アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ソウル訪問・戦争記念館ー朝鮮戦争は終わっていない

2017年01月17日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

    

    

 ソウルの中心市街地から地下鉄で2番目の駅(三角地)からすぐの所に、戦争記念館があります。
 広大な敷地に3階建ての展示館や屋外展示場、こども博物館などが立ち並ぶソウル観光の中心施設です。訪れた平日の午前にも、社会見学の児童・生徒をはじめ多くの観覧者で込み合っていました。入場は無料です。

 そんな中、ひときは目を引いたのは、軍服姿の韓国軍兵士の一団(複数)でした(写真上中)。おそらく兵士教育の一環として部隊ごと訪れているのでしょう。

 そう確信できるほど、展示内容は外国の侵攻・侵略とたたかってきた「戦争と英雄」の歴史にあふれています。こども博物館にも「英雄の話」スペースがあります。侵略者の中心は言うまでもなく日本です(写真上右)。

 記念館が質量ともに最も重視しているのは朝鮮戦争(記念館では「韓国戦争」と呼称。これは記念館だけではないでしょう)です。2階と3階に「韓国戦争室」が3つ。記念館全体の展示スペース(20)の3分の1(7)は朝鮮戦争関係です。
 アメリカ主導の国連軍(当時)に関する展示が多いことも目につきます(写真下左)。朝鮮戦争における韓国とアメリカの関係、対米従属の歴史が色濃く投影しています。

 記念館を出て帰り際、庭園で目に飛び込んだのが「兄弟の像」でした(写真下中)。「韓国戦争当時、韓国軍と北朝鮮軍に分かれて戦っていた兄弟が戦場で劇的に出会った実話を造形化し、民族の和合と団結、統一に対する念願を表現」(記念館リーフ)したものです。
 朝鮮の人びと(庶民)にとっての朝鮮戦争の意味がこの像に象徴されているように思えました。

 「韓国戦争室」の最後は、「停戦協定締結」(1953年7月27日)です。朝鮮戦争は「停戦」しているだけでまだ終わっていないのです。

 韓国は徴兵制の国。軍服姿の兵士が地下鉄にも自然に乗り込んできます(写真下右)。アメリカとの軍事同盟や北朝鮮との関係という政治面だけでなく、日常生活に「戦争」が浸透しているように思えます。
 朝鮮戦争は終わっておらず、韓国と北朝鮮はいまも戦時体制。このことを抜きに、朝鮮半島情勢や米日韓の軍事協力体制の問題を考えることはできないと、あらためて感じました。戦争記念館はけっして平和記念館ではないのです。

 そして、「問題は、朝鮮戦争に日本人民はどのようにかかわっていたかということ」(梶村秀樹氏『排外主義克服のための朝鮮史』平凡社ライブラリー)です。

 「アメリカは朝鮮戦線で莫大な物量の消耗戦を平気でやる、その武器の生産ないし修理はもっぱら日本が引受けている。…朝鮮戦争の犠牲の上に日本の資本主義体制、六〇年代以降につらなるその体制は築かれた」「当時大多数の日本人はアメリカ軍のいいなりに、北を侵略軍とイメージした」「総評(日本労働組合総評議会)はGHQの評価を鵜呑みにしたような朝鮮戦争観をそのまま機関決定として公式に打ち出した」「朝鮮戦争を全体としてこのような形でしか体験しえなかったことが、日本人民のその後の一つひとつの転機にたえず実質的に負い目として覆いかぶさってきているのではないか」(梶村氏、同)

 朝鮮戦争は終わっていないどころか、現在の情勢に色濃く投影しています。私たちは「朝鮮戦争に日本人民はどうかかわっていたか」、そして今もかかわっているのか。その歴史と現在を自分の問題として凝視しなければなりません。


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ソウル訪問・西大門刑務所と「朝鮮のジャンヌダルク」

2016年12月26日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

     

 朴大統領への抗議デモが続けられているソウルのメーンストリートから地下鉄で3番目の駅(独立門)。静かな空気の中に、長い赤れんがの壁が続きます。「西大門刑務所歴史館」です。

 1908年に京城監獄として開所。12年に西大門監獄、23年に同刑務所に変更。戦後は「ソウル刑務所」となり(87年に移転)、「韓民族の受難と苦痛を象徴」(同館パンフレット)する場となっています。
 「日本帝国主義時代には、祖国の独立を勝ち取ろうと日本帝国主義に立ち向かって戦った独立運動家達や、解放(1945年8月15日ー引用者)後の独裁政権期には、民主化を成そうと独裁政権に立ち向かって戦った民主化運動家達が監獄暮らしの苦しみを味わい、犠牲になった現場」(同)だからです。

 入館して真っ先に目に飛び込むのは、朝鮮の「完全植民地化へ向けて采配をふるった」(梶村秀樹氏『朝鮮史』講談社現代新書)、伊藤博文(「統監府」初代統監)の大きな写真です(写真上右)。
 2階の展示室には犠牲になった人々の顔写真と経歴が一面に張り巡らされています。平日の昼間にもかかわらず来館者(観光客とは見えませんでした)は絶えないようです(写真下左)。

 冷たい館内の空気がひときわ肌を刺したのが、展示館地下の拷問室です。拷問道具が並ぶ取調室、鋭い牙で三方を囲まれた拷問箱(写真下中、右)。韓国の運動家に対して日本の警察が暴虐の限りを尽くした現場です。

