アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「日米安保肯定」に立って「首脳会談・辺野古」を批判できるか

2015年04月30日 | 日米安保・沖縄

         

 28日の日米首脳会談とそれに先立つ「日米防衛協力指針(ガイドライン)」改定に対し、本土の多くの新聞・メディアが「懸念」を示し「批判」しています(「読売」「産経」は論外)。

 「『積極的平和主義』のもと、国際社会での日本の軍事的な役割は拡大され、海外の紛争から一定の距離を置いてきた平和主義は大幅な変更を迫られる。・・・戦後日本の歩みを踏み外すような針路転換である」(「朝日」28日付社説)

 「これは自衛隊が米軍に世界規模で協力するという約束である。・・・自衛隊の海外での活動は飛躍的に拡大し、日米安保体制は極東の範囲を超えて世界に広がる」(「毎日」28日付社説)

 「自衛隊が海外で武力の行使をする恐れが高まる。戦後日本の『専守防衛』政策は根本から覆る」(東京新聞28日付社説)

 これらの分析・指摘はその通りです。問題は、ではどうすべきなのか、この歴史的な段階において日本はどのような「針路」をとるべきかです。
 しかしこの肝心な点について、各紙に明確な主張は見られません。「国内の合意もないまま・・・あまりにも強引すぎる」(「朝日」同)、「国民を置き去りにした安保政策であってはならない」(「毎日」同)、「あまりにも乱暴な進め方だ。・・・慎重な検討が必要だ」(「東京」同)と、いずれも手続き論に終始しています。

 なぜそうなるのか。それは、日本のメディアがあまねく、日米軍事同盟=安保条約を肯定する立場に立っているからです。だから新「ガイドライン」が「従来の安保条約の枠を超える」とは指摘できても、その根源である日米安保条約を廃棄すべきだとは言えないのです。だから安倍首相が「日米同盟の歴史に新たな1ページを開く」と誇示しても、それを批判することができないのです。

 では、沖縄の2つの県紙、琉球新報と沖縄タイムスはどうでしょうか。
 新報は「沖縄利用許されない―普天間即時閉鎖こそ解決策」(29日付社説)、「人権と民主主義の無視だ」(30日付社説)、タイムスも「日米『辺野古』再確認―露骨な切り捨ての論理」(30日付社説)と、いずれも日米間で「辺野古移設が唯一の解決策」(安倍首相)だと再確認したことを厳しく批判しています。
 批判は当然です。今回の日米会談は、沖縄県内外の市民の声に耳を貸そうとしない日米両政府の姿をあらためて浮き彫りにしました。

 しかし同時に問題なのは、新報もタイムスも、本土メディアと同様、日米軍事同盟=安保条約を廃棄するという根本問題にはまったく触れていないことです。それどころか、「日米同盟強化をうたえばうたうほど、よって立つ基盤のもろさが目立つ。まさに砂上の楼閣だ」(同新報社説)と、日米軍事同盟の存在を容認・肯定する立場から、その基盤が揺るがないために、辺野古新基地建設は強行してはならないと主張しています。

 この立場で一貫しているのが、翁長雄志知事にほかなりません。
 翁長氏は29日急きょ記者会見し(写真右)、日米首脳会談で「辺野古移設」が再確認されたことを批判するとともに、「『(辺野古が)唯一の解決策』という言葉は日米同盟、日米安保体制を揺るがしかねないと思っている」「私は日米安全保障体制は重要だと理解をしている」「県民のことを考えないで推し進めることは大変残念であり、日米安保体制にとっても良くない」(30日付琉球新報)と繰り返し、日米安保=軍事同盟を容認、いや積極的に肯定したうえでの「辺野古新基地反対」であることを改めて示しました。

 これでいいのでしょうか。
 今回の日米首脳会談、「ガイドライン」改定は、対米追随の軍事同盟=安保条約が、アメリカの戦争に日本が参戦するためのものにほかならず、日本・アジア・世界の平和と安全を脅かすものであることを改めて浮き彫りにしたのではなかったでしょうか。いまこそ安保条約廃棄の世論を大きくすべきときです。

 にもかかわらず、その日米軍事同盟=安保条約を肯定し、逆にその「重要性」を強調する立場に立って、果たして辺野古新基地建設を阻止することができるでしょうか。辺野古だけでなく、嘉手納をはじめ沖縄から、日本から、米軍基地を撤去することができるでしょうか。
 「辺野古新基地」の根源は日米軍事同盟=安保条約なのですから。

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