あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

野中部隊の最期 「 中隊長殿に敬礼、頭ーッ右ーッ 」

2019年06月16日 18時14分58秒 | 野中部隊

永遠の袂別 「頭ッ右」
一三・〇〇 少し前、
果然 全員集合がかかった。
急いで前庭に整列すると、
野中大尉が苦悩の色を浮かべながら別れの訓示を述べた。

野中四郎 
「 残念ながら昭和維新は挫折した。
俺は中隊長として全責任をとるからお前たちは心配せずに聯隊へ帰れ。
出動以来の労苦には心から感謝している。
満州に行ったら国の為に充分奉公するように。
ではこれで皆とお別れする。
堀曹長に中隊の指揮を命ずる 」

野中中隊長はいいおわると静かに台をおりた。
代って 常盤少尉も同じように別れの辞をのべると
兵隊の中から感きわまってススリ泣く声がおこった。
訓示が終わった直後
兵隊たちは少尉の周囲に集り
「教官殿、別れないで下さい。自分達はどこでも一緒に行きます」
と 口々に叫び帰隊を拒んだ。
これに対し少尉は情況と立場を説明して諄々と納得を求めたが、
兵隊たちは一向に聞き入れようとしないので、
少尉は遂に嗚咽し握りしめた拳を目にあて天を仰いだ。
我々も泣いた。
ここで野中大尉や常盤少尉と離別するのは忍びがたく、
すべてが終わった今、
落城の心境は只々涙にとざされるばかりであった。
やがて兵隊たちは思いなおし、
列を整え私の号令でお別れの部隊の敬礼を行った。

「 中隊長殿に敬礼、頭ーッ右ーッ 」

私はその時万感胸に迫り、刀を握る手が小刻みに震えていた。
野中大尉は感慨深そうに一同を見渡しながら長い時間をかけて答礼した。
大尉の手が静かにおろされ
答礼が終わっても私はなかなか「直れ」の号令が出なかった。
「もうこれで野中中隊長等とは永別するかも知れぬ」
そういった悲しみが切々と胸を打ち、
日頃機械的に行っていた敬礼の動作とは異なり、
心から慕う者だけがなり得る精神的衝動にかられたからである。
別れの儀式がおわると
野中大尉、常盤少尉、桑原特務曹長の三名は
陸軍大臣官邸に向かって出て行った。
一三・三〇、
服装を整え、
清掃をすませた我々は帰隊の途についた。

途中坂を下ったあたりで
戒厳参謀と思われる少佐から停止を命ぜられ実包を没収された。
次いでそこにいた中隊のある将校がいきなり
「 只今から俺が指揮して帰隊する 」
と いい出した。
そこで私は
「 中隊長殿から命令されているので自分がつれて帰ります 」
と いうと
彼は強引に私の言葉を打消して
やおら号令をかけた。
「 気オツケーッ、唯今より本官が指揮をとる、右向けーッ右!」
「・・・・・・」
だが
兵隊は一人として動かなかった。
「 出動もせず、今頃ノコノコやってきて指揮をとるとはもっての他だ、
出動した者が帰隊の指揮をとるのが当然てはないか、堀曹長の指揮でどこが悪いのか 」
兵士全員の心にそのような反発があった。
この間私は蹶起がこのような結果に終わったので、
兵隊の中に途中で自決する者が出てはならないと 営門につくまで心配しつづけたが、
無事に帰隊したとき 肩の荷がおりた気持ちがした。

二・二六事件と郷土兵
堀宗一・歩兵第三聯隊第七中隊曹長 永遠の袂別「頭ッ右」 から

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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