アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記211・「パパゲーノ」ではないけれど

2022年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
  「パパゲーノ」という言葉があることを、20日のNHK特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」(主演・伊藤沙莉)で初めて知った。
 「パパゲーノ」とは、「死にたい気持ちを抱えながら、その人なりの理由や考え方で“死ぬ以外”の選択をしている人」のことだそうだ。名前の由来は、モーツァルトのオペラ『魔笛』に登場する自殺を思いとどまった男からきているそうだ。

 20代の「パパゲーノ」ももは、同じく生きづらさの中で「楽しいこと、わくわくすること」を見つけている人、見つけようとしている人々をネットで探し、会うために仕事を辞めて旅に出る。テントを背負って、野宿する旅だ(写真)。

 このドラマに「お説教」はない。「解答」もない。Eテレ「ハートネットTV」なども担当している演出の後藤怜亜さんは、「否定はせず、でも助長もしないことを両立させる作品にすることを大切にした」と言っている(NHKサイト)。なるほど。

 自分は「パパゲーノ」ではないけれど、生きづらい中で「楽しいこと、わくわくすること」に出会いたいという気持ちに強く共感する。

 アルバイト先でコロナ陽性者が出た。これだけ「過去最多」が続けば不思議はない。その分、シフトが増えた。自分にも感染のリスクは当然ある。3年におよぶ「ウイズ・コロナ」は精神的にきつい。自由に旅にも出られない。もちろん、みんながそうだ。

 ウクライナ戦争は出口が見えない。自分にとってきついのは、「情報戦」の中で「正しい」と断言できる情報が得られないことだ。だから確信を持ったことが言えない。でも、言わねばならない。それでヒビが入る人間関係もある。

 貧困と差別がなくならない社会。むしろ深まっている社会。この先日本(世界)がより良い方向へ向かうとはどうしても思えない。少なくとも自分が生きている間は。

 そう長くない残りの人生で、何ができるだろうか。何かできるだろうか。そもそも凡夫の身で何かしようと考えること自体が傲慢か…。

 「ももさん」の脚本を書いた加藤拓也さんは、「解決できないことは、無理に解決しなくてもいい。そのままでもいいんだよ、という優しさが全面に出ている作品になっている」と語っている(NHKサイト)。

「解決できないことは、無理に解決しなくてもいいんだよ」―確かにそれは大きな救いだ。生きづらい社会を生きる1つの指針だろう。
 でも、今の自分にそれは言えない。この社会には解決しなければならないことがたくさんある。無理にでも解決したいと思う。だが解決する力も解決される展望もない。それはけっこうきつい。

 だから、「楽しいこと、わくわくすること」に出会いたい。どうすれば出会えるだろう。「パパゲーノ」のみなさんと一緒に、探し続けたい。

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若者へ浸透図る秋篠宮一家と“無意識の天皇制”

2022年08月20日 | 天皇制と政治・社会
   

 皇嗣・秋篠宮文仁一家が民間の行事に参加し、それをメディアが報道する頻度が多くなっています。7月~8月の主なものは以下の通りです(宮内庁HPより。写真は朝日新聞デジタルから)

▶7月20日 秋篠宮 「全日本高等学校馬術競技大会」(静岡県)に出席・観戦。
▶7月27日 秋篠宮夫妻 「全国高校総合体育大会(インターハイ)」(徳島県)のバドミントン競技を観戦。翌28日、開会式に出席。あいさつに続き高校生の阿波踊りを鑑賞。
▶7月31日 秋篠宮夫妻と長男・悠仁氏 「全国高校総合文化祭東京大会(とうきょう総文2022)」の開会式に出席。悠仁氏が現地で「公務」に臨むのは2019年12月以来(写真左、中)。
▶8月2、4日 秋篠宮夫妻と悠仁氏 同「とうきょう総文2022」のかるた、軽音楽・合唱を鑑賞。
▶8月5日 秋篠宮夫妻 科学技術館(東京都)の「全国学生児童発明くふう展」鑑賞。
▶8月7日 秋篠宮夫妻 「日本スカウトジャンボリー」(東京都)に出席・懇談。
▶8月7日 秋篠宮の次女・佳子氏 「ガールスカウト・キャンプ」(長野県)に参加(写真右)。

 「コロナ」以前の2019年の同時期と比べると、「高校馬術大会」「児童発明くふう展」の鑑賞が増えています。また、「高校総合文化祭」への出席・鑑賞は、今年から悠仁氏が加わりました。今後、悠仁氏の出番が増えることは間違いないでしょう。

