アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

事実を偽るNHKの古関裕而美化は何を意味するか

2020年10月22日 | メディアと日本の政治・社会

    
 NHKの看板番組・朝ドラの「エール」が作曲家の故・古関裕而をモデルにしている問題については以前書きましたが(5月19日、9月27日のブログ参照)、話の展開が戦中から敗戦後に移ってきた先週から今週にかけ、問題性がいっそう目立ってきました。それは、事実を偽って古関を美化していることです。

 「エール」では、古関をモデルにした主人公が、自ら作った軍歌の数々(たとえば「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」)が若者を戦場に駆り立てたことへの自責の念に苦しみ、1年半以上にわたって作曲活動が行えず、1947年7月に菊田一夫(役名は異なる)と知り合い、「戦争孤児」を励ます「鐘の鳴る丘」の主題歌で復活する、という展開になっています。

 これは事実に反しています。

 古関の自叙伝の「年譜」にはこう書かれています。
 「昭和20年 10月 NHK連続ラジオ・ドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田(一夫)氏とコンビを組む」(古関裕而著『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』集英社文庫)

 古関はすでに1937年には菊田一夫と知り合っています。そして、敗戦から2カ月後には早くもラジオドラマの主題歌を書いているのです。1年半以上自責の念で作曲できなかったという事実はまったくありません。
 「鐘の鳴る丘」が47年7月から始まったのは事実ですが、敗戦からそれまでに古関は実に32曲の作曲を行いレコード化されています(刑部芳則著『古関裕而』中公新書より)。

 古関自身、敗戦直後の様子をこう記しています。

 「終戦後、初めての仕事が菊田一夫さんとの仕事であった。これもなにかの縁なのだろうか。それからの私の音楽は、菊田さんの行くところへとついて行く。まるで、拍車をかけて走る二輪車が、留まるところを知らずに走っているようだった。よくもあれだけ多くの仕事をかかえていたものだと思う。健康な体にも感謝したい」(前掲『古関裕而自伝』)
 ここには、失意どころか、戦争協力に対する反省すらうかがえません。

 「エール」はあくまでもドラマ・フィクションでありドキュメンタリーではないといわれるかもしれません。しかし、「エール」が多くの部分で古関の経歴・足跡にしたがって作れていることは確かです。しかも、軍歌をはじめ作曲した曲名や歌詞は実物です。つまり「エール」は大筋事実の中に虚偽を織り交ぜてつくられているもので、それだけに一層罪が深いと言わざるをえません。

 古関裕而という一作曲家にそれほどこだわる必要はない、と思われるかもしれませんが、決して軽視できない理由があります。

 第1に、古関の美化は侵略戦争・植民地支配の日本の加害責任棚上げと通底します。戦争に積極的に協力した古関が敗戦後は「日本の復興・平和のため」に貢献したというストーリーは、戦争・植民地支配責任をとらないまま「戦後復興」にまい進した日本の姿の投影といえるでしょう。

 「エール」の主人公が、脚色されている中でも、日本の若者を戦場に駆り立てたことには「自責の念」をもったと描きながら、自分の曲がアジアを侵略し殺戮した“行進曲”になったことの責任を微塵も感じていないのは、日本の姿を端的に示しています。

 こうしたストーリーは、安倍・菅政権の下で、朝鮮半島の戦時強制動員(「徴用工」)問題の責任回避が続けられていることと無関係ではないでしょう。

 第2に、古関と自衛隊の関係です。
 古関は敗戦後、数々の自衛隊歌を作曲し、それらは今も隊内で演奏され歌われています。自衛隊創設20年を記念して作られた隊歌「栄光の旗の下に」(写真右)、「この国は」、「君のその手で」、「聞け堂々の足音を」、海上自衛隊の隊歌「海をゆく」などはみな古関の作曲です(「ウィキペディア」より)。

 憲法違反の軍隊である自衛隊は、歴史的にも組織的にも旧帝国軍隊を引き継ぐものです。古関が帝国軍隊の軍歌に続いて自衛隊の多くの軍歌を作曲している事実は、たんに古関の戦争加担への無反省を示すだけでなく、自衛隊の本質、日本軍隊の連続性を象徴するものといえるでしょう。

 自衛隊は日米軍事同盟の下、米、英、豪、印などとの合同訓練を繰り返し、実戦体制を強化しています。隊内では士気を鼓舞するために古関の曲が歌われ演奏されています。その古関を事実を偽って美化することは黙過できません。

 しかもNHKは広島局による朝鮮人差別が大きな問題になっている最中です。「公共放送局」としての責任が改めて厳しく問われます。


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