あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中隊長安藤大尉と第六中隊

2019年07月30日 18時28分05秒 | 安藤部隊

歩兵第三聯隊第六中隊の 昭和維新
昭和11年2月25日~29日
2月25日
21:00
第六中隊下士官集合・・・中隊長より訓示
点呼終了後階下の広場で行われた
訓話を始めるにあたって先ず準備された黒板に富士山の絵をかき、
次に白墨を横にして富士山を塗りつぶした。
「 今の日本はこのように一部の極悪なる元老、重臣、軍閥、官僚等の私利私欲によって
このように汚され、今や暗雲に閉されようとしている。
今こそ我々の手によってこの暗雲を払いのけ 日本を破滅から救い
国体の擁護開顕を図らなければならぬ 」
24:00
安藤大尉は次の命令を下した。
1  かねて相沢事件の公判に際し、真崎大将の出廷による証言を契機とし、
    事態は被告に有利に進展することが明かとなれり。
2  しかるに この成行きに反発する一部左翼分子が蠢動し、
    帝都内攪乱行動に出るとの情報に接す。
3  よって 聯隊は平時の警備計画にもとづき  
    主力をあげて警備地域に出動し、警備に任ぜんとす。
4  出動部隊は第一、二、三、六、七、一〇の各中隊とし、
    機関銃隊は一六コ分隊を編成し、各中隊に分属せしむべし。
命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」

2月26日
00:00
週番司令安藤大尉より聯隊主力に出動命令下達
一中隊主力、二中隊一部、三中隊、六中隊、七中隊、十中隊、機関銃隊主力
六中隊は二コ小隊編成で、第一小隊長に永田曹長、 第二小隊長に堂込曹長
  第二小隊長堂込喜市曹長
03:00
中隊 非常呼集
03:30
舎前整列、編成の下達
中隊は三個小隊に編成、第一、第二、第三 ( 機関銃隊 )
編成終了後、安藤大尉の号令 「 弾込メ 」
安藤大尉は抜刀して
「 気オ付ケーッ!中隊は只今より靖国神社に向って出発する、
行進順序建制順、右向ケー 右!前エー進メ 」
喇叭吹奏、行進
「中隊は只今より靖国神社参拝に向かう。 第一、第二小隊の順序、指揮班は中隊長に続行」
03:50
営内出発
衛兵の部隊敬礼を受けて営門を出て隊列が歩一の前にさしかかった時、
走ってきた乗用車が止り 渋川善助がでてきて安藤大尉に、
「愈々決行ですか、御成功を祈ります」
渋川は至極落付いた表情でそういった。

隊列は以後粛々と進み、乃木坂、赤坂見附を通過
04:50
鈴木侍従長邸近くに到着

「 第一小隊は官邸の外まわりの警戒、第二小隊は邸内の警戒、
第一小隊の第三分隊及び第二小隊の第一、第三分隊は突撃隊となり侵入し、目標の探索に任ずべし 」
05:00
軽装に身を固めた中隊は愈々襲撃に移った。
攻撃は正門、裏門の両方に別れ指揮班は表門組の第二小隊のあとに続いた。
まず安藤大尉が門前を警戒していた二、三人の守衛に開門を要求、
彼等は応じる気配がないので直ちに取抑え、
この間携行してきた竹梯子を塀に立てかけ先兵が内に飛込み瞬く間に門扉をあけた。
外で待っていた第二小隊がドッと侵入、続いて指揮班も入った。
この時取抑えた守衛たちは守衛詰所のキリヨケに手をかけてブラさげ監視をつけた。
家屋内に浸入すると、中は真暗なので用意してきた懐中電灯をつけ、
念入りに各部屋を探索しながら奥に進んだ。
やがて私達が建物の中頃あたりまで進んだ時、突然奥の方から拳銃の発射音が響いてきた。
すると 安藤大尉はソレッ!とばかり奥に向かった。
指揮班も遅れじと続く。
一番奥と思われる部屋にくると電燈がついて
そこに十五、六名の兵隊が半円形になって包囲する中に目指す鈴木侍従長が倒れていた。
上半身から血が流れ出し畳を赤く染めている。
安藤大尉はその光景を見るや侍従長をすぐ寝室の床に移動させた。
奥の間のすぐ手前が侍従長夫妻の寝室で、夫人が床の上に正座していた。
安藤大尉は徐ろに夫人に向って蹶起の理由を手短かに説明した。
「 御賢明なる奥様故、何事もお判りのことと思いますが、
 閣下のお流しになった血が昭和維新の尊い原動力となり、
明るい日本建設への犠牲になられたとお思い頂き、
我等のこの挙をお許し下さるように 」
「 では何か思想的に鈴木と相違でもあり、この手段になったのですか、
鈴木が親しく陛下にお仕え奉っていたのをみても
その考えに間違いはなかったものと思いますが 」
すると安藤大尉は静かに制して
「 いや、それは総てが後になればお判りになります 」
沈黙が続いた。
ややあって夫人は 
「 あなた様のお名前を 」
「 歩兵第三聯隊、歩兵大尉安藤輝三 」
「 よくわかりました 」
「 甚だ失礼ではありますが閣下の脈がまだあるようです、止めをさせて頂きます」
「 ああそれだけはどうぞ・・・」
と 夫人が叫んだ。
安藤大尉はしばらく考え、
「 ではそれ以上のことは致しません 」
と いいながら軍刀を納めた。
全員は大尉の号令で鈴木侍従長に向って捧ゲ銃の敬礼を行い官邸を引上げた。
正門前で隊列を組み三宅坂方面に向って行進に移る。
 