 こうした秋篠宮一家の「公務」の特徴は、若者(児童~高校生)の企画への参加が頻繁だということです。若者への浸透が意図的に行われています。これは日本社会にとってどういう意味を持つでしょうか。

 秋篠宮一家が出席した企画に参加した若者たちの多くは、おそらく明治以降の天皇制の歴史について十分な知識がないまま(なぜなら学校教育では教えない)、皇族の権威(差別)と「親近感」だけが印象付けられるでしょう。そこに醸成されるのは、“無意識の天皇制”です。

 政府にとって“無意識の天皇制”が威力を発揮するのは、国家権力にとって重大事態が発生したときです。東日本大震災直後の天皇明仁(当時)の「ビデオメッセージ」(2011・8・8)はその典型でした。

 そして今、注視しなければならないのは、「安倍国葬」への皇族の出席です。

 「国葬」の歴史に詳しい宮間純一・中央大教授は、「重要な点は国葬に皇室がどう関わるかだ。吉田(茂)氏の国葬の時は当時の皇太子夫妻(上皇夫妻)が参列した。今回、先例にのっとれば、秋篠宮の参列の可能性はある」としたうえで、こう指摘します。

「しかし、国葬を天皇の名のもとに政府が演出してきた戦前・戦中の歴史を踏まえれば、政治主体で行う国葬に皇族が参列し、権威を添えることは皇室の政治利用という観点から問題がある」(7日付中国新聞=共同)

 批判の強い「安倍国葬」に皇族を参加させて、「国葬」に権威を添え、批判を抑えようとする政治利用です。

 皇族の「公務」によって醸成される“無意識の天皇制”は、国家権力が必要とする時に「皇室の政治利用」を首尾よく遂行するための土壌づくりにほかなりません。

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国債で軍事費拡大・安倍氏持論実行の危険

2022年08月19日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 岸田文雄首相の側近・木原誠二官房副長官が読売新聞(16日付)のインタビューで、今後10兆円超(GDP比2%以上)に膨張させようとしている軍事費を、国債で賄うことを検討していると明かしました。

「現在の安全保障環境を踏まえると、防衛力の抜本的強化は不可欠であり、日本を守るために何が必要かを考えてしっかり積み上げていく。財源は、長期にわたって調達するものは国債もあり得るし、国民に負担について協力をお願いする可能性もある

 軍事費を国債で。これは77年前までの戦時財政の苦い経験から厳に禁じられているタブーです。その禁じ手も選択肢だと官房副長官が公言したことはきわめて重大です。

 この禁じ手を率先して主張してきたのは、安倍晋三氏でした。

 防衛省海上幕僚監部防衛部長として軍事予算の編成に携わった渡辺剛次郎元海将は朝日新聞のインタビューでこう述べています。

安倍晋三元首相は生前、国債の発行による防衛費増額を唱えていました。過去には、戦時国債が戦争拡大につながったため、国債を防衛費には充当しないという47年の大蔵省法務部長の答弁があります。安倍元首相は、この見解こそが「戦後レジーム」そのものであり、変えるべきだという考えだったようです」(7日の朝日新聞デジタル、写真右も)

 国債を軍事費に充当してはならないというのは、大蔵省の答弁だけでなく、1947年に制定された財政法の基本原則です。財政法第4条は、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」と明記しています。

 その4条に「但し書」を付ける法改悪で国債発行に道を開いたのが1965年。以後、政府は66年に建設国債、75年には赤字国債の発行にも踏み切りました。そんな歴代自民党政権でも、さすがに軍事費のために国債を発行することはできませんでした。それを安倍氏はやろうとしたのです。

 当時、財政法を起案した平井平治氏(大蔵省主計局法規課長)は、第4条の意味をこう解説していました。

戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、各国の歴史をひもとくまでもなく、わが国の歴史をみても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである…公債のないところに戦争はないと断言しうるのである、従って、本条(財政法第4条)はまた憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものであるともいいうる」(「財政法逐条解説」1947年)=日本共産党のサイトより。

 安倍氏はこの財政法の基本原則を踏みにじって、国債で軍事費を賄おうとしたのです。それはまさに「憲法の戦争放棄の規定」を撤廃するに等しい暴挙です。

 その暴挙を、安倍氏亡きあと、岸田首相が「安倍政治の遺産」として引き継ごうとしています。「ウクライナ戦争」が口実にされることは目に見えています。絶対に許すことはできません。


