アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「原発被災者・避難者」との連帯、あらためて

2014年08月07日 | 被ばく

Photo_3Photo_4 「私の出会った原発災害~今、福島の子どもたちは~」と題した講演会が5日、福山市内でありました。

 講師は福島県川内村からの避難者で、岡山市出身の大塚愛さん(子ども未来・愛ネット代表=写真)。

 大塚さんは岡山大学卒業後、農業研修で福島へ。大工の棟梁に弟子入りして技術を習得し、川内村の山林の中に自ら家を建て、井戸水と太陽光エネルギーで生活していました。

 そんな中で起きた「3・11」東電福島原発事故。大塚さんは事故当日から避難し、2日後には家族4人で実家の岡山へ移住。以後、子どもたちの保養など、原発被災者・避難者の支援活動を行っています。

 先月末、大塚さんは9歳の息子を連れて川内村に一時帰宅したところ、2泊3日の間中、息子は日頃出さない鼻血を何度も出したといいます(妹は出ませんでした)。個人差があるものの、「美味しんぼ」の内容はけっしてウソ・誇張ではないのです。

 大塚さんが今もっとも心を痛めているのは、「2年たったころから表れてきた“心の災害”」。避難や食材の安全性などをめぐって「考え方の違い」が表面化し、「福島が分断」されていることです。

 「いろんな考えを語り合うことが大事」だという大塚さんは、避難者支援では、子どもたちが安心して遊べる場所だけでなく、親同士が語り合う場をつくることを重視しています。

 大塚さんは強調します。「避難するかしないかは、それぞれの生活、価値観の中でそれぞれが選択すること。一人ひとり違っていて、みんなが正解。そんな一人ひとりを支える社会でありたい」

 正直言って、私の中で「3・11」大震災、原発被災者・避難者のことは徐々に薄れかけていました。大手メディアをはじめ社会全体の空気に無意識のうちに影響されるのです。
 大塚さんの話でその危険性に気付かされました。

 大塚さんによれば、岡山県への原発避難者は今年1月現在で約1100人。「3・11」直後の400人から大きく増え、その数は今も増加し続けているのです。
 原発・放射能被ばく問題は薄らぐどころかますます深刻になっているのです。

 「3・11」直後は、原発と米軍基地、フクシマとオキナワの共通点(相違点も含め)がさかんに論じられました。しかしそれも次第に薄れてきているように思うのは私だけでしょうか。

 悲しけれど、人の記憶は時間とともに薄れ、自分から遠い所の出来事は自分とは関係ないと思いがちです。それを補うのが想像力であり、その想像力の源が知識・情報です。

 大塚さんは、「どうかフクシマを忘れないで、関心をもって見守ってください」と訴えました。
 お願いするのはこちらです。私たちの方から知識・情報を求め続け、自分の問題として考え続けなければなりません。

 それは沖縄の基地問題もまったく同じ。はやり、原発と基地、フクシマとオキナワは繋がっているのです。

 <注目のニュース>

          被爆70年に「原爆の図」がワシントンへ


Photo_5 中国新聞(6日付)によれば、故・丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」が、被爆70年の来年6月13日~8月14日、ワシントンで展示されます。同作品の米首都での展示は初めて。

 企画者の1人、ピーター・カズニック教授(写真。カズニックさんは沖縄問題にも深くかかわっており、昨年に続き今年も近く沖縄を訪れます)は、こう述べています。

 「(「原爆の図」は)恐ろしくも美しい、人類にとっての重要作。勝戦70年の祝賀ムードが予想される地で、戦争の真実を考える機会をくれるはず」

 さて、「敗戦70年」の日本は、何をすべきでしょうか?


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今問い返す「『核の恐怖』と沖縄」

2014年08月05日 | 沖縄と差別

Photo_4Photo_5

福山市人権平和資料館で「写真展 ヒロシマ・ナガサキ 『原爆と人間』」が開催されています(1日~31日)。

 その中で1枚の写真(右)に目が止まりました。タイトルは「核の恐怖―沖縄」。写真に添付された文章です。

 「墜落して爆発したB52はナパーム弾とボール爆弾を積んでいました。あれが、水爆パトロールのB52だったら…。

墜落した場所は核兵器が置かれているという知花弾薬庫からわずか二百五十メートルの地点。B52の墜落があと十分の何秒かのちだったら…。

 核の恐怖はわたしたち沖縄と被爆者しかわからないのじゃないでしょうか。
19681119日未明、沖縄の嘉手納米軍基地でB52 爆撃機が墜落、大爆発。付近の住宅に大被害)」

 「核の恐怖は沖縄と被爆者しかわからない」。

はたして今沖縄は、広島・長崎の被爆者と同じように、「核の恐怖」を実感しているでしょうか。

 B52爆撃機の墜落は、沖縄「本土復帰」(1972)の4年前です。「復帰」以前、沖縄では米軍基地の核兵器貯蔵、さらに核兵器搭載戦闘機の出撃に対し、反対・抗議が高まりました。

 これに対し、時の自民党・佐藤政権は「核抜き・本土並み復帰」というごまかしで、沖縄の反核世論の抑え込みを図りました。

 「核抜き」とは真っ赤なウソだったことは、日米政府間の「密約」で明らかになりました。その内容はこうです。

 「米国政府は…事前協議を行った上で、核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められる…さらに、米国政府は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できることを必要とする」