「 昭和維新の歌 」 を高唱しながら
三宅坂方面に向い行進する安藤隊

06:30
同邸前出発後、陸軍省近傍に到着
「 安藤は部下中隊の先頭に立ちて颯爽として来る。
 ヤッタカ ! !  と 問へば、
ヤッタ、ヤッタ と 答へる 」
・・・第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」 

第七中隊常盤少尉がきて安藤大尉に状況報告
警視庁を完全占領し目下警戒中の由、
坂井中尉は斉藤内府、渡辺教育総監を倒し我が方負傷二名
高橋蔵相が近歩三の襲撃で死亡
岡田総理が歩一の手によって斃された
報告を受けた安藤大尉は感無量といった姿で天を仰ぎながら
「愈々昭和維新が達成するか」 といった。
その後間もなく全員は陸相官邸前に整列し 
安藤大尉から蹶起趣意書を読みきかされ、真の出動目的を確認した

10:00
三宅坂三叉路附近に移動、警戒配備
聯隊より朝、昼、夕食運搬、住民湯茶サービス
夜  雪堤を造り、露営
破壊孔から光射す 
安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」 

2月27日

早朝  戒作命第一号により 麹町地区警備隊に編入

12:10 ~13:00
新国会議事堂附近に移動。待機。

待機中、 安藤大尉に対して、二名の憲兵が来て、
一刻も早く 下士官兵を帰隊させることを求めたが、
安藤大尉はこれに応ぜず、
「 陛下の赤子を使用することは申しわけないが、
今回の蹶起は鳥羽伏見の戦いと同じで
最後の一兵までやる覚悟である。
ここは何トンの爆弾が落ちても平気である。 将校も兵も一心同体なのだ 」
と 反駁

前聯隊長井出大佐 ( 現参謀本部軍事課長 ) が訪れる
安藤と会談中、傍にいた小河軍曹がいきなり大佐を射殺するといい出し
大尉に止められる一幕があった
18:00
陸相官邸で開催された軍事参議官会議の情報が入ってきた。
事態は蹶起部隊に有利に展開中とのことに安藤大尉は満面に笑みをたたえて喜んだ。

安藤輝三大尉は 部下中隊に訓示と命令を下達 
「 小藤大佐の指揮下に入り、中隊は今より赤坂幸楽に宿営せんとす・・・・」
安藤中隊長を先頭に、中隊はラッパを吹きながら新国会議事堂から出る
安藤中隊は粛々として首相官邸の坂を山王下へ下って行った