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戦時下のメディア規制と記者の「自己検閲」

2022年08月18日 | 国家と戦争
   

 7日のNHKスペシャルは、「戦火の放送局」とてウクライナの公共放送局・ススピーリネを特集しました。ウクライナでは民間放送局の活動が困難で、ススピーリネが唯一の放送局となっているようです。以下、番組から。

 ウクライナ検察庁は同局に対し、「戦争犯罪の証拠の収集・分析のために取材で得た情報を提供してほしい(提供せよ)」と要請。同局はこれに応じています。

 このことについて同局の編集長はこう語ります(写真中)。
「正直に言うと非常に頭を抱える問題です。ジャーナリストは常に中立的でなければいけません。しかし、現状では必ずしもそれができません。今は私たち自身や家族が侵攻によって直接危機にさらされているからです

 同局のミコラ・チェルノティツィキー会長もこう言います。
政権が変わるたびに国営放送がその意向に左右されるのを見てきました。戦時下の放送局は特有の軍事的な制限を受けます。私たちにとってこの軍事的制限が政治的制限に変化しないことが重要です

 戦死した兵士の遺族を取材した女性記者(写真左)は、「悲しみ、痛みが増しました。数十万の人々と同じ立場で、やるべき事をやり、闘い続けます」と語りました。

 13日の報道特集(TBS)も、「戦争下のウクライナメディア」としてススピーリネを取り上げました。以下、番組から。

 ウクライナでは同局の下に5つのチャンネルが合同でニュース発信しています。ニュースの前には必ず、「団結すれば強し!軍を募金で支援しましょう」というCMが流されます。

 ウクライナでは国防省が定例会見を行っていますが、死傷者の数などは公表されません。会見を取材した女性記者(写真右)は、「この会見は開かれたものと信じているか」との質問に、こう答えました。

戦時中は公開してもいい情報とそうでない情報を区別するために、自己検閲が必要になることもあります。私たちは発言の内容や伝え方について責任を負うべきです。国防省や兵士にしてはいけない質問がある。兵士や民間人の命が何よりも大事です」

 メディアの監督・規制を行っている「テレビ・ラジオ放送国民会議」の議長はこう言います。
「今は戦時中で戒厳令が発令されています。戒厳令が発令されるとどの国でも国を守るために情報を規制します。日本では第二次世界大戦時にメディアは制限され戦況を正しく伝えることができなかったと聞いていますが、ウクライナでは状況が全く異なります。講じられているのは検閲ではなく必要不可欠な対策です

 ウクライナ公共放送についてはすでに4月初めの「クローズアップ現代」で取り上げられ、チェルノティツィキー会長はその時も、同局が「公平公正」とは言えないと認めていました(4月8日のブログ参照)。

 2つの番組で幹部たちは、「政治的制限」でないとか「検閲ではなく必要不可欠な対策」だと言っていましたが、国営放送への規制・統制が「政治的制限」であり「検閲」であることは明らかです。

 加えて、今回の番組であらためて考えさせられたのは、現場の記者たちの自己規制・自己検閲です。

 記者たちは、国家の規制・圧力、局の方針に自ら積極的に応じ、国家への質問(追及)を自己規制・自己検閲しています。そこにあるのは、記者である前に、ウクライナ国民であるという意識であり、それが「中立」「公平・公正」というジャーナリズムの規範を超越しています。国家と一体となって「戦っている」のです。

 ロシアでは政府に批判的なメディアが弾圧されています。それはもちろん言論・報道の重大な危機です。一方、ウクライナでは政府に批判的なメディアの存在は伝えられず(検閲され)、政府に積極的に同調・協力するメディア・記者たちの活動が肯定的に報じられています。

 しかし、言論・報道の重大な危機であることは後者も変わらないのではないでしょうか。国家による暴力的弾圧は抗う相手が明確ですが(もちろん容易ではありませんが)、メディア・記者の自己規制・自己検閲は自分自身と闘わねばならないだけ困難が大きいとも言えます。

 アムネスティの「遺憾表明」は戦時下の人権団体の危機を示していますが(17日のブログ参照)、ウクライナ国営放送の幹部・記者たちの自己規制・自己検閲は、戦時下におけるジャーナリズム・記者のあり方に重要な問題を投げ掛けています。

