夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

『TRAFALGAR』観戦記(3) ♪

2010-07-18 22:20:52 | 宝塚観劇つれづれ
『TRAFALGAR』は冒険活劇という視点からは楽しめるのですが、恋愛劇としては共感出来ない部分が多い…と感じていて、実は観劇するたびに、その感が増していってもやもやしているこの頃です…


初見の友人と観劇したところ
『TRAFALGAR』には山場がないね
というのが、友人のファーストインプレッションでした。
海戦と恋愛が同じ比重で淡々と進んでいって、『TRAFALGAR』というタイトルが意味を為していないという訳です。
そう言われれば確かにそうだよね←目から鱗

サブタイトルが「-ネルソン、その愛と奇跡-」なのですが、友人にそう指摘されると、“奇跡”の部分は何を描きたいのかと改めて考えてしまいます

おそらく作者側の意図としては、「トラファルガーの海戦の勝利 = 奇跡」だとは思うのですが、それならば、トラファルガーの海戦の描き方があまりにも呆気ないのではないかと感じるのです。


※これから、少々過激?な事を書きますが、あくまでも、脚本・演出に対する私の感じ方であって、役者(生徒)さんの批判では無いことを、ご承知おきくださいm(__)m



「陸戦ならフランスに負けるが、海戦ならイギリスが勝つ!」
という意味のフッド提督の台詞がありますが、少し調べたら、トラファルガーの海戦はイギリスはきっと負けるだろうと予想された海戦で、だからこそ勝利は“奇跡”だったらしいのです。

ならば、どうしてトラファルガー海戦の場面をもっと山場として描かないのかと思ってしまいます。

まずあの場面が緊張感に欠けるひとつの要因に、トム・アレンの唐突な登場があると思います。

これから、負ける確率が高いであろう海戦に出陣しようという悲壮な場面に、従卒という私的な身分の少年が舞い戻ってきて、ネルソンと云わば私的な会話を交わす…
例えば「出航前日に突如舞い戻ってきたトム・アレン」のような場面を別に設けてくれればよかったのに~と考えてしまいます。

当時は現代と違って、水兵や従卒は司令官の私兵的な意味合いを持っていたとは思うし、司令官の従卒は特殊な位置づけ(『ベルばら』に於けるアンドレの立場みたいにね)があるとも思うのですが、観劇している現代人の私から見れば、唐突な登場は、かなり緊張感を削がれる訳です

さて…

銀橋でネルソンとナポレオンが対峙する緊張感を煽る場面もあるものの、トムがネルソンを庇って(ですよね?)銃弾に倒れたあと、程なくネルソンが狙撃された時には、すでに15隻目のフランス艦が沈んでいるわけで…あまり苦労せずに勝った、という印象が拭えません。
ナポレオンもあっさり「敗北だ」と認めちゃっているし…

ナポレオンの存在がいかに欧州にとって脅威であり、ヨーロッパ大陸全土に支配権を拡げている事実等も、もう少し触れてくれれば(世界史の史料みたいですがナポレオンの勢力範囲を地図で示すとか?)、トラファルガー海戦の重要性が、観ているこちら側にもっと伝わるのではないでしょうか?

加えて言うならば、トラファルガー沖というのが何処にあるのかというのも地図で示しても良かったのでは?と思います。
あれだけ、映像を多用しているのだし…

今の脚本では、『TRAFALGAR - ネルソン、その愛と“軌跡” -』ではないか~と気づいたのでした。


今回付き合ってもらった友人と観劇すると、いつも新しい発見や改めて気づいて考え始めることがあります

Mさま、いつもありがとう

彼女とは、また一緒に観るので、楽しみです


話が逸れまくってしまいました
冒頭の“もやもや”については、いづれまた‥‥


おまけ ~ちょっと気づいたこと~

ナポリ国王ご一家を救出に行く場面のネルソンの軍服には、勲章がついていません。
これは、ナポリ行きが私的な行動だから、勲章なしになっていると勝手に思っているのですが、もう一歩踏み込んで、ハーディたち他の士官たちの勲章も外してくれたら完璧なのに~とも考えてしまいました


コメント
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