夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

『一度きりの大泉の話』読みました!

2021-05-21 12:22:11 | 小説や漫画や映画やテレビや音楽のこと。



不器用で繊細で、ご自分にあまりに正直な、萩尾望都先生の長い長い独白でした。
感情を抑えて淡々と綴られた文章の行間から感じられるのは、時には切なさでした。
とはいえ、当事者の口から語られる少女漫画の黎明期の歴史は、いきいきとしてたくましくもあり、興味深かったです。
とても読み応えがあります!
(5月のアタマに一気に読んで、「blogに書きたい!」と思ったものの、内容の複雑さになかなかまとめられませんでした。でも、今にして思えば、読んだ直後の興奮そのままに書いたほうが良かったです。鉄は熱いうちに打たないと!!)


「萩尾望都先生と竹宮惠子先生が、一時期、大泉でいっしょに暮らしていた時期があって、そこは《大泉サロン》と呼ばれて、後年活躍することになるたくさんの少女漫画家さんたちが出入りしていた」というざっくりしたことは、知っていたのですが、これはそんな時代の、萩尾望都先生の目線での《大泉ストーリー》です。

※大泉は西武池袋線の大泉が最寄り駅。池袋駅から20分くらいでしたでしょうか?学生時代に私は、ひとつ手前の石神井公園駅あたりに住んでいたので、時代は多少違うのですが、勝手に親近感をいだいてしまいます。


萩尾望都先生と竹宮惠子先生を語る上で、重要な方がいます。
増山法恵さんという、おふたりを繋ぎ、おふたりの創作活動にも影響を与えた、おふたりと同年代の方です。

竹宮惠子先生に「いっしょに住みましょう」と誘われて、萩尾望都先生が漫画に専念するために上京したのが、1970年10月のこと。
両先生ともすでにデビューして、新人ながらそれなりの評価を得ていました。
当時、望都先生と文通していた増山法恵さんが見つけてくれたのが、大泉に住んでいた増山さんのすぐご近所の、あまりきれいではない(笑)物件でした。
2階建てで、ここは誰の部屋、とか決めないで、全て共同で使っていたということ。
おふたりの仕事が忙しくなり、名前も売れてくると、デビューしたての漫画家さんや漫画家志望の方々の出入りが頻繁になります。
アシスタントに入ってもらったり、漫画について語り合ったり。
本のなかには、《大泉サロン》を訪ねてきた漫画家さんや望都先生と交流のあった漫画家さんの名前がたくさん出てくるのですが、多士済々、おお、あの方もこの方も、という感じで、驚くと同時にとても懐かしかったです。
因みに《大泉サロン》と名付けたのは、出入りしていた漫画家さんのおひとりだそうです。

望都先生は増山さんに勧められて、いろいろな本を読み映画を見て、それは創作活動の糧になっていったとのこと。
そして、増山さんには温めていた物語があり、望都先生にも語ってくれましたが、竹宮先生とは意気投合して熱く語り合っていたということ。
竹宮先生と増山さんは「少女漫画に革命を起こす!」と意気込んでいたということ。
そんな中で、竹宮先生は『風と木の詩』の構想を徐々に固めていったそうです。
その頃、望都先生は『ポーの一族』の連載をスタートさせていて、やがて「小鳥の巣」を発表したのでした。
ギムナジウム、転入生、薔薇、少年たちの友情・・・
才能溢れる創作者たちの間に齟齬をきたしても、それは仕方がなかったことなのかもしれません。
しかも時代は、少女漫画が次々と新しい扉を開けていった黄金時代に突入したての頃。
「何か新しいものを描きたい!」という気運が漲っていました。

そうして・・・
1972年11月頃に《大泉》から引っ越して下井草に別々に住むことになって(徒歩圏内)、その下井草でおふたりの別れは突然、やってきたのでした。
望都先生にとっては、考えても考えてもよく訳のわからない経緯だったようです・・・
ただ、「私は配慮が足りなくて、どこかで人を傷つけてしまったのだ。(中略)もっと用心して人に接しよう (本文より引用)」というのが、何とも切なくて・・・

そのような状況下で「小鳥の巣」は描かれていたのですね。

その後、望都先生は「空気がきれいでいいわよ」と勧められて、埼玉の木原敏江先生のご近所に引っ越されたそうです。(1973年5月頃。)
木原先生には何度か、「個性のある創作家がふたり、同じ家に住んではダメなのよ」と言われたそうです。

望都先生と竹宮先生の訣別については、まわりの漫画家さんたちは詳しい事情はわからないまでも、それぞれ大人の対応をしてくれたそうな。


この本のうしろの1/3くらいは、この別れがあったあとに、望都先生が創作についていろいろと考えたことや、現在の心境などが綴られています。

この本の執筆は、2016年に竹宮惠子先生が発表された自叙伝的な『少年の名はジルベール』をきっかけに、萩尾望都先生にも《大泉》時代の取材依頼が増えて身辺が騒がしくなってきたせいだと思われます。
取材をお断りしてもきりがないので、一度だけはっきりと発表して、あとはもう構わないでおいてください、という萩尾望都先生の決意表明!
先生の望むように、「大泉のことでどなたかに利用されるのも、お断り申し上げたい。過去は再び埋めて、静かに暮らしたい。(本文より引用)」となりますように。

辛くて閉じ込めてしまったはずの想いを、こんなにも詳しく真摯に語っていただき、どうもありがとうございました。






そしてこれは萩尾望都先生の《大泉ストーリー》でしたので、『少年の名はジルベール』の方も是非、読んでみたいと思います。

~♪~♪~♪~♪~♪~♪~

月刊「Flowers」で『ポーの一族』の連載が半年ぶりに再開しています。
4年前の作品の再開以来、時代はあちらへこちらへと時空を飛び、モーさまの壮大な構想を感じます。
絵柄は多少変わってしまいましたが、この後の展開がとても楽しみです。
アランはいつか必ず復活しますよね!
エドガーがひとりでずっと生きていくのは寂しすぎる・・・



コメント (2)
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