あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

破壊孔から光射す

2019年07月12日 14時49分19秒 | 安藤部隊



私は強引にも馬取り扱い兵から一頭を奪い、単騎、正門を出て代官通りからまず半蔵門に向かった。
目標は中央官庁官衙のある三宅坂、永田町一帯であると判断したのである。
乗馬を強奪したのは良かったが、何分にも路面が凍っていて、
蹄鉄がひと足ごとに滑り、とても早足などはできない。
歩兵の悲しさ、馬にまだ自信のない私は、
並足で一歩一歩進めるのに精一杯のありさまであった。
 
半蔵門の近く、英国大使館前に差しかかると、
あの丁字路に重機関銃が四挺、四谷方面と九段方面へ向けてそれぞれ二梃あて配置され、
射手は据銃したまま、いつでも撃てる姿勢で、
小隊長とおぼしき曹長が中央に立って指揮をとっている。
見ると、四谷方面から参謀肩章をつけた高級将校が続々と現れ、
小隊長とさかんに押し問答をしているようだが、結局一人残らず追い返されて帰って行く。
誰ひとり通過できないのである。
この陣地の通過。「これは難しいぞ」馬を静かに進めながら、しばし思案に耽った。
胸中一閃。つかつかと馬を進めて馬上から大声疾呼。
「 安藤大尉はどこにおるか !! 」
「 ハッ !  安藤大尉殿は航空本部におられます !
「 よしわかった ! 通るぞ !! 」
難なく第一線を突破できたのである。
小隊長は突然の大声に、しかも安藤輝三大尉の名前を出されて、
とっさに判断のいとまもなく、私の通過を無意識のうちに認めてしまったのであろう。
私はゆうゆうと機関銃陣地を通過して三宅坂の航空本部へと馬を進めた。
最初に安藤大尉に会えるとは、まったく幸先がいいぞと考えながら。
私は在京青年将校の中では、歩三の安藤大尉を一番高く評価していたのである。
その人物から見て、部隊が蹶起するとすれば、
その棟梁は彼をおいて他にはないとまで考えていたのであった。

 

・・・挿入・・・
午前十時頃、
安藤隊は航空本部東側突角部にある、
小松宮の銅像を中心にした二百坪程の小公園に到着した。
風雪から部隊を遮蔽していて、適当な休息地を形成していた。
直ちに、周辺の雪を盛り上げ、地面をならして露営地を造りあげた。
その頃になると、附近住民が恐る恐る様子を窺いに姿を見せ始めた。
暫くして在郷軍人分会長と称する人物が、数人の町の世話役とともに現われ、
「 少しでもお役に立ちたいので、何なりと遠慮なく言って欲しい・・・・」
と 申し出てきた。
安藤は彼等の好意を深く感謝し、手短に蹶起の趣旨を述べ、
とりあえず露営用の天幕と温かい湯茶の提供を頼んだ。
なお、現金を持たせて兵隊を差し向けるから、パンや餅菓子を売ってくれるように、
近くの店舗を開けさせて欲しい・・・・と希望した。
昼近くになると、在郷軍人の手で、公園内に数張りの角型天幕が設置され、
莚や炭俵が運び込まれた。
また、愛国婦人会の襷をかけた十数人の女性が、
熱い湯茶と炊き出しの握り飯を持って現われ、
兵隊たちに心こまやかにサービスして廻った。
兵隊たちは携帯口糧の乾パンをかじりながら空腹をしのいでいたが、
思わぬ住民たちの温かい接待に大喜びをした。
現在、平河町二丁目町内会の役員をしている飯田勝次郎氏は、
当時の模様を
「 今でも、雪の中に毅然として立ち、
しかも鄭重な態度で我々としていた安藤大尉の姿が忘れられない。
兵隊たちの軍規も厳正で、ピシッと引き締まった雰囲気だった・・・・」
と、語っている。
午後になると、聯隊から食事が届けられた。
献立は肉が沢山入った豚汁と、今までお目にかかれなかったような豪華なおかずが付いていた。
兵隊たちは手を叩いて喜び、支給された温食を腹一杯食べて、すっかり生気を取り戻した。
安藤は三宅坂一帯に歩哨線を張り、交通を遮断して、きびしい警戒体制を布いたが、
部下たちに交代で天幕を利用して睡眠をとらせ、出来る限り体力を回復させるように指導した。
坂井が雪のチラつく中を、三宅坂三叉路附近まで来ると、
道路の真ん中に重機関銃の銃座が築かれ、銃口が三方を睨んでいた。
その里側が歩哨線となっているが、警戒はきわめて厳重である。
「 尊皇--討奸の合言葉を使って警戒線を通り抜け、公園内の安藤隊本部に着いた。
数張りの角天幕が立ちならび、
襷がけの婦人が十人余りで、甲斐甲斐しく湯茶や甘味品のサービスをしている。
安藤は小松宮の銅像前に置かれた椅子に座って、初老の紳士となごやかに談笑していた。
・・・・
二・二六の礎 安藤輝三 奥田鑛一郎 著 から

