あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

『 農村もとうとう救えなかった 』 2

2019年07月27日 04時15分33秒 | 安藤部隊

安藤部隊、坂井部隊の四日間

前頁 『 農村もとうとう救えなかった 』 1 の 続き
明くれば二十九日
払暁を破るかのように鎮圧軍の陣地から気ヲツケラッパが亮々として鳴り響いた。
我々も戦闘態勢に入る。
いよいよ楠軍と足利軍との戦いが始まるのだ。
そのような緊迫した所に大隊長伊集院少佐がやってきて血を流さんうちに帰隊せよと盛んに説得したが
安藤大尉は頑として拒否し
「 そのお心があったら軍幕を説いてくれ 」
と絶対に動こうとしなかった。正に大尉の気魄は鉄の如く固まっていたのである。
鎮圧軍の包囲網が刻々迫ってきた。
これを見た大尉は軍刀を引抜き  「 斬るなら斬れ、撃つなら撃て、腰抜け共!」
と 叫びながら突進しはじめた。
私たち五人の兵隊も銃を構えてあとに続く。
もし中隊長に一発でも発射すれば容赦せずと追従したが鎮圧軍は一人として手向かう者はいなかった。
程なく電車通りで歩兵学校教導隊の佐藤少佐と顔が合った。
すると安藤大尉は
「 佐藤少佐殿、歩兵学校当時は種々お世話になりました。
このたび貴方がたは何故我々を攻撃するのですか、
我々は国家の現状を憂いて、ただ大君の為に起ったまでです。
一寸の私心もありません。
そのような我々に刃を向けるよりもその気持ちで幕臣を説いて下さい。

私は今初めて悟りました。重臣を斬るのは最後でよかったと・・・・。
そして先ずもって処置するのが幕臣であった。自分の認識が不足であった点を後悔しています 」

「 歩兵学校では種々有益な戦術を承りましたが、それを満州で役立てることがて゛きず残念です 」
安藤大尉の意見に佐藤少佐は耳をかたむけていたが、果たしてどのように受けとめたことであろうか。
少佐は教導隊の生徒を率いて鎮圧軍に加わっていたのである。
次いで歩三、第十一中隊長浅尾大尉がやってきた。
「 安藤大尉、お願いだから帰ってくれ 」
「 浅尾大尉殿、安藤は帰りませんぞ。
陛下に我々の正しいことがお判り頂くまでは帰るわけには参りません。
十一中隊は思い出の中隊でした。帰りましたら十一中隊の皆さんによろしく伝えて下さい。
木下特務曹長をよろしくお願いいたします 」
二人が話している所へ戦車が接近してきた。
上空には飛行機が飛来し共にビラを撒きはじめた。
これを見た中隊長は憤然として 「 こんなことをするようでは斬るぞ 」 と叫んだ。
正に事態は四面楚歌であった。

再びホテルに戻ってくると第一師団長、堀中将がきて説得をはじめた。
「 安藤、兵に賊軍の汚名を着せて陛下に対し申訳ないと思わんか、黙ってすぐ兵を帰隊させよ 」
すると安藤大尉はムラムラッと態度を硬化させて
「 閣下! 何が賊軍ですか、尊皇の前には将校も兵も一体です。
一丸となって陛下のために闘うのみです。我々は絶対に帰りません。また自決も致しません 」
「 師団長閣下、安藤は閣下に首を斬られるなら本望です 」
すると側に居た伊集院少佐が
「 安藤、お前はよく闘ったぞ、では閣下に代わってこの伊集院がお前の首を斬る、そして俺も死ぬのだ 」
といった。
すると安藤大尉はグッと少佐を睨みつけ
「 何をいうか、俺を殺そうとまで図った歩三の将校団の奴らに斬られてたまるか、斬れるものなら斬ってみろ 」
と 起ち上がったため附近にいた私たちが中に入ったので事なきを得た。
師団長は兵のことを考えてくれといって帰っていった。

