アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

映画「徐葆光・・・」に見る琉球の文化力

2013年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 台風23号が沖縄を直撃した5日、映画「徐葆光が見た琉球--冊封と琉球」(本郷義明監督=写真左端)に、暴風雨をついて、桜坂劇場の広いホールが7割方埋まるほどの観客が詰めかけました。
 映画は1719年に約300人の冊封使(さっぷうし)の副団長として中国(清)から琉球に赴き、約8カ月滞在した徐葆光(じょ・ほうこう)が書き残した文献(「奉使琉球詩舶中集」など)によって、当時の琉球の政治・文化の再現を試みたドキュメントです。徐葆光は琉球の光景を8つの漢詩に書き残しており、それを基に葛飾北斎は琉球に行かずに「琉球八景」を描いたといわれています。
 復元の試みは琉球王府が冊封使を歓待した、料理と芸能の2つで行われました。その難題を担当したのは、若い中国人研究者の鄔揚華さん(う・やんふぁ=写真中央)と国指定重要無形文化財の舞踊家・又吉静枝さん(同右端)です。料理は、シカのアキレスけんやジュゴンなど、材料は書かれているものの料理法は書き残されていませんでした。芸能は滞在中7回に分けて行われた宴(「中秋の宴」など)のそれぞれで行われた舞踊が再現されました。当時の琉球は日本(薩摩)の支配下にありながら、中国との朝貢・冊封関係を保つという「二重外交」を展開。料理や芸能は、琉球が武器を捨て、「礼節と徳」によって行った平和・文化外交を象徴するものでした。
 本郷監督は、「撮影を始めたころに尖閣問題が起こった。国と国のギスギスした関係の下では文化は育たないと実感した」。鄔さんは「尖閣問題で日本のマスコミは『中国人は日本が嫌い』というけれど、実際は違う。中国ロケは大歓迎され、撮影自体が日中交流だった」。又吉さんは「この映画で、琉球国を守るために苦労した私たちの祖先の素晴らしさを、とくに若い世代に見てほしい」と語りました。製作協力者であり出演もしている原田禹雄氏は「沖縄は薩摩侵攻、琉球処分、米軍支配で3度メチャクチャにされた。そのなかで生きてきた琉球・沖縄の文化はあらためて評価されるべきだ」と述べました。
 琉球・沖縄の文化力、平和外交における文化の力をあらためて実感しました。この映画は300年前の復元の試みではあっても、けっして過去の話ではありません。日本と中国はこれからどのような関係を築いていくべきか、そのなかで沖縄はいかなる役割が果たせるのか。きわめて今日的な映画です。本郷監督、鄔さん、又吉さんはじめスタッフの熱意と願望が見る者に迫ってきました。

 <今日の注目記事>(6日付琉球新報社会面)

 ☆<八重山教科書 是正方針撤回を要求 住民団体 文科省に抗議文>
 「八重山地区の教科書採択をめぐり、文部科学省が竹富町教育委員会に対して是正要求を出す方針を固めていることを受け、『子どもと教科書を考える八重山地区住民の会』は4日、文科省に方針の撤回を求める抗議文を送った。同会は同日、石垣市議会で不信任決議を受けた市教育委員会の玉津博克教育長に対して、辞任を求める要請も行った。/同会は3市町教委の教科書採択がそろわなかったため、教育委員全員による協議で教科書を採択したにもかかわらず、文科省が『協議が整っていない』と判断したことや、文科省が竹富町教委に対して育鵬社版の採択を迫っていることなどが、『3市町教委の新たな協議を阻害』していると主張。『是正要求は教育への不当な介入である』として、方針の撤回を求めた」


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