この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

献血に一言。

2021-03-04 21:06:53 | 日常
 月曜日、有休を取って映画を観てきたのですが、たまたま献血車両を見かけたので献血をしてきました。

   

 献血の回数が30回だったので記念品のタオルをもらいました。
 まぁ30回というのは間違ってるんですけどね。
 電子媒体に記録するようになってから30回かな。
 以前、紙に記録しているときに一度記念品をもらったことがあるから、最低でも60回は献血をしていることになります。

 ところで献血ってしたことありますか?
 積極的にしているという人はかなり少ないと思います。
 うちの会社は社員が10名ほどいるけど、献血をするのは自分ぐらいのものです。
 後は適当な理由をつけてしないひとばっかり。

 ただ、献血をしない人に「献血をした方がいいですよ」と言うつもりはさらさらないです。
 なぜかというと、自分自身、献血をして気分が悪くなることがままあるから。
 あ、この場合の「気分が悪くなる」は「不愉快な思いをする」という意味です。

 月曜日に献血をした時のことです。
 採血車に乗り込んで、採血用のベッドに横になる前、手に持っていたバッグと上着をどこかに置こうとしたら、カゴとかが見当たらないんですよ。
 仕方なく座椅子に置いたら、看護婦さんに「( 次に座る人の邪魔になるから)せめて手前に置けませんか」と注意されました。
 咄嗟に、あ、すいません、って謝ったんですが、よくよく考えたら、荷物を床に置くことは出来ないんだし(出来ないというかしたくない)、荷物を置くためのカゴを用意するのは採血する側の当然の務めじゃないですか。
 それを放棄しといて「せめて手前に置けませんか」と注意するのは何なんだ、って思いますね。

 この日の看護婦さんに限らず、つっけんどんな人、事務的な人、命令口調の人、献血をさせてやっている、みたいな態度の人も少なくありません(採血する看護婦さんのすべてがそうだ、と言っているわけではないです)。
 通常の医療行為でもそうですが、特に献血は血液提供者の純然たる厚意によって成り立っているのですから、もう少し愛想をよくしてもいいんじゃないかと思いますけどね。

 血液不足が叫ばれる昨今です。
 単に人の善意に訴えるのではなく、献血をした後に「献血をしてよかった」と思えるようにすることが大切なんじゃないでしょうか。
 愛想のない態度で採血されても、それは難しいんじゃないかなぁ。

 ちなみに自分が献血するのは善意がどうこうというのは関係なく、単純に歯磨き粉がもらえるからですけどね。
 でも以前のように歯磨き粉だけじゃなく、歯ブラシもくれよ、といつも思っています。
コメント
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