一三・〇〇頃、
歩一香田部隊が武装解除して帰ろうとしていた。
それを見た安藤大尉が憤り香田大尉に詰め寄った。
「 帰りたいなら帰れ、止めはせん、六中隊は最後まで踏止まって闘うぞ。
陛下の大御心に我々は尊皇軍であることが解るまで頑張るのだ。
昭和聖代の陛下を後世の物笑いにしない歴史を作るために断乎闘わねばならない 」
この言葉に香田大尉は感激したらしく、意を翻して最後まで闘うことを誓い再び陣地についた。
我々はここで志気を鼓舞するために軍歌を高唱した。
その声は朗々として山王ホテルを揺るがした。
最期まで中隊長の命を奉じて闘い そして死んでゆく気概がありありと感じられた。
軍歌が終わった頃再び伊集院大隊長がきた。
「 安藤、さきほどは済まないことをした。俺はあやまる、何としても皇軍相撃を見るに忍びないのだ。
 どうか俺の言葉に従って帰ってくれ 」
板ばさみになっている大隊長の苦悩がよく判る。
何としても部下の兵隊を帰したい気持ちがありありと浮かび出ていて
大隊長は涙を流しながら安藤大尉を説得した。
しかし大尉の決心に変わりなく、
「 何度いわれても同じことです。私たちにいう言葉があったなら、軍幕臣を説いて下さい。
この上いうなら帰って下さい 」 とはっきりいい切った。

