アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「4・28」と「4・29」と沖縄

2015年04月28日 | 戦争・天皇

        

 きょう「4・28」は、サンフランシスコ「講和」条約と日米安保条約発効の日(1952年)です。
 安倍政権はこの日を「主権回復の日」と称し、2年前、天皇・皇后出席の下で「記念式典」を強行しました(写真中)。
 しかし沖縄にとってこの日は「屈辱の日」。今日も、午前中の辺野古での集会(写真左)に続き、各地で抗議集会が計画されています。

 そんな「4・28」に、安倍首相とオバマ米大統領の「首脳会談」がおこなわれ、日米軍事同盟のいっそうの拡大・強化が確認されるのは、偶然とは思えないほど象徴的なことです。

 ところで、「4・28」の翌日、あす「4・29」は何の日でしょう?カレンダーでは「昭和の日」ですが、なぜこの日が「昭和の日」なのか。それが昭和天皇(天皇裕仁)の誕生日だったからだからだと知る人は多くないかもしれません。

 「4・28」(「講和」条約・日米安保)と「4・29」(昭和天皇)。実はこの2つには深い関係があります。とりわけ沖縄にとって重大な意味があることを見逃すことはできません。

 サンフランシスコ「講和」条約は、第3条で「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」を「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置く」として、沖縄を切り捨て、アメリカの統治下に置きました。それが沖縄の苦難の根源であり、条約発効のこの日は沖縄にとってはまさに「屈辱の日」なのです。

 同時に日米安保条約によって、対米従属の軍事同盟体制が確立しました。本土もけっして「主権を回復」したわけではありません。沖縄はその中でもさらに差別され、もっとも軍事同盟の危険にさらされることになりました。

 この沖縄切り捨て、対米従属の日米軍事同盟の“陰の主役”が、天皇裕仁にほかなりません。

 それを示す1つの証拠は、「天皇メッセージ」(1947年9月20日)です。天皇裕仁は宮内庁御用掛の寺崎英成を通じ、GHQの政治顧問シーボルトに、「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」と伝えたのです。「天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立」つ、と。

 「天皇メッセージ」は進藤栄一氏(筑波大名誉教授)によって存在が初めて明らかになりました(「世界」1979年4月号)。進藤氏は28日付の琉球新報で、あらためてこう指摘しています。

 「天皇は・・・基本的に戦前体制を維持しながら米国にすり寄って日米同盟の中で新日本を築き上げようとした。日米同盟基軸路線だ。天皇メッセージは、そのための道具として沖縄を差し出しますよ、と提案したもので、天皇制を守るために沖縄を『捨て石』にする考え方だ
 「(天皇メッセージの狙いは天皇制の存続か、との質問に)もっと直接的だ。戦争責任から逃れることだ

 天皇裕仁のこの狙いが表面化したのは、天皇メッセージだけではありません。天皇メッセージの4カ月前、マッカーサーとの第4回会談(1947年5月6日)で、天皇裕仁はこう述べました。

 「日本の安全保障を図る為には、アングロサクソンの代表者である米国が其のイニシアチブを執ることを要するのでありまして、此の為元帥の御支援を期待して居ります」(『日本占領(3)』)。

 この考えに基づき、天皇裕仁は当時の吉田茂内閣の公式な外交とは別に、天皇による「二重外交」を執拗に繰り広げ(もちろん「象徴天皇」を逸脱した明白な憲法違反)、ついに対米従属の「講和」条約と日米安保条約の締結を実現したのです(豊下楢彦氏『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』参照)。

 天皇裕仁の狙いは敗戦直後のマッカーサーとの第1回会談(1945年9月27日、写真右)から一貫していました。天皇とマッカーサーの会談の意味を豊下楢彦氏はこう指摘します。

  「占領の円滑な遂行のための『政治的道具』としての天皇の『権威』を利用しようとするマッカーサーの意図と、戦争責任を回避して天皇制の存続をはかるためにマッカーサーの『権力』への全面協力に活路を求めようとする天皇の意図との“相互確認”がおこなわれた」(前書)

 天皇裕仁こそ、沖縄切り捨て、従属的日米軍事同盟体制確立の張本人だったのです。

 2年前の「主権回復の日式典」で、安倍首相が、天皇裕仁が1946年に詠んだ歌をあえて紹介し、「多くの国民と心は同じだった」と賛美し、「天皇陛下万歳」で締めくくったのは、けっして偶然ではありません。

 「4・28」といえば「沖縄屈辱の日」。そして、「対米従属の日米軍事同盟体制確立の日」。そのいずれも、戦争責任を回避して天皇制維持を図った天皇裕仁の意図が貫かれていたことを忘れてはなりません。

 ところで、偶然といえば、「4・28」と「4・29」が1日違いなのは、はたして偶然でしょうか。日本国憲法の公布(1946年11月3日)を明治天皇の誕生日(明治節)と同じ日にしたことを思えば、偶然とは言えないような気がします。

 さらに、今日「4・28」に「春の褒章」が発表されたのは、偶然でしょうか。「褒章」は明治天皇の詔勅(1875年)に端を発する勲章制度の一環。天皇制維持の手段にほかならないのです。
 

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