アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「オール沖縄会議」が今すべきことは何か

2018年04月10日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 「米軍普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念」を求める「建白書」(2013年1月28日)の実現をめざす「オール沖縄会議」(以下「会議」)は、いま重大な岐路に立っています。

 「会議」が結成されたのは2015年12月14日(写真左。琉球新報より)。その目的は何だったでしょうか。

 「オール沖縄会議を結成する目的は、三つだ。現地辺野古での抗議行動を強化する、県と国の法廷闘争で翁長知事を支援する、国内・国際世論を喚起する―ことである」(2015年12月16日付沖縄タイムス社説)

 2番目の「翁長知事支援」について、「会議」の「設立趣意書」はこう明記しています。

 「県政が政府との全面的な法廷闘争に入った現在、県民挙げての支援体制を構築していくなど『あらゆる手段を駆使して新基地建設を阻止する』という翁長知事を全面的に支えていく」(2015年12月15日付琉球新報「趣意書全文」より)

 「会議」が翁長氏を「支援」するとしたのは、「あらゆる手段を駆使して新基地建設を阻止する」という翁長氏の言明を信じ、それを期待したからです。

 実際はどうだったでしょうか。

 「あらゆる手段」の中でも最も根源的な「手段」が「埋立承認撤回」であることは言うまでもありません。「撤回」は翁長氏の知事選公約でもありました。

 ところが翁長氏は、知事に就任して3年4カ月になる今も「撤回」していません。辺野古埋立工事は安倍政権(沖縄防衛局)が土砂投入のための「新たな護岸工事に着手」(10日付琉球新報)する段階にきているにもかかわらず、いつ「撤回」するかも明らかにしていません。

 それでも「会議」は、翁長氏を「支援」し続けています。そればかりか、翁長氏に「撤回すべきだ」と直接進言(申し入れ)することすらしていません。

 「撤回」だけではありません。

  政府は工事用の土石を海上から搬入するため、奥港(国頭村)などの港を使うことを切望していました。許認可権は知事にあり、「あらゆる手段」を行使するなら当然「不許可」とすべきでした。ところが、翁長氏は県民の見えないところで「許可」していたのです(2017年9月上旬)。沖縄タイムスの報道で判明しました(同11月3日付)。

 これには辺野古の現場で阻止行動の先頭に立っている山城博治・沖縄平和運動センター議長も、「これまで知事を正面から批判したことはないが、今回の件(奥港の使用許可ー引用者)を受け、覚悟を決めて翁長県政と向き合う必要が出てくる」「あらゆる手法で建設を阻止すると知事はこれまで主張してきた。それは一体何だったのか」(同11月11日付琉球新報)と怒りをあらわにしました。
 しかし、翁長氏はその後も、本部港、中城湾の使用を相次いで許可しました(写真右)。

 「会議」はこの問題についても何も発言せず、翁長氏の見解をただすことすらしていません。

 翁長氏が「高江ヘリパッド建設」を容認(2016年11月28日の記者会見。写真中)したことについても、辺野古や高江で反対市民を機動隊が暴力的に排除していることについて、翁長氏が県公安委員会の任命権を持っていながらだんまりを決め込んでいることについても、「会議」(あるいは会議に入っている与党県議)は翁長氏に一言の苦言を呈することもなく、「支援」し続けています。

 これでは「現地行動を支援強化していく」(「設立趣意書」)どころか、逆に現地闘争の足を引っ張っていると言わねばなりません。

 「辺野古」「高江」をめぐる一連の経過は、翁長氏の背信・公約違反を示すと同時に、その翁長氏を無条件に「支援」し続けてきた「会議」の責任も問うているのではないでしょうか。

 知事選挙まであと半年余。
 「会議」がいますべきことは、翁長氏の知事就任以降の言動を検証するとともに、それに対して「会議」が何をしてきた(してこなかった)のかを自己点検することではないでしょうか。

 その検証・反省なしに、無条件に「翁長再選支持」を決めることは、市民・民主運動の自殺行為と言えるのではないでしょうか。

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