野中大尉は、蹶起将校中、最古参であった。
事件では警視庁の襲撃を指揮した。
蹶起趣意書の代表者として署名した蹶起部隊の最高責任者である。
野中四郎
二十九日午後、
安藤部隊の原隊復帰を最後に、事件が集結を告げたあと、
将校全員は陸相官邸に集まり、憲兵隊の収容するところとなった。
しかし まだ武装を解除されたわけでなく、
ここでも再び多数将校の間に、自決の動きが高まっていた。
しかし、野中は自決論を抑制する先頭に立っていたという。
こうした慌しい動きのさ中に、元の聯隊長、井出宣時大佐が来邸し、
野中を呼び出して室外に出た。
そのまま野中は同志将校の所に帰ってこなかった。
「 野中は井出大佐に殺された 」 という推測がもっぱらだった。
銃声も聞こえた。
磯部はその獄中手記にもそのことを書いている。
野中大尉は井出聯隊長の最も信任の厚い部下だった。
野中だけではない、
井出が三ヵ月前まで歩三聯隊長として、
天塩にかけた多くの将校、兵士たちが、今度の事件の主軸となって参加している。
野中はその責任者であり、また叛乱将校の代表者でもある。
かつての上官として、その野中に最後の措置を誤らせてはならない。
井出は先に、二度にわたって陸相秘書を務めたことがある。官邸の中はよく知っている。
野中を呼び出した井出は、廊下を廻った図書室に入った。
このときの有様を井出の手記、談話にもとづいて記すとつぎのようであった。
井出宣時大佐
冷え切った無人の部屋に、二人は相対し、
これからどうするのかと案ずる井出の言葉に、
野中し蹶起が挫折し、叛徒の汚名を受けたことを詫びた。
「 私たちは、自分のやった行動についていかに責任を取るべきかは、百も承知であります。
当局の死んでくれという要望も知っています。
しかし私たちはこのままではどうしても死ねません 」
「 聯隊長殿 」
野中はこう呼んだ。
今でも元の聯隊長としての井出が慕しく、すがりつきたい思いだったのだろう。
「 このまま死んだら、自分たちの立ち上がった信念は、誰が訴えてくれますか。
一身を擲って皇国のため、陛下のために 蹶起した目的を、
どうして国民にわかってもらえますか。
蹶起以来の経過はよくご存知と思います。
陸軍大臣告示から小藤部隊への編入、
戒厳令下における麹町地区の警備命令を受けているのです。
その後、何の解除の命令もありません。
いつ自分たちは陛下に弓を引いた叛乱軍になったのですか。
まるでペテンです。
これでこのまま死ねるとお考えになりますか。
決して未練ではありません。
それよりも、自分たちが命を賭して立ち上がった日本の維新はどうなるのですか。
誰がやるのですか。農民は一体どうなりますか 」
野中は井出に迫った。
「 たとえ捕われの汚名をきても、今後、軍法会議で堂々と所信を天下に訴え、
その後に法の定める所に従って、いかなる刑にも服します。
死刑、もとより覚悟の上です 」
野中の主張をじっと聞き終った井出は、静かに軍の現在の方針を説いた。
公判闘争など考えられる事態ではない。
五・一五事件や相沢事件の時とは、全く情勢は変ってしまっているのだ。
それを野中たちは知らない。
戒厳令下の軍法廷は、公開されることはないのだ。
最後に井出は言った。
「 君も知っているだろう。
あの西郷隆盛は純忠至誠、憂国のあまり君側の奸を除かんとして兵を起こした。
しかし、事志と違い、逆に賊軍となって敗れ、城山において立派に自刃して果てた。
当時の賊将、西郷は、今では忠臣の鑑、武士道の精華として国民崇敬の的になっている。
もしあの時、西郷が捕えられて獄中で処刑されたら、
おそらく今の西郷にはならなかったであろう」
頭をうなだれて、静かに聞き入っていた野中に、
「 最後に、君は古参順からいって、首魁になっている。よく考えて最後の措置を誤らないように 」
きっと面を上げた野中の眼には、心なしか涙が浮かんで見えた。
「 よく判りました。書残したいことがありますのでしばらく時間をお与え下さい 」
野中は陸軍罫紙に認めた手記を井出に託して、深々と頭を下げた。
「 では、これで別れよう 」
最後の握手を交わして、井出は室外に去った。
井出としては今の時点では、これが残された唯一の武士の情であった。
野中が拳銃を口にふくんで、引金をひいたのはその後まもないことであった。
銃弾は脳を貫通して、天井に弾痕をしるした。
「 天壌無窮 」 と書いた絶筆が、テーブルの上に残されていた。
・・私の二・二六事件 河野司 著から
昭和十一年二月二十九日、
蹶起部隊は叛乱軍とされ、
将校は反逆者として武装解除された上
陸軍大臣官邸に集合を命じられた。
野中大尉は先任将校 ( 陸士三十六期 ) として責任を感じていたらしい。
歩兵第三聯隊の前の聯隊長だった井出宣時大佐としばらく一室で話し合っていたが、
やがて井出大佐が出てきて、
「 野中は今自決する。硯と紙を持ってきてくれ 」 と 言った。
岡村は容易してあった硯と紙を持って行くと、野中は悲壮な顔をして瞑目していた。
岡村は隣室で待っていた。
しばらくして 「 ピシッ 」 というピストルの音がした。
入って見ると野中は前に倒れ、頭から血が吹き出していた。
・・岡村適三憲兵大尉の回想
二・二六事件 青春群像 須山幸雄 著から
野中大尉 ・自決直前の遺書
實父勝明ニ對シ 何トモ申シ譯ナシ
老來益々御心痛相掛ケ罪 萬死に價あたいス
養父類三郎、養母ツネ子ニ對シ嫡男トシテノ努メ果サス 不孝ノ罪重大ナリ
俯シテ拝謝ス
妻子ハ勝手乍ラ 宜シク御頼ミ致シマス
美保子 大変世話ニナリマシタ
◎ 貴女ハ過分無上ノ妻デシタ
然ルニ 此ノ仕末御怒り御尤モデス
何トモ申シ譯アリマセン
保子モ可愛想デス カタミニ愛シテヤツテ下サイ
井出大佐殿ニ御願ヒシテ置キマシタ