検察の控訴断念により袴田巌さんの無罪が9日確定しました。教訓は多々ありますが、その中の1つが「メディアの責任」です(9月27日のブログ参照)。
東京新聞、毎日新聞は9月27日付で、朝日新聞と共同通信(琉球新報)は9日付でそれぞれ「謝罪文」を掲載しました。NHKはこのかん、謝罪コメントは行っていません(私が見た限り)。
新聞各紙の「謝罪」は当然で最低限の責任といえます。しかし、その「謝罪」の内容は、到底十分なものとは言えません。
各紙の「謝罪」はほぼ同じ基調です。事件当時の報道は「袴田巌さんを犯人と断定する報道」(東京)で、「容疑者の人権に配慮する意識が希薄だった」(毎日)、「明らかに人権感覚を欠いていた」(朝日)としています。
そして朝日新聞は1980年代から、毎日新聞は2000年から、「事件報道」を見直し、独自の「ガイドライン」を策定してきた(東京新聞は現在策定中)といいます。
その「ガイドライン」は、「推定無罪」が刑事司法の原則であることを確認し、容疑者を「犯人と決めつける表現を避ける」(毎日)、「容疑者・弁護側の主張をできるだけ対等に報じる」(朝日)など、その内容もほぼ同じです。
こうした「ガイドライン」の内容は当たり前のことで、それだけで冤罪に加担し容疑者・家族の人権を蹂躙する報道が改められるものではありません。少なくとも次の3点を指摘しなければなりません。
第1に、捜査当局(警察)との癒着を断ち切ることです。
警察が記者クラブを通じて情報操作し、メディアを操っているのは周知の事実です。各社はその警察の手のひらで「夜討ち朝駆け」などで他社を抜こうとします。そこに警察との癒着が生まれます。
捜査情報開示のあり方を含め、警察との癒着を断ち切ることが「事件報道」改革の第1歩でなくてはなりません。
第2に、独自の調査報道を抜本的に強化することです。
朝日新聞の「謝罪文」は「事件発生や逮捕の時点では情報が少なく、捜査当局の情報に偏りがち」と述べていますが、これは言い訳です。問い直すべきは自らの調査報道の不十分さです。
捜査当局からの(リークを含めた)情報に依拠(安住)している限り、情報操作の網から出ることはできません。朝日新聞はかつて「リクルート事件」の調査報道が事態を一変させたことを想起すべきです。
第3に、「権力の監視・対峙」という本来の使命に立ち返ることです。
権力との癒着は「事件報道」に限りません。「政治報道」においても、とりわけ政府と官邸記者クラブ、自民党と平河クラブの関係に顕著です。
記者クラブを通じた権力の情報操作・メディア操作に踊らされず、独自の調査報道で真実に迫ることは、メディアのすべての分野の必須課題です。
メディアの本来の使命・原点は、主権者・市民の側に立ち、権力を監視し対峙することであることを改めて想起すべきです。
国家権力が戦争国家への道に突き進んでいる今、袴田巌さん、ひで子さんの多大な犠牲を無駄にせず、メディアが過ちを改める真の「謝罪」とは、その原点に立ち返ることではないでしょうか。