18:30
料亭 幸楽 に入る。
「 今夜、秩父宮もご帰京になる。弘前、青森の部隊も来ることになっている」 
「 去る二月二十六日蹶起した各部隊は、夫々の場所において当初の目的を達成した。
これから秩父宮が上京され 上層部に説明を行われるので、事態は益々よくなるから
全員心配せず任務を続行してもらいたい 」・・大広間において安藤大尉の状況説明
20:00
新井中尉、安藤大尉を訪問
・・・ 地区隊から占拠部隊へ
休養、警戒しつつ夜を徹す
同大広間において、中隊長、全隊員に状況説明
・・・維新大詔 「 もうここまで来ているのだから 」 
2月28日
早朝  情勢一変、反乱軍として鎮圧軍の包囲を受く、緊張の日中を過ごす
06:00
五中隊の小林美文中尉がきて安藤大尉に告げた。
「安藤大尉殿、間もなく総攻撃が開始されます。
もし大尉殿がここを脱出されるようでしたら自分共の正面にお出下さい。
我々は喜んで道を開けますから」
「有り難う、御厚意に感謝する 」
・・・小林美文中尉 「 それなら、私の正面に来て下さい。弾丸は一発も射ちません 」
時間の経過と共に緊張が高まり兵士はみな悲壮な覚悟を決めた。
10:00
村中大尉が吉報をもってきた。
「 闘いは勝った。われらに詔勅が下るぞ、全員一層の闘志をもって頑張れ 」
次いで地方人池田氏 ( 神兵隊事件関係者 ) がきて種々援助をしてくれた。
同時刻頃
蹶起部隊の各指揮官に陸相官邸集合かかる
しかし安藤大尉は頑として応ぜず、
今ここを離れたらどんなことになるか判らないと判断し、
坂井中尉を代理として LG一コ分隊、小銃一コ分隊をつけ自動車で差出す
12:20
形勢逆転せんの形勢見えしため、
安藤中隊長は遂に戦闘準備を宣し、一同勇躍して出陣に就く、襷掛けの悲想な出陣
兵隊との別れの握手、 実に見る者をして涙ぐましめたり、民衆は之を見んものと道路を埋めてゐる
安藤中隊長も最後の握手を兵隊達と交わした。
・ 中村軍曹 「 昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり 」 

13:00
村中大尉がきて安藤大尉に
「 今までの形勢はすっかり逆転した。もう自決する以外道はなくなった 」
と 悲壮な覚悟を示した。
すると安藤大尉は一瞬ムッとした表情で
「今になって自決とは何事か、この部下たちを見殺しにする気か、
軍幕臣どものペテンにかけられて自決するなど愚の骨頂だ 」
「 俺は何といおうとそれらの人間とあくまで闘うぞ」
と、村中大尉の報告を立ちどころに一蹴し決意の程を表明した。
我々が悲壮な気持ちで戦闘準備にかかった頃、幸楽の前には民衆が黒山の如く集まり口々に
「 我々も一緒に闘うぞ、行動を共にさせてくれ 」 と叫んでいた。
丁度歩一の栗原中尉がきていたので、彼は早速民衆に対して一席ブッた。
「皆さん!我等のとった行動は皆さんと同じであなた方にできなかったことをやったまでである。
これからはあなた方が我々の屍を乗越えて進撃して下さい。」
「我々は今や尊皇義軍の立場にありますが、
これに対して銃口を向けている彼等と比べて、皆さん方はいずれに味方するか、
もう一度叫ぶ、我々は皆さんにできなかったことをやった。
皆さん方は以後我々ができなかったこと、即ち全国民に対する尊皇運動を起こしてもらいたい、
どうですか、できますか?」
すると民衆は異口同音に 「できるぞ!やらなきゃダメだ、モットやる」 と 感を込めて叫んだ。
続いて安藤大尉が立ち簡単明瞭に昭和維新の実行を説いた。
民衆は二人の演説に納得したのか万歳を叫びながら徐々に散っていった。
・ 幸楽での演説 「 できるぞ! やらなきゃダメだ、モットやる 」 
・ 
下士官の演説 ・ 群集の声 「 諸君の今回の働きは国民は感謝しているよ 」
渋川善助 「 全国の農民が可哀想ではないんですか 」 

「 小藤大佐ハ爾後占拠部隊ノ将校以下を指揮スルニ及バズ 」 
16:00
出陣せんとした折吉報入る。
皇族会議の結果、 我々の勤皇の行動を認めるとの中隊長の伝達に依り一同にどっと喜の声が絶えなかった。
実包を抜きとり、志気作興のため演芸会開催せり。
「 私は千早城にたてこもった楠正成になります 」 
夜になって吉報が舞い込んだ。
今日陛下と伏見宮様がこん談され、陛下も尊皇軍をよく解って下さったようだというもので、
これを受けた安藤大尉はニッコリして
「明日は逆転するぞ、みておれ、反対に悪臣たちに腹を切らせて我々が介錯するのだ」 と、いった。
大阪から在郷軍人団がやってきた。
彼等は早速附近に集っていた民衆に熱弁を振るい協力を求めていた。
21:00
悲報が到来した。
明朝鎮圧軍が軍旗を奉じ、やってくるとのこと、もし原隊に帰らなければ武力をもって鎮圧するという情報である。
最早や交渉の余地はなくなったようである。
22:00
そこで戦闘を有利に実施できるよう陣地変換に移った。
幸楽を撤収、裏門から隠密裡に抜け出し山王ホテルに移動
第一小隊は階下及び玄関、第二小隊は二、三階、 指揮班は階上
以後、香田大尉の部隊と協同で戦闘することとなる
2月29日
払暁  鎮圧軍ラッパを吹き、示威行動、包囲網圧縮
07:50
奥村分隊、中村分隊、再度君が代斉唱

