明仁上皇・美智子上皇后は5月14日に「私的」に京都を訪れ、翌15日、皇室ゆかりの大聖寺(京都市上京区)に行きました(写真右=朝日新聞デジタルより)。
その際、同寺に隣接する同志社大学(植木朝子学長)で、上皇を見下ろす高さにある教室のカーテンが一斉に閉められていたことが、29日付の京都新聞で分かりました(写真左。写真中はカーテンがすべて下ろされた同志社大の教室)。
「近くの烏丸通沿いには大勢の市民が集まっていた。一方、同志社大の建物では、同寺を見下ろせる教室のカーテンが閉められた。「正午~午後3時 カーテンには触らないでください」との張り紙もあった」(同紙)
「20代の男子学生は、カーテンを開けようとした別の学生が警備員に制止される姿を目にした。「なぜこんな規制をするのか。ご夫妻を見下ろすことが無礼なのだろうか」と疑問が募った」(同)
京都新聞の取材に対し、同志社大は、「警察から警備上の要請があり、対応した」とし、詳細については「(回答を)差し控える」としました。
要請した京都府警は、「個別のことは言えない。警護対象者の安全確保に必要な措置はしている」と「理由を明かさなかった」といいます。
京都新聞は、「天皇や皇族の行幸啓などを巡っては、かつて高い場所から見下ろす行為が「不敬」だとして禁じられた時代があった」とし、今回はそれとは違うという論調ですが、はたしてそうでしょうか。
京都府警は「警備上の要請」だとし、同志社大もそれに応じたとしていますが、単なる「警備」とは言えないでしょう。首相はじめ他の「要人」が各地を訪問するときに沿道のカーテンを下ろさせるでしょうか。対象が上皇・上皇后であったための特別措置であったことは明らかです。
さらに、上皇らを見下ろす高さの教室のカーテンを下ろさせたことに、「不敬」の意識がなかったと言えるでしょうか。学生が「見下ろすことが無礼なのだろうか」という疑問を持ったのは当然でしょう。
見過ごすことができないのは、同志社大学の対応です。京都新聞の報道によれば、同大学は府警の要請に唯々諾々と応じ、京都新聞の取材に対し「詳細は控える」とまともに答えていません。
警察から「見下ろす位置の教室のカーテンはすべて閉めろ」と言われれば、上皇に対する特別措置だと気づいて断るべきでしょう。大学は学問の自治・真理探究・人権尊重の場なのですから。同志社大は今回の経過を真摯に検証し反省すべきです。
皇族の「行幸啓」に際して差別的な過剰警護が行われるのは、決して過去の時代の話ではありません。
全米図書賞を受賞(2020年)した柳美里氏の『JR上野駅公園口』。その主要なテーマは「山狩り」です。皇族が上野公園を「巡行」するたびに「清掃」と称して行われるホームレス排除です。
柳氏は2006年に「山狩り」の事実を知り、3回にわたってその事実を確認したと単行本の「あとがき」(2014年2月)に書いています。
天皇を頂点とする「万世一系」の皇族が国家の中で特権的な地位を占める天皇制は、すべての差別の温床であり元凶です。それを日常的に意識することは多くないかもしれませんが、ことあるごとにその本質は表面化します。今回の「カーテン」もその1つです。
無意識のうちに忍び込む(忍び込ませる)天皇制の差別性を看過することはできません。