安藤大尉 « 血染めの白襷 »
伊藤葉子 ・ 此の女性の名を葬る勿れ 1
托された血染めの白襷
自動車が行って、皆さんが帰ってしまうと、その民間の方が、小さい紙に、
「 神兵隊の鈴木善一 」 と 書いた紙を下さいました。
それと、安藤さんの血を拭いた白襷を巻いたのを新聞紙にくるんで、
「 君、ちょっと来てくれ 」
と、人のいない方に連れてゆきました。
「 さては・・・・まわし者だったのか 」
と 思いましたが、私もあの時には、生きている気持にはなかったので、黙ってついて行きました。
すると、パーラーの奥の方に行って、
「 君、兵隊のやったことを、いいと思うか 悪いと思うか? 」
と 聞きますので、
「 私だけの考えですけれども、いろいろ丹生さんからもお話を聞いたり、
兵隊たちからも話を聞いて、私はいいと思ったから 出来るだけのことはしたつもりです。
悪かったらどこに行ってもよろしゅうございます 」
と いいますと、
「 いや、そうじゃない。君がもし いいと思ってくれるなら、頼みたいことがある 」
と いうのです。
「 私に出来ることなら・・・・」
というと、
「 ありがとう、神兵隊に行って、これを鈴木さんに渡してくれ。
そしてこれは、決して誰にも言っちゃあいけない 」
「 神兵隊はどこにあるのですか 」
と うかがったのですが、もう そんなやりとりをしている時間はありません。
私は別に こそこそ隱れるという気持はないのですが、頼んだ方があわてていまして、
こんなところを見つかったら大変だというので、
私も、
「 はい、確かに お渡し致します 」
と お引受けしました。
「 お名前は何とおっしゃるのですか 」
と うかがいますと、
「 名前は言わなくても、安藤さんの最期の時に お預かりした品物です、
と 言って 鈴木さんに渡せば判る 」
と いって、
その人は そのまま 兵隊さんの後に ついていってしまいました。
相手側の兵隊
ものものしい戒厳令
広いホテルの中で一人になってしまった私は、外に出ようと思いましたが、
裏から出られないので 表の方から出ると、
安藤さんの隊と入れ違いに入ってきた相手側の兵隊が、
「 どこにいて、どうした 」
と 聞きますから、
「 逃げ遅れて中にいましたが、これから帰るところです 」
と 言うと、すぐに帰して下さいました。
やっと外に出ると、急にお腹が空いたのを感じました。
いままで たくさんのおむすびを作っていたんですけれど、ちっとも食べたいと思わなかったのに、
やっと外に出て来たら、急にお腹が空いてきたわけです。
それでホテルに帰って、食べ残りの御飯を食べようと思ったのですけれども、
もうホテルには入ることが出来ません。
今度は反対の方の兵隊が取巻いて、すっかり厳重に警戒していて
「 ホテルの者ですけれども 忘れた物があるから取りたい 」
と 言ったのですが
「 後から取れるから、今は入ってはいけない 」
と、どうしても入れてくれないのです。
それでフラフラ歩き出しました。
そうしますと、あちこちに塹壕があります。
鉄条網を積んだ自動車が六台もある。
それから陸軍の自動車があって、偉い方が乗っていました。
道にも機関銃が置いてある。
それに丸いものが巻いてあるので 「 これ、何ですか 」 と 聞きますと
「 電話線だ。戦争があると電話が通じないから、これは戦争だけに使う電話だ 」
と いうことでした。
何しろ お腹が空いてたまりませんので、何か食べる物はないかと探しましたが、
店はあるのですけれども、今まで避難していた家ばかりですので、
とても食べさせてくれるどころではありません。
今までの騒ぎに気を取られている外の人たちは、いろいろ取沙汰をしています。
誰かが自殺をはかったということは判っていたようですが、誰ということが判らない。
わいわい 騒いでいます。
やっと知っている うどん屋がありましたので
「 何か食べたいんだけど 」
と 頼むと
「 じゃあ、冷たい御飯がある 」
というので、食べさせてもらい、やっと人心地がついたのでした。
憲兵隊に調べられる
四時になって、
社長さんがいらっしゃったので、やっとホテルに入れました。
入って行きましたら 憲兵隊の方が来まして、いろいろな話を聞いて、
「 君は最後までいたというが、どういう気持だったのか 」
と 言うのです。
私は、
「 どういう気持というわけではありませんが、
帰ろうと思ったら遅くなって帰れなくなりましたし、