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アムネスティの「遺憾表明」は何を意味するか

2022年08月17日 | 国家と戦争
   

 国際人権団体・アムネスティが4日発表した調査報告書でウクライナ軍の国際法違反(「人間の盾」)を告発したことについては、8日のブログで書きました。その後、アムネスティのHPに報告書の全文が掲載され(10日、写真左)、詳しい内容が分かりました。8日のブログで紹介したAFPの記事にない注目される部分を抜粋します(太字は私)。

< アムネスティの調査員は4月から7月までの数週間にわたり、ハリキウ、ドンバス、ミコライウでのロシアの空爆を調べた。空爆を受けた地域を視察し、生存者、目撃者、犠牲者の親族に聞き取りをし、リモートセンシングによる分析や武器の分析を行った。

 6月10日に犠牲になった男性の母親は、「兵士に他の場所に移動するよう何度も頼んだ。その日の午後、空爆があり、庭にいた息子が犠牲になった」と語った。この家の隣家には軍の装備や制服が残っていた。

 リシチャンスク(ドンバス)にあるマンションの住民は、「なぜウクライナ軍は戦場ではなく街から砲撃するのかわからない」と話した。

 7月上旬、ミコライウにある農業用倉庫が攻撃を受けた。倉庫にウクライナ軍の兵士がおり軍車両があるのを見た。民間人が生活し働いている農場から道を隔てた所にある倉庫を軍が使用していたこともわかった。

 自宅が被害を受けた別の住民は「軍が何をしようと私たちは何も言えない。だが代償を払っているのは私たちだ」と話した。

 ウクライナ軍が5つの町で病院を事実上の軍事拠点として使っていることも確認した。別の町では、兵士が病院近くから攻撃していた。

 ウクライナ軍はドンバスやミコライウの町や村で学校にも拠点を置いている。調査に訪れた29校のうち22校で、兵士が校内の敷地を使用していた。

 民間人が多く住む住宅街や学校を軍がどうしても使用する場合は、警告を発し、退避を支援する必要があるが、調査した限りでは、警告や避難支援は確認できなかった

 7月29日、ウクライナ国防省に今回の調査結果を送ったが、記事公開の8月4日時点で同省から回答は得ていない。>(8月4日、アムネスティ国際ニュース)

 市民を戦闘に巻き込むウクライナ軍の国際法違反が克明に報告されています。記事公開前にウクライナ政府に見解を求めたにもかかわらず、回答がなかったことも分かりました。ウクライナ軍・政府は厳しく批判されなければなりません。

 ところが、3日後の7日、なんとアムネスティの方が、「プレスリリースが苦痛や怒りを引き起こしたことについて、深い遺憾の意を表明します」という声明を発表したのです(全文はアムネスティのHP)。これはいったいどういうことでしょうか。

 奇妙なのは、「遺憾声明」が、「調査で確認した事実が揺らぐことはありません」と調査内容に間違いはないと改めて確認しながら、「苦痛を引き起こしたことに遺憾の意を表す」としていることです。

 「苦痛」とは誰のどのような「苦痛」なのでしょうか。「遺憾声明」にその説明はありません。市民の立場に立って住民の声を幅広く聴き取り調査した結果ですから、市民に「苦痛を引き起こした」わけはないでしょう。

 ゼレンスキー大統領は調査報告が公表された直後(4日夜)、「侵攻の加害者(ロシア)ではなく、被害者(ウクライナ)に責任を転嫁しようとしている」と動画でアムネスティを非難しました(写真右)。「遺憾声明」がこれを受けて出されたことは間違いないでしょう。「苦痛」はウクライナ政府にとっての「苦痛」、戦争遂行上好ましくないという「苦痛」だということになります。

 そもそもアムネスティの調査報告は、「ウクライナ軍が人口密集地内に軍事拠点を置いていることは、ロシアの無差別攻撃を決して正当化するものではない」と何度も強調しています。「遺憾声明」も「アムネスティは、紛争時の民間人の生命と人権が保障されることを、常に優先します」と結んでいます。ゼレンスキー氏の非難はまったく不当です。

 調査報告に関してアムネスティには何の非もありません。

 にもかかわらず、「遺憾表明」したのは、ゼレンスキー氏の反発・「怒り」に屈したためです。アムネスティ・ウクライナの代表は「この調査はロシアのプロパガンダの道具になっている」と言って辞任したといいます(8日の朝日新聞デジタル)。ここにもウクライナ政府の圧力がうかがえます。