 1919年の「3・1独立運動」のさ中、16歳の少女が日本軍・警察によって逮捕され、1年7カ月の投獄・拷問の末、ここで虐殺されました。「朝鮮のジャンヌダルク」(中塚明氏『日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)といわれる柳寛順(ユ・グアンスン)です。

 「当時、梨花学堂(いまの梨花女子大学)に在学中の16歳の少女でしたが、郷里に帰って定期市の日に村人と一緒に独立行進し、その先頭に立ちました。憲兵の発砲で寛順の両親をふくむ30余人が死亡、彼女は首謀者として逮捕され懲役刑の宣告を受けました。しかし、『日本人にわれわれを裁く権利はない』と法廷闘争・獄中闘争をやめず、1920年10月、たびかさなる拷問がもとで、西大門の刑務所で18歳の生涯を閉じました。最後の言葉は、『日本はかならず亡ぶ』だったそうです」(中塚氏、同)

 首都ソウルの中心から目と鼻の先に、「民族の受難と苦痛の象徴」として広い敷地の刑務所跡を遺し、歴史館とし、「独立と民主の現場!」(同館パンフ)として人々が訪れる。
 朴大統領を糾弾し政治の民主化を求める「ろうそくデモ」の底流を流れる韓国民衆の伝統を見る思いでした。

 そしてなによりも、それは帝国日本の、あるいはそれ以前からの日本の、侵略・植民地化に対する韓国・朝鮮民衆の命がけの抵抗・たたかいの歴史・伝統にほかならないことを、日本人として肝に銘じなければならない、と自分に言い聞かせました。


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ソウル訪問・氷点下の中の「水曜デモ」

2016年12月19日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

     

 初めてのソウルの水曜日(12月14日)正午は、氷点下1・7度の小雪の中でした。

 日本大使館(現在工事中)前の「少女像」の周りに約300人。
 「日本軍『慰安婦』問題解決のための水曜デモ」です。
 2泊3日(実質1日)の短いソウルの旅の真ん中に水曜日を挟んだのは、この「デモ(集会)」に参加するためでした。

 若い人が目立ちます。高校生と思われるグループ。底冷えの中、地べたに座り込む女子学生たち。スカートで正座している人も。始まりの大太鼓が腹に響きます。若い女性4人によるダンスになごみ、ギターの弾き語りに感動。若者、ベテラン入り混じった6人のスピーチはどれも力強い。

 ハングルがまったく分からない私は、話の内容は分かりません。でも、さかんに飛び交う「パク…」の言葉に、朴大統領が強く糾弾されていることは分かりました。みんなが座っている後ろの壁には朴大統領を追及するポスターも。

 安倍政権と朴政権が発表した「日韓『慰安婦』合意」(2015年12月28日)は、当事者の元「慰安婦」たちを完全に蚊帳の外に置き、日本政府の公式の「謝罪」もなく、「賠償」でもない「10億円」で「慰安婦」問題は「最終的かつ不可逆的に」終わらせ、抗議の象徴である「少女像」を撤去させようとするとんでもないもの。同時に日本政府は、これで同じ問題をもつアジア・太平洋各国・地域の「慰安婦」問題にもふたをしようとしているのです。

 この「日韓合意」が、いま問題になっている朴大統領の不正と密接に関係していることが明らかになっています。

 朴大統領と尹外相の「即時退陣」を求める挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)の声明(11月22日)によれば、「日韓合意」は、尹外相が「3カ月余裕をもらえれば改善された合意を引き出せる」と朴大統領に要請したにもかかわらず大統領がこれを受け入れず、「大統領秘書室長と日本の国家安全保障局長の秘密交渉で妥結した」もの。「12・28合意は…朴大統領とそれにへつらう権力集団の独善と横暴が生んだ不条理劇に他ならない」。

 朴大統領の不正は、スピーチ原稿の事前点検や施設への融資などという枝葉の問題にとどまらず、国政や外交の根幹にかかわる問題なのです。「水曜デモ」で繰り返されていた(であろう)朴大統領の糾弾・退陣要求の背景には、「12・28合意」のこうした根源的問題があります。

 読めないハングルのプラカードの中に、日本語のプラカードが3枚ありました。
 「日本政府は 少女像を 触れないで ください
 「他人の時間を奪った人は 未来がない
 「望むのは真実の謝罪 真実を合わせるのが怖いですか

 「デモ」の人たちの熱気と真剣なまなざしに心打たれながら、思いました。
 私は日本人。朝鮮半島を侵略し、植民地にし、「慰安婦」はじめ多くの朝鮮の人たちを犠牲にした加害責任がある日本人。歴史に背を向けて「12・28合意」で逃げようとする安倍政権が「高い支持率」を維持している日本に暮らす日本人。

 日本人の私は、ここに立っていていいのだろうか。
 何事もないような顔をして、写真を撮っていていいのだろうか。
 私が日本人であると分かったら、ここにいる人たちはどう思うだろうか。
 朝鮮と日本の歴史に、朝鮮に対する日本の加害責任に、私はどう向き合えばいいのだろうか。

 「少女像」の前の、体の芯まで冷える寒さが、突き刺すように問いかけていました。


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