夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

Essay ふたつ (最近読んだ本から #2)

2012-03-29 10:00:06 | 小説や漫画や映画やテレビや音楽のこと。

最近出版されたエッセイを2冊読みました。


『マンボウ最後の家族旅行』
北杜夫:著
実業之日本社

北杜夫氏は、今の若い人たちにはあまり馴染みがない作家だと思いますが、わたしが若かった頃は、人気作家でした。
大学時代の夏休みに、氏の『楡家の人々』を夢中で読んだことを思いだしました。

本書は、昨年10月に亡くなられた氏の、〈絶筆〉を含む最後のエッセイ集。
「月刊ジェイ・ノベル」に連載されたものを纏めたものです。

一読して感じたのは、最晩年を穏やかにご家族と過ごせてよかったな、ということ。
娘さんにリハビリを強要されると嘆き、娘さんに連れ出された旅先では「疲れた」を連発して、「マッサージだけが楽しみ」と宣う。
でもどこか嬉しそうで…本当にいやならば、エッセイにして発表したりしませんよね
そして、東日本大震災に心を痛め(ご親戚の若い方が亡くなられたそうです。)、旧制高校時代の思い出を語り、作家としての気構えなども書いています。

平易な文章なのですが、品性の高さがあり、すべてまるく温かいのです。

手元に置いて読み返したいな、と思う一冊です。


ただ、お嬢さんの斎藤由香さんの後書きを読むと、ご家族には、北杜夫氏の死に関して、納得しかねる大きな心残りがあるようで…私も無念に思いました。

ご冥福をお祈りいたします。



『“あの日のそのあと”風雲録 ~夜ふけのなわとび2011~ 』
林真理子:著
文藝春秋

「週刊文春」に連載中のエッセイの2011年分をまとめたものです。

林真理子さんのこのシリーズのエッセイは、かつては頻繁に購入して読んでいたのですが、いつの頃からか氏の文章が、上から目線化し、相容れないものを感じるようになって、離れてしまいました。

今回購入したきっかけは、タイトルです。
異業種の文化人や経済人たちと華やかな交流のある氏が、3月11日以降をどうとらえ、どう過ごしていたのかに興味がありました。

結果、氏は被災地に何度も足を運び、東京でイベントの企画に加わり、瞠目する過ごし方をしていたのでした。

また同時に、文化人と呼ばれる人たちの被災地支援のやり方が(ほんの一部でしょうが)垣間見れて、興味深かったです。

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『JEKYLL & HYDE』 μ

2012-03-29 00:54:47 | 宝塚歌劇以外の観劇つれづれ

日生劇場で公演中の『ジキルとハイド』を観てきました

フランク・ワイルドホーン氏の、初のミュージカル作品で、アメリカでの初演は1990年、ブロードウエイ進出が1997年、日本での初上演は2001年。

わたしはこのミュージカルの挿入歌の「This is the moment」(邦題「時が来た」)がすごく好きで、5年前に初めて念願叶って観劇しました
その時は、“鹿賀丈史さんさいごのジキハイ”と銘打った公演で、終演後に日本キャスト版のCDを買って帰ったのでした。


なので、今回はキャストが一新しました

主なところは…

ジキル(人間の善悪を分離する薬を発明した医師。悪の人格ではハイドを名乗る)‥‥石丸幹二

ルーシー(娼婦)‥‥濱田めぐみ

エマ(ジキルの婚約者)‥‥笹本玲奈

アターソン(ジキルの親友で弁護士)‥‥吉野圭吾

このミュージカルの見所のひとつに、ジキルとハイドの演じ分けがあります。
石丸さんは、別人格を、声や髪型を変えて演じ分けていました。
台詞や歌い方も変えているので、喉にかなり負担がかかっているのでは
ルーシーを殺害するあたりのハイドは、鬼気迫るものがありました。
歌はもちろん、上手かったです
お目当ての「時が来た」は、劇中でさりげなく歌い出されるのですが、徐々に盛り上がって気持ちよく聴くことができました
千穐楽は、“時が来た”喜びを目一杯、表情に出して歌っていて、拍手はショーストップ寸前でした
「がんばりました」と満面の笑みでのご挨拶でした。
ひとつ残念だったのは、鬘のチョイスかな…


ルーシーの濱田めぐみさんの舞台は、「四季」退団後、初めて観ました。
娼婦の役ですが、その中でもいろんな顔を見事に演じ分けていました
さすがに「四季」で長い間、主役をやってきた方だけあって、とても安定している感じでした。


安定している、といえば、笹本玲奈ちゃん。
「ちょっと見ないうちに玲奈ちゃんも大人になったのね」というのが、今回の第一印象。
知的な貴族の令嬢で、ジキルを尊敬している、慕っている、というのがよく伝わってきました。
最後のウェディングの場面でのジキルを抱き止めての演技は、今まで押さえてきたエマの感情が溢れだして、圧巻でした。
エマは、アターソンを許さないのだろうな…


アターソンの圭吾さんは、歌声を聴いた瞬間、「このひとの歌はこうだったんだ」と、ものすごく懐かしくなりました
昨年の後半は歌わない役が続き、『CLUB SEVEN』は観られなかったので『モーツァルト!』以来の歌声
一生懸命にジキルを心配する、誠実だけれど、不器用な(ヘタレともいう…笑)アターソンでした
燕尾服もフロックコートもシルクハットもちゃんと似合っていて、髪形もなかなか
出番が多くて、嬉しかったです
彼は唯一、ジキル=ハイドだと知っていたんだよね…
ジキルを撃てなくて、でもジキルの中にハイドの顔を見てしまい、無我夢中で撃ってしまったけれど…その瞬間、ジキルはここで死んだ方が幸せだ、どんなにエマに恨まれようと仕方がない、と決断した気がします。
ジキルとアターソン、良い友だちでした。


『ジキルとハイド』は日生劇場のサイズに合った演目だと思いました。
これが帝劇サイズになってしまったら、ジキルとハイドの演じ分けとか、ルーシーの感情とか、大味になってしまう気がします。
(『レベッカ』も帝劇より日生劇場が合うと思うのにな…)

ジキハイの舞台は1888年のロンドン。
ヴィクトリア女王(エドワード8世の曾祖母)の時代です。
その頃、大陸ではフランツ・ヨーゼフ1世陛下の皇妃の物語が、着々と進行しているのですね…
因みに、ルドルフ殿下に“闇が広がる”のが1889年のことです…
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