 世界的な人権団体であるアムネスティが、ある国の政府の反発・怒りによって、自らの調査報告を「遺憾」と表明する。これはきわめて重大な誤りです。

 ウクライナは戦争当事国であり、ロシアの侵攻から「祖国を防衛している」とされている国です。その国の反発・圧力に屈した(あるいは忖度した)ことはさらに大きな問題を含んでいます。

 アムネスティが問われなければならないのは、戦争という非常事態の中で、いかに真実を守るか、人権団体としての使命を貫くか、ではないでしょうか。

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天皇裕仁の戦争継続責任と「フィナーレ爆撃」

2022年08月16日 | 天皇制と戦争・植民地支配
   

< 正午のラジオ放送で、日本政府が降伏を国民に伝えたのは8月15日。その前日から15日未明にかけ、大阪のほか、秋田市土崎、群馬県伊勢崎市、埼玉県熊谷市、山口県岩国、光両市などが猛烈な空襲を受けた。

 日本政府は8月10日、ポツダム宣言を「天皇の統治大権を変更しない」との条件付きで受諾すると連合国側に伝達した。ただ、これに対して連合国側が示した回答をめぐり、「天皇の地位が保証されていない」などとして政府や軍の内部が紛糾した。

 交渉の遅れを感じた米国は、日本各地の兵器工場や駅、市街地を爆撃し、宣言受諾を促すことにした。米軍資料で「フィナーレ爆撃」と呼ばれる作戦だ。>(14日の朝日新聞デジタルから抜粋)

 天皇裕仁が降伏を引き延ばしたことで犠牲が拡大したことはよく知られていますが、「フィナーレ爆撃」なる言葉は初めて知りました。同記事によれば、この日の京橋駅を中心とした大阪市への爆撃による死者は359人、行方不明は79人。岩国・光両市の死者は合わせて1千人以上。

 ポツダム宣言が出されたのは7月26日。当初日本はそれを拒絶しました。

「日本政府は7月27日、ポツダム宣言を受け取ったが、これを受諾する意思をまったく示さなかった。逆に、鈴木(貫太郎)内閣が最初に報道機関に命じたことは…ポツダム宣言の重要性を矮小化することだった。翌28日…鈴木首相は、午後の記者会見で正式な声明を出し、政府がポツダム宣言を拒絶することを明らかにした。…鈴木の声明の根底には、昭和天皇の戦争継続の決意と、ソ連を通じた交渉に寄せていた天皇の非現実的な期待があった」(ハーバート・ビックス著『昭和天皇(下)』講談社学芸文庫2005年)

「ポツダム宣言から8月6日の原爆投下までの重要な時期に、昭和天皇はポツダム宣言の受諾について何も言わず、何の行動もとらなかった。しかし、天皇は木戸(幸一内大臣)に「三種の神器」は何としてでも護持しなければならないと話していた」(同)

 裕仁が木戸に「かくなる上は止むを得ぬ」と言って、ようやくポツダム宣言受諾が不可避とさとったのは、広島に原爆が投下された8月6日でした。
 日本政府は、9日夜から10日明け方にかけての最高戦争指導会議(天皇以下、首相、外相、陸相、海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長)で、「国体護持」を条件にポツダム宣言を受諾すると決定しました。

 これに対しアメリカ政府は11日、「日本の最終的な政治形態はポツダム宣言に従い、日本の国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである」とする国務長官の回答(「バーンズ回答」)を発表。

「この回答をうけとった日本側では、この回答では「国体護持」について確信がもてないとする受諾慎重論が台頭し、13日の最高戦争指導会議とそれに続く閣議は再び紛糾した。そのため、14日には再度の御前会議が開催され…ポツダム宣言の最終的受諾が決定されたのである」(吉田裕著『昭和天皇の終戦史』岩波新書1992年)

 ポツダム宣言受諾が正式に連合国に伝えられたのは14日の夜でした。

 終戦・和平の機会は1945年に入ってからも、近衛文麿の「上奏」(2月14日)はじめ何度もありました。しかし天皇裕仁と側近らは一貫して戦争を終わらせようとしませんでした。彼らの頭にあったのはただ一つ、「国体護持」、すなわち裕仁の天皇大権と天皇制の維持・継続でした。ポツダム宣言の受諾をいったん決めながらなお躊躇したのも、「国体護持」の確約がなかったからです。

 木戸はのちに、ポツダム宣言(7月26日)から広島被爆(8月6日)までの11日間に通常爆弾による空襲で死亡した人は1万人以上にのぼると述べています(『昭和天皇(下)』)。