沖縄に核兵器が貯蔵され、米軍がいつでも使用できる。沖縄は「復帰」前と同じく、いまも「核の島」になっている可能性が極めて大きいのです。

 これに対し、現在の沖縄における「反核」の世論と運動は、あまりにも微弱ではないでしょうか。「反基地」が「反核」と一体となっているとはとても言えないのが現状ではないでしょうか。(ちなみに、2013年の「建白書」には「核」の文字は1つもありません)

 原水爆禁止世界大会の開幕となる2日の国際会議で、日本被団協の藤森俊希事務局次長は、安倍政権の集団的自衛権行使容認について、「このまま立法や法改正を許せば、日本は核武装への道を進む可能性さえ生まれる」(中国新聞83日付)と批判しました。

 いまや原発だけでなく、核武装・核兵器使用の危機さえ現実のものになろうとしているのです。

集団的自衛権行使で最前線基地とされる沖縄は、今あらためて、「核の恐怖」を捉え直す必要があるのではないでしょうか。

 <介護メモ>

        「目の前の命とつきあうことで…」


Photo_6

 3日のNHKEテレ)「こころの時代」で、作家の落合恵子さんが、お母さんの介護について語りました。

 落合さんは、お母さんのベッドの横に簡易ベッドを置きパソコンを持ち込むという生活を永年続けました。

 
 インタビュアーが、「介護によって社会的活動が制約されることについてどう考えてきたか」という趣旨の質問をしました。私は身を乗り出しました。


 落合さんは言いました。確かに制約はあった。例えば、アメリカのアフガン戦争に反対する集会で、呼びかけ人に名を連ねることを要請されたけれど、介護のために当日参加できるかどうかわからなかったので、名前は出さなかった。アフガンの人たちには申し訳なかった。しかし、としてこう述べました。


 「目の前の一つの命とつきあうことで、海の向こうのたくさんの命と結び合うことがいつかある、と思ってきました」


 落合さんの介護は実に
7年間に及びました。私はまだやっと7カ月です。それでも私の胸の奥にはいつもこの質問と同じ問いかけがあります。
 落合さんの言葉をかみしめたいと思います。


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集団的自衛権-広島・長崎の「宣言」に差。沖縄は?

2014年08月02日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 「集団的自衛権 言及に違い」。2日付中国新聞の見出しです(写真右)。

 広島市の松井一実市長は、1日の記者会見で、6日の「原爆記念日」の平和式典で読み上げる「平和宣言」では、「集団的自衛権」に触れないことを正式に表明しました。(写真左)

 広島の市民からは、被爆地・広島からの平和宣言では憲法違反の集団的自衛権行使容認に反対する意思を明確に示してほしい、という要望署名が1カ月で5591人分も寄せられていました。
 松井市長はそうした市民の声を反故にしたのです。

 松井市長の言い分は、「『日本国憲法の崇高な平和主義の下で戦争をしなかった事実を重く受け止め、名実ともに平和国家の道を歩み続けるよう政府に求める』という言葉でしっかり言及できる。むしろこちらの方が高い次元の考え方だ」というのです。

 松井市長は集団的自衛権行使容認の閣議決定(7月1日)に対し、「武力行使を際限なく拡大する懸念が拭えない」とは言ったものの、明確な反対は表明しませんでした。「今回の宣言でもそのスタンスがにじみ出た格好だ」(2日付中国新聞)と言われています。

 一方、長崎の田上富久市長は同じ1日、長崎の「平和宣言」では、「集団的自衛権」の文言を盛り込む考えを表明しました。これまでの文案にはありませんでしたが急きょ入れることにしたものです。その理由は、「状況を整理するため、集団的自衛権という言葉を入れた方が伝わりやすい」ということです。

 「崇高な平和主義」「平和国家」とは安倍首相も再三口にする言葉です。今(今に限らず常に)必要なのは、抽象的な美辞麗句ではなく、具体化な要求です。
 被爆地の平和宣言として、松井広島市長と田上長崎市長と、どちらの選択が市民の願いに叶う真の平和宣言かは明白です。

 翻って、沖縄です。
 11月の沖縄県知事選に向け、反基地・平和・民主勢力は、翁長雄志那覇市長(元自民党県連幹事長)を候補者に擁立しようとしています。
 しかし翁長氏は、集団的自衛権行使容認に対し、「拙速な解釈改憲」には「反対」の意向を示していますが、「憲法違反の集団的自衛権行使に反対」とは明言していません。

 「拙速に反対」とは、「慎重にやればOK」ということです。「解釈改憲に反対」とは、「明文改憲ならOK」ということです。これでは集団的自衛権行使容認と本質的に変わりません。

 沖縄の県知事なら、正面から、「憲法違反の集団的自衛権行使に反対」と表明すべきです。
 さらに、松井広島市長はもちろん田上長崎市長も言及しない「集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回」までもはっきり要求すべきです。

 集団的自衛権行使に対する態度をあいまいにしたまま、候補者を擁立し、知事選挙を行うことになれば、沖縄の平和・民主勢力にとって計り知れない禍根を残すことになるでしょう。


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