兵隊さんたちが御飯を炊くのに様子が判らないから、御飯を炊いたりしていました 」
と 答えました。
その時はそれだけの話ですみました。
それから写真屋が来て、そのままになっているホテルの内部を写真に撮りました。
その次の日も また次の日も、憲兵隊から調べに来まして、
「 君をどうするわけでもないから、どういう兵隊がどういう行動を取ったかということを、
感じたまま、見たままを話せ 」
と いうことでした。
私は何だか、加勢した兵隊のことを言うのが しゃくにさわったので
言わなかったのですが、
いろいろ聞きます。
たとえば ホテルの方から軍隊に請求する費用
・・・・椅子がどれだけ、ベッドが壊れて、いくら、
ということを
君は知っているだろうと聞きましたが、
ホテルのほうのつけかけが多くて しゃくにさわったので
「 これは本当じゃない 」
と 言いました。
たとえば 食堂の方の請求書ですが、肉でも卵でも酒でも洋酒でも、
営業をしていたままですからいろいろありました。
でも 飲んだ洋酒は五十本くらいでしょう。ビールだって五ダースくらいでしょう。
肉も少しは使いました。スープの大きな鍋がありますので、
みんな大したことはないのですのに、専務さんがいろいろと細かい請求書を出しました。
憲兵隊の人は、何度も何度もいろいろのことをお聞きになりまして、
私が話したことを一回一回読んで、はんこ をおさせるんです。
うっかりしたことを言うと、これによって刑が定まるんだから、うそを言っちゃいけない。
と おどかしたりなんかするのです。
たいていのことはそのまま お話したと思いますけれども、
やっぱり 自分で加勢した方を悪く言いたくありませんから、少しはいいように言って置きました。
けれども本当に、椅子やなんかを壊したのはいよいよ戦闘が始まるという時で、
それまではちっともふだんと変わってはいなかったのです。
宴会場に毛布を敷いて寝ていたくらいですから、そのとおりを言いました。
本当に兵隊さんたちはおとなしかったのです。
どんなことでも、命令されたこと以外はしませんでした。
宴会場にいて、お部屋の方にはちっとも上らなかったのに
「 そうじゃなかろう 」
と 聞くのです。
ホテルの方でも
「 夜はお客のベッドに寝たのだろう 」
と 言いましたが
「 そうじゃありません 」
と はっきりいってやりました。
一週間くらいして、また元どおり ホテルは営業するようになりましたが、
別にそう困るものはありませんでした。
椅子の足が折れたとか、ガラスが壊れた、それから蒲団が汚くなったことくらいですが、
蒲団なんかは全部カバーが掛っていましたから、洗濯屋に出して、
椅子は足を取換えればいい。
それから、パーラーのじゅうたんが汚くなって壁が少しよごれたことくらいで、
大した損害もなかったようです。
安藤大尉の« 血染めの白襷 » の後日譚
事件が終わってから一カ月ぐらいしてから、
あのお預かりした安藤さんの血染めの白襷をお届け致しましたが、
それがまた たいへん苦労だったのです。
『 神兵隊 』 というのが、
どこにあるのかまったくわからないのです。
やはり軍隊のどこかにあるのではないかと思って、一聯隊に行って営兵に聞いてみました。
「 どういう用件だ 」
と 言いますから、
「 ちょっと持って行きたいものがあるので・・・・」
というと、
「 それじゃ、その品物を出せ 」
と 言うのです。
それを見せなければ教えないと言いますから、
「 それじゃいいです 」
と さっさと帰って来ました。
それから三聯隊に行って、
「 ご面会したい人があるのですけれど、神兵隊というのはどこですか? 」
と 聞いたのですが、
「 判らない 」
と、どうしても教えてくれませんでした。
そのうちに、ちょうど私と一緒に働いている人の兄さんが、頭山満さんを知っていて、
その方が民間の何かだったので、ぜひ話を聞かせてくれとおっしゃっていましたから、
私は別に話をしようという気持はなかったのですが、
「 僕は決してあやしい者ではない。
君のことを聞いてどうするというのではない。
民間側の者で 頭山さんも知っているし、話を聞かしてくれ 」
と おっしゃいます。
その時 「 民間側 」 ということが ピンと来ましたから、
民間側の鈴木さんと、それからもう一人の方をご存知かとうかがってみますと、
やっぱり知っていらっしゃいました。
それで、
「 鈴木さんは どこにいらっしゃるのですか 」
と 聞きますと