一四・〇〇頃、
尊皇軍の幹部全員が山王ホテルに集まった。
安藤、香田、磯部、山本、村中、丹生、栗原の各将校の面々は重要会議を始めた模様である。
ここに至っての会議といえば事件処理の善後策以外に考えられない。
やがて重苦しい雰囲気の中に会議が終り解散となった。
その頃山王ホテルの周囲は鎮圧軍がひしめき、盛んに降伏を呼びかけていた。
間もなく安藤大尉は全員を集め静かに訓示した。
「 皆よく闘ってくれた。戦いは勝ったのだ。最後まで頑張ったのは第六中隊だけだった。
 中隊長は心からお礼を申上げる。皆はこれから満州に行くがしっかりやってもらいたい 」
安藤大尉の訓示は離別を暗示していた。
そこで
「 中隊長殿も満州に行かれるんでしょう 」
と 兵が口々に叫んだ。
すると大尉は 「 ウン、いくとも・・・・」
と 悲しげに答えた。
そこへまた大隊長がきて
「 安藤、いよいよ死ぬ時がきた。俺と一緒に死のう 」
と 迫った。
中隊長はすでにさきほどの気概が消え、恰も魂の抜がらのようになっていた。
「 ハイ、一緒に死にましょう 」
そういって無造作に拳銃を取り出したので私は咄嗟に中隊長の腕に飛びついた。
同時に磯部主計が背後から抱き止めた。
「 離してくれ・・・・」
「 いや離しません 」
「 安藤大尉、早まってはならん 」
中隊長も止める者も皆泣いた。
大隊長は
「 なぜ止めるのか、離してやれ、可愛いい部下を皆殺しにできるか、
俺と安藤の二人が死んで陛下にお詫びするのだ、
昭和維新は十分に目的を達したのだ、喜んで死ぬのだ 」
と 彼もまた号泣した。
中隊長は腕を抑えている私に
「何という日本の現状だ・・・・前島、離してくれ、中隊長は何もしないよ、
するだけの力がなくなってしまった。
随分お世話になったなあ。
いつか前島に農家の現状を中隊長殿は知っていますか、
と 叱られたことがあったが、今でも忘れないよ。
しかしお前の心配していた農村もとうとう救うことができなくなった
中隊長の目からこぼれ落ちる涙が私の腕を濡らした。
側にいる磯部、村中の両大尉が静かに話しかけた。
「 安藤、死ぬなよ、俺は死なないぞ、
死のうとしても止める時は死ねないものだ。死ぬことはいつでもできるのだ 」
「 ウン、しかし俺は死ぬのがいやで最後まで頑張ったのではない、
ただ何も判らない人間共に裁かれるのが嫌だったのだ。
しかし正しい事は強いな、けれども負けることが多い、日本の維新はもう当分望まれない 」
そこへ山本又少尉がやってきて
「 安藤大尉殿、靖国神社に行って皆で死にましょう。
大隊長も靖国神社に行って死ぬことを誓ったので喜んで帰ってきました。一緒に行きましょう 」
「 ウン、行こう、兵士と一緒ならどこへでも行く 」
これを堂込曹長が止めた。
「 行っては困ります、中隊長殿、死ぬなら私たちと一緒にお願いします 」
私はここで中隊長の腕をはなした。
すでに将校たちは死を決意し死場所を求めているのである。
そこへ戒厳司令部の参謀副官がきて、早く靖国神社に行けと催促した。
同居していた歩一も勧告されたのか武装を解いて原隊に復帰し
香田大尉は陸軍省に集合したとのことである。
中隊長は出発にあたり物入れのボタンが落ちているのでつけてくれというので
私は黒糸を使って縫いつけた。
そこへ参謀副官が再びきて 「 兵隊だけは原隊に帰えせ 」 といった。
すると中隊長は憤然として
「 最後までペテンにかける気か、皆も見ておけ、軍幕臣という奴はこういう人間だ 」
と 副官をなじりあくまで兵と一緒に行くことを強調した。
かくして 
一五・〇〇、
中隊がホテル前の広場に集合した時、参謀副官は我々に向って
「 お前たちはここで中隊長とお別れしなければならぬ 」 といった。
これを大隊長が一応とめたが安藤大尉はどういうわけか聞き流し、
整列した我々に対し最後の訓示を与えた。
「 俺たちは最後まで、よく陛下のために頑張った。
お前たちが聯隊に帰るといろいろなことをいわれるだろうが、
皆の行動は正しかったのだから心配するな。
聯隊に帰っても命拾いしたなどという考えを示さないように、女々しい心を出して物笑いになるな。
満州に行ったらしっかりやってくれ。では皆で中隊歌を歌おう 」
やがて合唱がはじまった。
昭和維新の夢破れ、
反乱軍の汚名を着せられて屈伏した今、
安藤大尉の胸中如何ばかりか察するにあまりあるものがある。
無念の思いをこめて歌う合唱がどのように響いたかかは知らないが、
我々の心は等しく号泣に満ちていた。
一、
鉄血の雄叫びの声  竜土台
勝利勝利時こそ来たれ吾らが六中隊
二、
触るるもの鉄をも砕く わが腕
奮え奮え意気高し 吾らが六中隊
以下三、四番 略
合唱が二番にうつる頃、安藤大尉は静かに右方に移動し隊列の後方に歩いていった。
私は変な予感を抱きながら見守っていると、やおら拳銃を引抜き左あご下にあてた。
「 ダーン!」
突然の銃声に驚いた一同は
ワッと叫びながら安藤大尉の元にかけより口々に  「 中隊長殿!」 と叫んだ。
倒れた大尉の頭から血が流れ出しコンクリートを赤く染めた。
負傷の状態をみると左あご下からこめかみ上部にかけての盲貫銃創で
しかも銃弾が皮膚と骨の間を直通したかのようであった。
早速衛戍病院に連絡し救急車を呼び、
私一人が付添い人となり病院からきた衛生兵二名と共に病院に護送した。
安藤大尉がすぐ病室に収容されるのを見届けると私はそのまま聯隊に帰隊した。
なお山王ホテルの方の主力は永田曹長の指揮で聯隊に帰った。

久し振りに寝台に横たわってみると
四日間の出動期間が一カ月もの長い年月に思われ、
安藤大尉の行動が如何に目まぐるしく苦悩に満ちた闘いであったか しみじみ想起された。
夕食後は全員日用品を持って近歩四に隔離され、三日目から営庭に張られた天幕の中で取調べを受けた。
私は安藤大尉の当番兵であったためか大分細かく訊かれ、
取調べ回数は十二回にも上り、やっと放免されて原隊に帰った。
事件後二週間ぐらいして新しい幹部が着任した。
その頃 出動した下士官以上の者は全員衛戍刑務所に収容されていたのである。

・・・ 「 前嶋君 君達にあひ度かつた 」 ・・・後編に続く
二・二六事件と郷土兵
歩兵第三聯隊第六中隊・伍長勤務上等兵 前島清 
「安藤大尉と私」から 


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