きのうは69回目の敗戦記念日(朝鮮の人たちにとっては解放記念日)。来年は70周年の大きな節目です。
戦争体験者が年々減少していく中、それをどう受け継いでいくか。待ったなしの課題です。
そんな中で注目されるのが、広島市が行っている「伝承者育成事業」です。
被爆体験を戦後世代が継承し、実際の体験者に代わって「語り部」となっていく。その伝承者を市の事業として、3年かけて育成していこうという取り組みです。
2012年度から始まり、初年度の応募者は46人。順調にいけば今年度中に「伝承者」として認定されます。昨年度は54人、今年度は44人の応募がありました。県外からの応募もOKです。
初年度に多くの被爆者の体験を聴き、2年目にその中から自分が体験を引き継ぎたいと思う人を決め、その人からマンツーマンで体験を継承。3年目に認定の検定を受けるという仕組みです。
そのもようはNHKドラマ「かたりべさん」でも紹介されました(写真左)。
現在は修学旅行生への「語り部」に限られていますが、広島市では「それ以外にも活動の場が広げられないか検討したい」(平和推進課)としています。
伝承者を目指す人たちが悩むのは、はやり、実際に体験しない者がどれだけ体験者に代われるかということ。
でも、市民は温かく見守り、期待しています。
先日の中国新聞に、「『伝承者』育成 心強い」という呉市の81歳の女性の投書が掲載されました。
伝承者が、「被爆者が原体験を語るのには及ばない。その溝をどう埋めればいいのか」と悩んでいることに対し、女性はこう述べています。
「時代背景を知らない今の人には、言い尽くせないいらだちもあると思う。だが、体験者の気持ちに寄り添って聞く心があるからこその謙虚さだろう」「この悲劇に未来の子たちを二度と遭わせたくないからこそ、語り継いでほしいと伝承者に期待を高めている」
体験者の継承が焦眉の課題であることは、オキナワもヒロシマと同じです。
沖縄でももちろん、体験の「伝承」は行われています。ただ、広島と違い、行政が事業として取り組むという点は遅れているのではないでしょうか。
「官制」の伝承には問題が生じる恐れもありますが、それは市民の主体的参加・自治で克服できるはずです。
「沖縄戦70年」を目前に、市民が「伝承者」をどう育成していくか。広島の取り組みも参考に、具体化が期待されます。
そしてもちろん、私たち一人ひとりがどういう「伝承者」になっていくかが、私たち自身の課題であることを忘れてはならないでしょう。
<注目の記事>
広島生まれ・在住の琉球方言研究者の「思い」
「島言葉の復権―奥底の思い伝えるために」というインタビュー記事が中国新聞(8月13日付)に掲載されました。
語っているのは、広島市生まれ・在住の生塩(おしお)睦子さん。
広島大卒業後、琉球大に1年留学したのがきっかけで、故仲宗根政善氏に師事。とくに伊江島方言を研究し、伊江村名誉村民に。
「心の奥底の思いを表現するのは島言葉(シマクトゥバ)しかない」と言う生塩さん。
「米軍基地の重圧が今なお続きますが、言葉という文化の根っこは枯れていませんね」と聞かれ(同紙論説副主幹)に、こう答えます。
「伊江島に『スィマパンク ナーティティ』という言い伝えがあります。スィマパンクは海のカマキリと呼ばれる小動物。小さき者にも得手がある、ばかにするな、とでも意訳しましょうか。そんな命もいとおしむ心を方言は育ててきたと思います」