午前中  戦車接近、中隊長激発、帰順説得続くも、中隊長拒否。飛行機ビラを撒く
09:00
雄叫を唄う
10:00
三階から外を見ると、 電車通りも行動隊の兵士が(白襷を掛けて)整列して居って、
階下に下りて来て先程の部屋を見ると
安藤、香田の両大尉及下士官、七、八名も居り 緊張して居り
安藤か香田に何か大声で話をして居りました。
安藤大尉は
「 自決するなら、今少し早くなすべきであった。
全部包囲されてから、オメ オメと自決する事は昔の武士として恥ずべき事だ 」
「 自分は是だから最初蹶起に反対したのだ。
然し 君達が飽迄、昭和維新の聖戦とすると云ふたから、立ったのである 」
「 今になって自分丈ケ自決すれば、それで国民が救はれると思ふか。
吾々が死したら兵士は如何にするか 」
「 叛徒の名を蒙って自決すると云ふ事は絶対反対だ。 自分は最後迄殺されても自決しない。」
「今一度思ひ直して呉れ」 と テーブルを叩いて、 香田大尉を難詰して居りました。
居合せた、下士卒は只黙って両大尉を見詰めて居るばかりでした。
香田大尉は安藤の話をうなだれて聞いて居たが暫らくすると、頭を上げ、
「 俺が悪かった、叛徒の名を受けた儘自決したり、兵士を帰す事は誤りであった
最後迄一緒にやらう、良く自分の不明を覚まさせて呉れた 」
と 云って手を握り合ひました。
安藤大尉は、 「 僭越な事を云って済まなかった。許して呉れ 」
と 詫び
「 叛徒の名を蒙った儘、兵を帰しては助からないから、 遂に大声で云ったのだ。
然し判って呉れてよかった。最後迄、一緒にやって呉 」
と 云ってから
「 至急兵士を呼帰してくれ 」
と 云ったので、 香田大尉は其処に居た下士に命じ、呼戻させ、再戦備につく

安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」
12:30
中隊長自決を計る
伊集院少佐 介錯しようとする

他隊帰隊相次ぐも、第六中隊最後まで頑張る
14:00
蹶起部隊幹部 山王ホテル に集合
安藤、香田、磯部、山本、村中、丹生、栗原の各将校の面々は重要会議を始めた
が、やがて重苦しい雰囲気の中に会議が終り解散となる。
15:00
全中隊、ホテル広場に集合
参謀副官は我々に向って
「 お前たちはここで中隊長とお別れしなければならぬ 」
と いった。
これを大隊長が一応とめたが安藤大尉はどういうわけか聞き流し、
整列した我々に対し最後の訓示を与えた。
「 俺たちは最後まで、よく陛下のために頑張った。
お前たちが聯隊に帰るといろいろなことをいわれるだろうが、
皆の行動は正しかったのだから心配するな。
聯隊に帰っても命拾いしたなどという考えを示さないように、
女々しい心を出して物笑いになるな。
満州に行ったらしっかりやってくれ。
では皆で中隊歌を歌おう 」
やがて中隊歌合唱がはじまった
・ 「 中隊長殿、死なないで下さい ! 」
・ 「 農村もとうとう救えなかった 」
・ 「 何をいうか、この野郎、中隊長を殺したのは貴様らだぞ!」 
伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 1 

中隊長自決を図る。
「 永田曹長の指示でホテルから寝具が運ばれ、大尉を仰向けに寝かせた。
大尉は手真似で筆記具をよこせといい、
永田曹長が通信紙と赤鉛筆を渡すと眼を閉じたまま複数に走り書きした。
やがて衛戍病院から車がきたので大尉は病院に向った。
その直後 永田曹長は全員を集め中隊長の書き残した通信文を読上げた。
その内容は、
1  爾後の指揮は永田曹長がとり、無事原隊に帰れ
2  未だ 『 弾抜ケ』 を していないので 弾を抜け
3  お前達は渡満したなら 御国のためにしっかりやれ
などであった。
一同は泣きながらそれを聞いていた 」・・・二等兵大谷武雄

帰隊
出発にあたり武装解除を要求されたがこれを拒否
永田曹長の指揮で銃を肩に 軍歌を合唱しながら、堂々と凱旋気分で行進した。
永田曹長引率す中隊主力、午後六時頃帰営


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