鳥がラインダンスをしているようなブログですから、昔の記事であってもコメントがつくことはとても嬉しいことです。
 また、そのコメントは今までにない見方を示すものだったので、「ほぉ」と感心しました。
 ただ、そのコメントはこんなふうにまとめてあったんですよね。
 どう解釈しても自由、と。
 その作品をどのように解釈するかは解釈する側の自由である、そう考える人は本当に多いです。
 はっきり言っておきますが、それは間違っています。
 解釈に自由なんてものはありません。

 まず、感想は自由です。
 なぜ感想は自由なのか。
 それは生きている人生が人それぞれ違うからです。
 生きている人生が違えば、当然何を面白いと思うのか、何を美しいと思うのか、何に感動するのか、そういった基準や価値観は違ってきます。
 ある作品を面白いと思う人と、面白くないと思う人がいるのは当然のことなのです。
 感想は自由であり、決して他者から強制されたり、否定されたりするものではありません。
 感想を強制することは生き方を強制することであり、感想を否定することは生き方を否定することなのです。
 薔薇を綺麗だと思う人がいる一方で、薔薇よりもタンポポに惹かれる人もいる、また花そのものに興味がない人がいる、どの感想も決して間違ってはいないのです。

 今感想は自由だと述べました。
 しかし間違った感想というものもあります。
 例えば、薔薇の花を観て「薔薇の花って綺麗だな」と思ったとする。
 けれどよくよく近づいてみたら薔薇ではなく牡丹の花だった。
 この場合の「薔薇の花って綺麗だな」という感想は間違っていることになります。
 感想は自由ではありますが、それは対象物を正しく認識して初めて言えることです。
 牡丹の花を観て薔薇の花は綺麗だと思う自由などないのです。

 対象が物であれば「認識」になりますが、作品の場合「解釈」になるのです。

                                            続く。

 
 
 
 
 
コメント
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