「 刑務所に入っている 」 ( 註・神兵隊事件で入獄中)
というので、
それは困ったことになったと思いました。
それで その品物を預かったお話をしますと、
「 上の人に話せば通ずる 」
と おっしゃいました。
「 上の方って どなたですか 」
と 聞きますと
「 頭山満さんのお宅が青山六丁目だから、その方にお話したらすぐ判る 」
と 教えて下さいました。
それで道を教えて頂いて頭山さんをお訪ねしました。
その日、私はちょうど おそ番でしたので、朝早く・・・八時頃家を出ました。
頭山満さんの家は、
少しは大きな家かと思いましたから、行けばすぐ判るだろうと思ったのですが、
きっと門がついている家だと思いましたところ、なかなかそれが判らない。
困ってしまって、近くの人に聞きましたらなんとそれは、小さいお宅でした。
玄関からじゃいけないと思って、初めお台所に行って、
女中さんに、
「 鈴木さんという方がちょいちょい お見えになりますか 」
と 聞きますと、
「 この頃はお見えになりません 」
という。それで
「 その方に頼まれて、
山王ホテルにいらっしゃった安藤さんのものを お預かりしていますが・・・
こちらに うかがったら判るというので うかがいました。
御主人にお目にかかってお話したいのですけれども、
いらっしゃらないでしょうか 」
と 言いました。
私は鈴木さんから頼まれた、
と わざとうそをついたわけです。
けれども何しろ事件の直後ですから、なかなかお会いにはならないらしい。
十五分ほどしてから、怖そうな人が玄関に出て来て、
「 何用だ ! 」
と 言うから、
こういう訳ですとお話しますと、
「 ああ、そうですか 」
と 言うのです。
初めは
「 何用だ ! 」 なんてえらい権幕で出て来たのに、
話をしたら
「 ああそあですか 」 と 急におとなしくいうのです。
それで、これですから、と品物をお渡ししました。
私は、直接御主人にお渡ししたいと言いましたが、
「 確かに受取った。大丈夫だ 」
と おっしゃるので、その方にお渡しして帰って来ました。
その後、
あの血染めの白襷が
どうなったかは存じません。
« 筆者註 »
この安藤大尉の血染めの白襷は、
神兵隊事件に参加した町田専蔵氏 ( 事件後軍法会議により禁錮三年に処せられ、のち病死 )
が 山王ホテルを去るに当って伊藤葉子さんに托したもので、
以上の経過によって頭山満翁に届けられたのであった。
その後、鈴木善一氏 ( 神兵隊事件の中心人物 ) の出所後、同氏の手に渡ったが、
町田専蔵氏の出所により、鈴木氏から町田氏のもとに返った。
以来町田氏が秘蔵していてところ、同氏の死により同じ神兵隊の同志、中村武彦氏が預り、
昭和二十七年七月十二日、安藤大尉等二十二士の十七回忌法要に際し、仏心会に寄贈せられた。
現在は私が保管している
が、伊藤葉子さんの消息は、まったくわからない。
( 私・・・河野司氏 )
当時
山王ホテルに
勤めていた
伊藤葉子さんの
体験談である
( 昭和十一年七月四日に聞たもの )
二・二六事件秘話 河野司 著
安藤大尉 ”血染めの白襷” から
歩兵第三聯隊 第六中隊
歩三の某伍長の手記
山王ホテルニ於テ
二十九日午前七時五十分
① 奥村分隊、中村分隊再度君ケ代斉唱ス 感涙湧カザルヲ得ズ
② 隣室巡察ノ際、
我々ノ為ニ其ノ如キ険悪ナル情勢ニ至リタルモ尚顧ズ、
ホテルニ只一人握飯ヲ作リ居リシ健気ナ女性ヲ発見セリ、
頼ミテ氏名ヲ聞ク 伊藤葉子 ト云フ者ナリト
乞フ此ノ女性ノ名ヲ葬ル勿レ
③ 志気依然トシテ其ノ絶頂ニ達シアリ
八時三十分
① 安藤大尉最後ノ言葉
「聯隊ニ残リシ六中隊ノ幹部ハアレデモ幹部カ」 ト
② 大木伍長、渡辺軍曹巡察ニ来りて激励シ行ケリ
③ 安藤大尉、渡辺軍曹敵ノ中ニ踏込メリ
「討タバ討テ」ト敵ハ銃剣ヲ突キツケテ取巻ケリ
安「ソレハ一体何ダ」スルト敵ハ銃ヲ立銃トナシ不動ノ姿勢ヲ取レリト
尊皇討奸軍ヲ何故討テル筈ガアルカ
午前九時〇分
① 再度ノ雄叫ヲ唄フ
② 外套ヲ整頓シ置キ水筒ヲ捨テテ身軽トナル思フ存分働カン意気昂シ
③ 朝日窓ニ冴ヘタリ 正ニ大内山ニ暗雲ナシ
④ 部下ニ発砲ヲ固ク禁ズル旨再度言渡ス
⑤ 部下ノ顔ニハ終始喜ビ顔見エタリ 至上ノ光栄ト存シ死ニ赴カン
二十九日午前十時三十分
旅団長閣下折衝ノ為メ来リテ歴史的光景
零時三十分
中隊長自決セントス
大隊長中隊長ヲ切ラントス
服装ヲ整ヘ引揚ク
現代史資料23 国家主義運動史3 から