アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

マスク配布で朝鮮学校を差別する日本の現実

2020年03月16日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     
 埼玉県さいたま市(清水勇人市長)がコロナウイルス感染予防のために今月9日から幼稚園など子ども施設にマスクを配布した際、朝鮮学校初中級学校幼稚園部を排除しました。

 父母らが連日抗議活動を行った(写真左、中。朝鮮新報より)ほか、韓国でも抗議行動がありました(写真右。琉球新報より)。一般メディアも不十分ながら報じたこともあり、さいたま市は13日、朝鮮学校幼稚園部にも配布すると発表しました。

 しかし、清水市長は記者会見で「朝鮮学校だから外したのではない」「抗議があったから対応したのではない」(14日付東京新聞=共同)などと弁明し、誤りを認めず謝罪の姿勢をまったく示しませんでした。

 ことの経過と問題点を、在日本朝鮮人人権協会の抗議文(全文)からみてみましょう。

                 抗 議 文

 この度、さいたま市は、新型コロナウィルスの感染防止措置として、①放課後児童クラブ②認可保育所③認定こども園④私立幼稚園⑤小規模保育事業所⑥事業所内保育事業所⑦認可外保育施設⑧障害児通所支援所、以上8区分のこども関連施設について、職員用マスクの配布を始めました。
 しかし、ここには大宮にある埼玉朝鮮初中級学校(幼稚部も併設)が含まれていません。

 感染病対策の一環として同校にも休校を促す「新型コロナウイルス感染症対策のための外国人学校等における対応について(事務連絡)」が届いています。これに関連して、厚生労働省では休校措置に伴う施策として「新型コロナウイルス感染症による小学校休業等対応助成金」を実施することとしましたが、この助成制度においては学校教育法上の「各種学校」である朝鮮学校などもその対象に含むこととなりました。 

 奇しくも本日は、9年前に東日本大震災があった日です。当時、仙台にある朝鮮学校で行われた炊き出しには多くの日本の市民も参加し国籍や民族の区別なく分かち合いました。
 同様に1995年の阪神淡路大震災の折には兵庫県下の朝鮮学校の炊き出しに多くの日本の市民が参加しました。
 困ったときに垣根を越えて共に助け合う、この当然のことをさいたま市ができない理由が果たしてあるのでしょうか?

 さいたま市は、2014年3月に発表した『国際化推進基本計画』で、「外国人市民もくらしやすいまちづくりを目指し、互いの文化や習慣のちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の一員として共に生活し環境を共有する多文化共生の社会づくりを推進します」と宣言していますが、朝鮮学校排除はこの精神に明らかに反します。

 私たちは、この度のマスク配布措置の対象に、朝鮮学校が含まれていないことについて、これを人権上、また人道上も、到底看過できない、許し難い行為として断固抗議するとともに、早急にその対象に同校を含むことを強く求めます。

                          2020年3月11日
                          在日本朝鮮人人権協会 会長 金奉吉

 言うまでもなく、これはさいたま市だけの問題ではありません。
 日本政府(安倍政権)は高校無償化、幼児教育無償化から朝鮮学校・幼稚園を排除しています。また、東京都、大阪府をはじめ、朝鮮学校に対する自治体の補助金が相次いで打ち切られています。今回の「マスク差別」の背景にこうした朝鮮学校に対する政府・自治体の差別政策があることは明白です。

 これは在日朝鮮人・朝鮮民族に対する明らかな差別であり、今日における植民地主義にほかなりません。日本人全体の問題です。絶対に黙過することはできません。

 さいたま市もそうであったように、「多文化共生」とは誰もが口にする言葉です。しかし、朝鮮学校・在日朝鮮人に対する差別を放置・黙認(無関心も差別への加担)しておいて、「多文化共生」などありえません。

 今回の「マスク差別」は、朝鮮学校・在日朝鮮人に対する差別が根深くまん延している日本の現実を浮き彫りにし、それを一掃することが日本人の喫緊の責務だということを改めて示しているのではないでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする