この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

誤りを正すのは親切な行いである。

2021-03-23 21:56:50 | 戯言
 誤りを正すのは親切な行いである、と自分は考えています。
 ただ、誤りを正すといっても「お前は間違っている!以上!!」ではダメなんですよ。
 何がどう間違っているか、きちんと説明しないといけない。
 でもそれってすごく面倒臭いですよね。
 なので普段自分はネットで間違っていたり、矛盾している文章に遭遇しても、それを指摘することはありません。
 見ず知らずの人間が間違っていたとしても、そんなことは自分の知ったことではないからです。
 自分はそこまで親切な人間ではありません。

 ただし、このブログのコメントとなると話は別です。
 なぜならブログのコメントは記事本文に触発されて書かれたものと考えられるからです。
 知ったことではない、と突き放すことは出来ません。
 自分の書いた文章にはきちんと責任を持つ。
 これを「文責」と言います。

 さて、一月ほど前ですが、こちらの記事にコメントがつきました。
 伊坂幸太郎の『残り全部バケーション』という作品の考察記事です。
 10年近く前に書いた記事で、最後にコメントがついたのもだいぶ前のことだったので、新たにコメントがついたことは予想外でした。
 でも嬉しかったですよ。
 古い記事にコメントがつくことを嫌う人もいますが、自分はそんなことは全然ないのです。
 コメントの内容自体予想外でした。
 コメントの一部を抜粋します。
>私の意見は、岡田は死んでいて、サキは早坂サキではない
 その記事のコメント数は60を超えています。
 コメントの半分は自分のレスなのですが、それでも少なくない数の人が自分なりの「残り全部バケーション」の解釈をコメント欄に書いています。
 しかし一人として岡田死亡説を唱えた人はいませんでした。
 まさか10年の時を経て岡田死亡説を唱える人が現れるとは…。
 完全な予想外です。
 まぁでもだからこそ一つの作品の解釈を巡って論じ合うのは面白いのだと思います。

 件のコメントをした人がこのブログを再び訪れることがある、と考えているわけではありませんが、上述の「文責」を果たしたいので、今日は岡田死亡説を否定してみたいと思います。

 岡田が死んだとすればそれは毒島が岡田を殺した、ってことですよね。
 なぜ毒島が岡田を殺したかというと、それは「裏切ったのは岡田だ」という溝口の言葉を毒島が真に受けたから、ということになるからだと思いますが、これがまずおかしいのです。
 おそらく岡田としては溝口の赦免を訴えるために毒島の元を訪れたのでしょう。
 岡田は出来れば溝口のことを助けたかった。
 しかしいざ自分が裏切り者として殺されそうになれば、さすがに本当のことを打ち明けるでしょう。
 過去に裏切った前科のある溝口の言葉は真に受けたというのに、岡田の言葉には耳を貸さない、それどころか殺してしまうというのは、筋が通りません。おかしいですよ。
 だいたい裏切ったかどうか問い詰めた相手が「裏切ったのは○○だ」と言ったら、自分が助かりたいがために出鱈目を口にしているのでは、と疑うのが普通ではないでしょうか。
 なぜ毒島は溝口のことを疑おうとしなかったのか、溝口の言葉を真に受けたのか、一つ一つ疑問に答えていけば全体像が見えてくるんですけれど、長くなるから省略します。

 まぁでも岡田死亡説を否定するにはこれで充分でしょう。
 『残り全部バケーション』に関して他にも何か疑問がある方は遠慮なくコメントしてくださいね。
 時間の許す限り相手をさせてもらいます。
コメント
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