アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「記者会見」の危機とウクライナ戦争

2023年08月17日 | 人権・民主主義
   

 インターネット社会の中で、「「記者会見」を巡って深刻な問題が生じている」と山田健太・専修大教授(言論法)が警鐘を鳴らしています(12日付琉球新報の「メディア時評」)。山田氏の指摘の要点はこうです。

 深刻な問題の1つは、裁判を始める時の提訴会見で起きている。

 企業の不当解雇やパワハラを訴えた労働者が提訴し、代理人の弁護士とともに記者会見すると、その内容が名誉毀損だとして逆に訴えられる事例。会見時発言の真実が立証されていないとして名誉毀損を認めることが少なくない。

 この裁判所の判断の前提は、記者会見もネット書き込みも同じレベルの表現活動として、社会的評価を低下させる行為とする構図だ。これはジャーナリズム活動を否定することにつながる。

 警察や検察が記者発表と報道を同列と考え、報道を抑えるために発表をしない、という最近の行政機関の傾向とも似ている。結果として偏った情報だけが社会に流布されることになりかねない。

 記者会見とは社会に対する開かれた窓であって、弱い立場の者が隠された社会課題を多くの人に関心を持ってもらうきっかけにもなりうる

 こうしたジャーナリズム活動をスキップした情報の流れは、結果として送り手にとって好ましい情報だけが世の中を席巻することにつながりかねない

 ジャーナリズムとは、報じられる側にとって「都合の悪い情報」を報じることに価値がある。情報提供の自由が確保され、私たちにとって知識や情報を受け求め伝えるための権利が保障されている場が、社会に確保されていることが大切だ。

 山田氏は「記者会見」を2つの側面で捉えています。1つは、提訴した市民が行うように、弱い立場の市民が多くの人に問題を訴える場。もう1つは、記者が行政機関や企業など権力側をただして事実を究明する場。
 そして、そのいずれもが行われないあるいは形骸化という危機に瀕している、というのです。

 テレビで中継される首相記者会見(官邸記者会)も、参加人数、時間、質問がいずれも制限され、形骸化が進んでいることは周知の通りです。

 こうした記者会見の軽視・無視を常態化させたのが、トランプ前大統領だと言えるでしょう。記者会見ではなくSNSで重要問題を一方的に発信する手法を常習化しました。そのトランプ氏に倣うようにSNSを駆使したのが安倍晋三元首相でした。
 
 そしてもう1人、毎日のようにビデオメッセージで発信し続けているのがゼレンスキー大統領です。ゼレンスキー氏が記者会見で記者の質問に答えている映像・報道がどれほどあったでしょうか。

 こうした権力側からの記者会見をスキップした一方的な情報発信は、まさに山田氏が指摘する「報じられる側にとって「都合の悪い情報」を報じることに価値がある」ジャーナリズムの根幹を切り崩すものと言わねばなりません。

 もちろん、ロシアや中国が国家権力でジャーナリズムを抑圧していることは論外で、絶対に許されることではありません。

 毎日のように流されるゼレンスキー氏のビデオメッセージには今日版「大本営発表」の様相で、その一方的な情報発信を、何の疑いもなく垂れ流すNHKはじめ日本のメディアは、自らジャーナリズムの根本精神を投げ捨てる自殺行為を繰り返していると言わねばなりません。

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