 少なくとも「近衛上奏」で降伏していれば、東京大空襲はじめ各地の空襲も沖縄戦も広島・長崎被爆も、そしてもちろん「フィナーレ爆撃」もありませんでした。

「戦中の天皇制イデオロギーは、降伏のための行動をとることをおよそ不可能にしていた。客観的には敗北していることを知りながらも、戦争が同胞にもたらす苦しみに関心を払うことなく、まして、アジアや太平洋の人々の命を奪うがままにしておきながら、天皇とその戦争指導層は、失うことなく敗北する方法、つまり降伏後の国内からの批判を鎮静化させ、その権力構造が温存できる方法を探し求めていた」(『昭和天皇(下)』)

 その天皇制イデオロギーの根幹は「男系男子」による「万世一系」論です。それは今日の「象徴天皇制」にそっくり引き継がれていることを銘記する必要があります。

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外交・国際情報と天皇裕仁・戦争責任に新事実

2022年08月15日 | 天皇制と戦争・植民地支配
 

 6日放送のETV特集は、「侍従長が見た昭和天皇と戦争」と題し、百武三郎侍従長(写真中)の日記から天皇裕仁と戦争のかかわりを特集しました。

 「百武日記」についてはこれまで、木戸孝一内大臣も「決意行過ぎの如く見ゆ」と言うほど裕仁が開戦に前のめりだったこと(21年12月6日のブログ参照)、南京大虐殺(1937年12月13日)を黙認したこと(21年12月13日のブログ参照)などが明らかになっています。

 6日のETV特集ではこれに加え、裕仁に対し外務省の外交情報や外国放送の国際情報が逐次報告されていたことが明らかにされました。

 裕仁に外交情報を報告(「御進講」)していたのは、外務省OBで宮内省御用掛の松田道一(写真右)。松田は毎週木曜、裕仁に外務省情報を詳しく説明。そのもようは「松田日記」に記されています。

 松田が特に印象深かったと日記に書いているのは、1943年7月、日本が同盟を結んでいたイタリア・ムッソリーニの失脚を「進講」したこと(イタリアは同年9月に無条件降伏)。元イタリア大使でもあった松田は、早期講和の必要性をにじませたといいます。

 しかし、裕仁は松田の報告を受けたにもかかわらず、講和はアメリカに打撃を与えてからという「一撃講和」にこだわり、戦争を継続させました。

 松田の「進講」については、「昭和天皇実録」にもほとんど出て来ず、「「百武日記」によって明らかになった事実」(古川隆久日大教授)だといいます。

 また「百武日記」には、当時一般には聞くことができなかったアメリカの「短波放送」から、百武が重要と選択したものを裕仁に逐次報告していたことも記されています。

 以上が番組の中で注目された部分です。

 侵略戦争の遂行については、「軍部の独走」として天皇裕仁の責任を軽視する論調がありますが、裕仁は大元帥として陸軍・海軍の大本営を統括する最高責任者であっただけでなく、ヨーロッパの戦況も含め、外交・国際情勢が直接リアルタイムに報告されていたわけです。

 松田がイタリアの降伏を知らせ、敗戦は必至だとの情報を「進講」したにもかかわらず、それから約2年間、裕仁は無謀な戦争の続行にこだわりました。この2年間でいかに膨大な犠牲がもたらされたかは言うまでもありません。

 敗戦から77年。侵略戦争を開始し、講和(降伏)を引き延ばした天皇裕仁の戦争責任はあらためて徹底的に追及されなければなりません。その天皇の戦争責任を棚上げして継続されている「(象徴)天皇制」は直ちに廃止しなければなりません。


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日曜日記210・「8・14」を「記念日」に

2022年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム
 かつて天皇明仁(当時、現上皇)は、「忘れてはならない日」として4つの「記念日」を挙げた。現天皇もそれに倣っているという。「6・23」と「8・6」と「8・9」と「8・15」だ。

 いずれも日本(国民)にとって大切な日で「国民とともにある天皇」を示している、とメディアは言う。しかし実はそうではない。この4つの「記念日」には国家(政府)がけっして認めようとしない隠された共通点がある。

 それは、いずれも日本(国民)の「被害」が強調され、その「加害」の意味が隠ぺいされていることだ。

 広島・長崎の被爆はそれを招いた日本の侵略戦争の責任とともに語られることは少ない。「6・23」の「沖縄慰霊の日」も、米軍による被害は告発されるが、日本軍の住民虐殺、沖縄を「捨て石」にした帝国日本の責任は追及されない。「8・15」は「終戦記念日」とされているが、実はそうではない。そこには重大な政治的思惑が隠されている(2020年8月15日のブログ参照)。

