アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「平和の礎」を考える<上>「平和のこころ」と加害責任

2020年06月23日 | 沖縄と戦争

    

 きょう6月23日は沖縄「慰霊の日」です。県主催の「追悼式」は例年、平和祈念公園の式典広場で行われてきましたが、玉城デニー知事は5月15日、「コロナ対策」を名目に「国立沖縄戦没者墓苑」で行う方針を示しました。これに対し、県内から強い反発・批判が起こりました。

 沖縄県内の学者・研究者・市民でつくる「沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会」(共同代表・石原昌家沖縄国際大名誉教授ら)は6月1日、玉城知事に対し「追悼式を平和祈念公園、『平和の礎』近くの式典広場で行うこと」を求める「要請書」を提出しました(写真中。2日付琉球新報)。
 「国家の施設である国立墓苑で追悼式をすることは、国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは相容れない…個人の名前を敵味方なく刻んだ『平和の礎』のそばの、内外に開かれた空間である平和祈念公園広場が適切と考えます

 こうした県内の声に押され、玉城知事は12日、「国立墓苑」で行う方針を撤回し「従来の場所で開催」すると表明しました。「県民の会」などが玉城知事をただし、敗戦から75年目の「追悼式」の変質を食い止めた意義は大きいと言えます。
 ただし玉城氏は、方針撤回の理由は「コロナの拡大も抑えられ」たことだとし、「どこでお祈りをしても思いは届くと思う」(13日付琉球新報)と言い続けていますから、ことの本質が理解されているとはいえません。

 今回のことで同時に考える必要があるのは、「平和の礎」のある空間(写真左)は「追悼式」の場として無条件に好ましいのか、ということです。なぜなら、「礎」には優れた面と共に重大な弱点もあるからです。

 「礎」は確かに、「敵・味方や軍人・民間人、加害者・被害者、人種、国籍を区別することなく、すべての戦没者を追悼する画期的な記念碑」(吉浜忍、林博史、吉川由紀編『沖縄戦を知る事典』吉川弘文館)です。刻銘者は、沖縄県出身者14万9502名、本土出身者7万7436名、朝鮮半島出身者462名(韓国380名、朝鮮民主主義人民共和国82名)、台湾人34名、米軍人1万4009名、英軍人82名となっています(2018年6月現在、前掲『事典』より)。

 「礎」の除幕式が行われたのは、25年前のきょう、1995年6月23日です。「礎」を建立した大田昌秀知事(当時。写真右)はその趣旨を、「沖縄の『平和のこころ』を広く内外にのべ伝え、世界の恒久平和の確立に寄与すること」(『死者たちは、いまだ眠れず―「慰霊」の意味を問う』新泉社2006年)と述べています。

 こうした「礎」の画期的な特徴は、負の側面と裏腹でもあります。「礎」には次のような問題点があります。

  1. 沖縄戦で多くの住民を死に追いやった第32軍の牛島満司令官や長勇参謀長ら帝国陸軍の将校、兵士らの名前が市民の名とともに刻まれている。
  2. 牛島や長は沖縄戦で住民を犠牲にしただけでなく、南京大虐殺はじめ中国侵略の中心的人物でもあった。
  3. 刻銘されている沖縄出身者は、沖縄戦の犠牲者だけでなく、アジア侵略の十五年戦争に従軍して死亡した元兵士らも含まれている。
  4. コリア半島出身者の犠牲者には、「慰安婦」や軍夫もいたが、そうした人は刻銘されていない。また、そもそも日本軍と同じ場所に刻銘されること自体に在日コリアンから反発・批判がある。

 総じて言えることは、「礎」は沖縄出身者を含む日本軍・日本人の戦争・植民地支配の加害責任があいまいにされていることです。

 この弱点は、過去の歴史の評価にとどまらず、現在の中心課題である別の問題に通じています。(明日の<下>に続く)

 


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