 先の戦争にかかわる4つの「記念日」でいずれも日本の加害性が隠ぺいされている。ということは、最大の戦争責任を負うべき天皇裕仁が免罪されているということだ。明仁が「忘れてはならない日」としている本当の意味はここにある(本人がどこまで認識しているかは別として)。

 翻って、「8・14」は何の「記念日」か、と聞かれて答えられる日本人はどれだけいるだろう。

 韓国では「8・14」は「国の記念日」だ。「日本軍「慰安婦」被害者メモリアルデー」。
 1991年8月14日、日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)の被害者だった故・キム・ハクスン(金学順))さんが、その事実を初めて告発した日だ(2018年8月14日のブログ参照)。

 韓国ではキムさんの告発をきっかけに、「日帝下の日本軍慰安婦被害者に対する保護・支援および記念事業などに関する法律」(2017年12月)が成立し、「国の記念日」に指定された(11日付ハンギョレ新聞デジタル日本語版)。

 韓国では今年もこの日を前に、10日(水)から「私たちは今よりもっと強く、歴史の真実に向き合え!被害者の勇気を記憶せよ!」をテーマに、水曜集会はじめさまざまな取り組みが行われている(同上、写真も)。

 歴代天皇が本当に「忘れてならない」のはこの日だ。

 国家は重要な「記念日」に官製の「式典」を行い、その本当の意味を隠ぺい・歪曲する。歴史の修正であり否定だ。明日もまた政府主催の「慰霊式典」が行われる。

 多くの「日本国民」がそれに馴らされ、関心をもつこともなく流されている。知らないということは恐ろしい。知ろうとしないことはもっと恐ろしい。

 ひとごとではない。この年になっても知らないことが多いことに自己嫌悪する。この国で近代の歴史を知ることがいかに難しいか。それにしても勉強不足は否めない。

 「8・14」は日本がポツダム宣言を受諾した日でもある。ほんとうの「敗戦記念日」は今日だ。奇しくも同じ日となった「8・14」を、歴史の大切さ、歴史を学び続ける大切さを胸に刻む「記念日」にしたい。


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「安倍国葬」・なぜ若年層に「賛成」が多いのか

2022年08月13日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
  

 安倍晋三氏の「国葬」に対しては、各種の世論調査で「反対」が多数です。例えば以下の通りです(「どちらかといえば」も含む。小数点以下は四捨五入)。
                  賛成      反対
共同通信 (1日付)       45%      53%
NHK  (8日放送)         36%      50%
熊本日日新聞(7月21日付)    43%      50%
南日本新聞(7月25日付)     23%      72%
長崎新聞(1日付)        21%      75%
琉球新報(9日付)        34%      65%
沖縄タイムス(9日付)      39%      59%

 「安倍国葬」に対する「民意」は明確です。

 ところが、その中で見過ごすことができない傾向があります。「反対」は年齢が高くなるほど多く、年齢が若いほど「賛成」の割合が多いことです。

 年代別の結果が分かっているものを見ると、共同通信(上記)では、30代以下の若年層は、「賛成」52・2%、「反対」47・3%。この層が唯一「賛成」が「反対」を上回っています。

 同じく琉球新報(上記)では、20代以下で、「賛成」50・9%、「反対」47・3%で唯一「賛成」が上回っています(30代は「賛成」46・4%、「反対」52・3%)。

 また、岸田内閣改造に伴う共同通信の世論調査(12日付)で、「安倍国葬」に関する岸田首相の説明は納得できるかという質問に、全体では42・5%が「納得できる」、56・0%が「納得できない」と答えていますが、年代別では、29歳以下「納得できる」が74・0%「納得できない」25・3%を大きく上回っています(30代は「納得できる」44・0%、「納得できない」52・1%)。

 年代が若いほど、とりわけ20代で、「安倍国葬」に「賛成」し、岸田首相の説明も「納得できる」という割合が突出して多いのです。

 これはなぜでしょうか?どの調査にも掘り下げた分析はないので、以下は私の推測です。

 第1に、若年層(とりわけ20代)の「政治的保守化」です。

 共同通信の調査(1日付)では、「国葬賛成」の75%は「岸田内閣支持」です。若年層で「自民党支持」が多いことは他の調査でも示されています。そうした「政党支持」状況が「国葬」の賛否にも反映していると言えるでしょう。これはやはり若年層の「政治的保守化」(短い言葉で命名するのは危険ですが)といえるのではないでしょうか。

 第2に、SNSの影響です。

 若年層ほど新聞よりSNSを情報源とする割合が高いと思われます。それに注目してSNSをいち早く駆使したが安倍晋三氏でした。そのため、若年層ほど安倍氏への“親近感”が強かった(抵抗感が薄かった)のではないでしょうか。

 メディアは一般に自民党政治の反民主性・反市民性を分析・追及することは不十分ですが、その傾向はとりわけSNSで強いと思われます。そのためSNSを主な情報源とする若年層ほど安倍政治の実態が伝わっていないのではないでしょうか。

 いずれにしても、「若年層の政治的保守化」「SNSの影響」はさまざまな角度から分析・究明される必要があるでしょう。これはもちろん「安倍国葬」だけの問題ではありません。
 これからの社会を担っていく若年たちが政治をどうとらえ、どう行動しようとしているのか。社会全体の重要問題だと改めて痛感します。

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「安倍銃撃事件」と「ウクライナ戦争」

2022年08月12日 | 国家と戦争
   

 「安倍晋三氏銃撃事件」(7月8日)から1カ月が過ぎました。この事件の受け止め方について、かつて「オウム事件」のドキュメンタリーを制作した映画監督の森達也氏が、(旧)統一教会への恨みがあるとしてもなぜ元首相の銃撃に向かうのかすぐにはつながらない、という記者の質問に対して、この述べています。

「オウム事件以降の日本社会の変化が典型だけど、動機がわからない、釈然としない事件が起きると人々は不安と恐怖から、同じ考えでまとまりたくなります。そして、異物に対して攻撃的になって排除しようとし、違う集団として敵視する。少しでも安心するため、わかりやすい動機を無理に作ろうとして、加害者は徹底的な『悪』とされる。その結果、正義と悪、真実と虚偽、敵と味方など二元化が進行します。見つめるべきグレーゾーンが捨象されてしまう」(7月24日の朝日新聞デジタル、写真右も)

 たしかに、「オウム事件」はじめ、「やまゆり園事件」「秋葉原事件」なども含め、「動機が釈然としない事件」に対し、日本の社会は、加害者を「異物」「徹底的な悪」として「排除」してきたのではないでしょうか。

 同時に私は、この指摘を読んだ瞬間、「ウクライナ戦争」が頭に浮かびました。

 ロシアのウクライナ侵攻(2月24日)から半年になろうとしています。
 当初は、なぜロシアは軍事侵攻したのかという疑問の提示や、NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大、ウクライナの親ロ政権が排除された「マイダン革命(クーデター)」(2014年)など、軍事侵攻の背景についての論及も不十分ながらありました。

 しかしその後、メディアの報道(掲載される「識者」の論考を含め)は、ウクライナの悲惨な戦場の状況、ロシアの戦争継続、ウクライナを軍事支援するアメリカなどNATO、G7諸国の動向、「徹底抗戦」を訴え「武器支援」を要求するゼレンスキー大統領の動画に収斂されていきました。

 これはまさに、「動機がわからない、釈然としない事件」(ロシアの軍事侵攻)が起きたことで、「不安と恐怖から」、「異物(ロシア)に対して攻撃的になって排除」する、そして「少しでも安心するため、わかりやすい動機」(プーチンは残虐)を作り、「加害者(ロシア)を徹底的な悪」(対照的にウクライナを徹底的な正義)とし、結果、「正義と悪、真実と虚偽、敵と味方の二元化が進行」してきた(させてきた)過程ではないでしょうか。「停戦・和平」についての報道・論評が影を潜めているのも、その過程と無関係ではありません。

「安倍銃撃事件」と「ウクライナ戦争」が同時期に起こったのは偶然でしょう。しかし、それを受け止める社会の危うさは共通しています。「見つめるべきグレーゾーンを捨象」する思考停止の危うさです。その危うさは以前から(森氏の見解ではとりわけ「オウム事件以降」)、日本社会に広がっています。

 国家はいま、その思考停止に乗じ、それをさらに助長し、「正義と悪の二元論」を強調することによって、市民の「不安と恐怖」を煽り、軍備拡張、軍事同盟強化、戦時国家体制づくりを急速にすすめようとしています。

 私たちはそれに抗い、「見つめるべきグレーゾーン」を凝視することができるのか、思考停止を克服することができるのか。歴史的岐路に立っていると思います。

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