航空本部は、当時は半蔵門方面から行くと、陸軍省の手前、三宅坂丁字路の角にあった。
門を入るとすぐまるい植え込みがあって、その前に安藤大尉はいた。
ただ独りつくねんとして芝生に胡坐をかいて座っている。
あたりには一兵も見当たらない。
安藤大尉は、二・二六蹶起には非常な慎重論者であって、
最後のぎりぎりのところで重い腰を上げた人である。
その姿なは心なしか孤独な寂しさが漂っているように感じられた。
「 安藤大尉殿 !! 」
私は馬上から大声で呼びかけた。
「 オオ ! 小林か。よく来たな 」
よく来たなと言われたかどうか、ハッキリした記憶はないが、
まさしくそういった安藤大尉の顔色であり、雰囲気であった。
私は馬を飛び下り手綱をそばの植木につないで、安藤大尉に並んで胡坐をかいた。
「 安藤さん。状況はどうなっているのですか 」
動機も目的も、その他、何も聞く必要はない。
お互いよく知っている。
要は現在の情勢を知りたいだけである。
「 歩一、歩三、それに近歩三(近衛歩兵第三聯隊)の一部を加え、
七個中隊、兵力は約千四百名。これが東京地区の出動兵力だ 」
襲撃目標とその兵力、現在の配備態勢等、
彼はむしろ淡々とした口調で、実に詳しく説明してくれた。
私は、あけっぴろげにこんなに詳細な話を聞けようとは思いもよらなかったので、
まったくわれながら驚いた。
「 安藤さん。これからどうなるのですか。どうするつもりですか 」
「 それは山下奉文少将に任せてある。
山下閣下が出て来て、われわれの希望する方向に後始末をしてくれるはずだ 」
「 独自の計画は持ってないのですか 」
「 何も持っていない 」
「 山下少将とはちゃんと打ち合わせをしてあるのですか。約束はできているのですか 」
「 いや、それはしていない 」
「 それでは、貴方がたの希望的観測に過ぎないのではないですか 」
「 そう言われればその通りだ。しかし、われわれは山下閣下を信じている。
必ずやってくれると信じているのだ 」

最期に私の同期生の動静を聞いた。

「 歩三の清原康平、鈴木金次郎、常盤稔の三少尉は警視庁に、
歩一の池田俊彦、林八郎少尉は首相官邸にいる 」
私は 林八郎が首相官邸 と聞いて強烈に衝撃を受けた。
脳天に一大鉄槌を加えられたほどのショックであった。
あの林がこの蹶起に参加しようとはまったく信じられない。そんなはずはない。
しかし、現に彼は首相官邸にいる。
いったい、これはどうしたことか。
彼と私は幼年学校以来の心の友であり、陸士生徒時代から昭和維新の達成を祈願しながら、
国家の革新運動にテロ行動は絶対とらないという信念のもとに、
同期生および後輩の同志を糾合してきた。
その中心的指導者が彼であったのである。
その林が今この挙に参加しているのである。
まず林に会わねばならぬ。
私は無量の感慨をこめて安藤大尉に別れを告げ、再び馬上の人となって首相官邸に向かった。
国会議事堂へ上る坂の中腹くらいの所であったか、
前方から疾走してきたトラックが、私の直前五メートルほどで急停車した。
「 小林少尉 !  どこへ行く !! 」
見ると、トラックの荷台には、着剣した兵一個分隊ほどが乗っており、
運転台の屋根には軽機関銃が据えられていた。
据銃したままの姿勢で叫んだのは、歩一の栗原中尉であった。
彼は、林と同じ機関銃隊付であって、私と林との関係は十分に承知している。
「 林八郎に会いに首相官邸へ行くところであります 」
「 ならぬ、ここは絶対通さないぞ 」
「 栗原さん、あなたは私と林の関係はよく知っているではありませんか。
その私が林に会うのが何故いけないんですか。黙って通しなさいよ 」
「 ならぬ。絶対ならぬ。
ただし、お前が今すぐ、ここでわれわれのこの蹶起部隊に参加するというなら通してやる 」
「・・・・・・・」
「 無理に押して通るなら、本当に討つぞ ! 」
栗原中尉は軽機の引き金に指をかけ、銃口を私の胸板にしかと向けた。
その目は真っ赤に血走っており、興奮の極にあるようだ。
さきほどの安藤大尉とはまさに対照的である。
彼は元来、極めて気性の激しい九州男児であり、
二・二六の人たちの中でも一番の急進論者であった。
私は怖くなった。本当に撃たれそうな恐怖に襲われた。
さりとて私は、彼らの仲間に参加する意志はまったくない。
私は無言のまま馬首をめぐらした。
退却して逃げるようで、一言でもしゃべるのも癪で、栗原中尉を睨み返しただけであった。
しかし、しばらく歩いてから振り返って、
トラックが反転して引き揚げて行くのを見て、内心ホッとしたのであった。

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・・・挿入・・・・

栗原中尉は九時゛半頃、陸相官邸から帰ってきて、今から朝日新聞社を襲撃すると言った。
林少尉を首相官邸の守備に残して、中橋中尉、中島少尉と私が行くことに決まった。
田中中尉の部隊のトラック二台に機関銃一個分隊と兵約三十名を乗せて出発した。
官邸を出ると向うから馬に乗った将校がやってくるのが見えた。
近づくと近衛歩兵第一聯隊の小林少尉である。
小林は栗原中尉に向って、
「 林少尉に会いに来ました 」
と 言って官邸の方へ通ろうとしたが、栗原中尉に制止された。
「 我々と一緒にやるなら通ってもいい。さもなければ駄目だ。帰り給え 」
小林は執拗に頼んで前進の姿勢を示した。
「 一歩でも前進したら撃つぞ 」
栗原中尉は断乎として拒絶し、拳銃を構えたので、
小林少尉も止むなく馬首を廻らせて帰って行った。
小林少尉は、我々陸士四十七期生のトップで、林とは幼年学校以来の親友であり、
私とも府中六中の同期で親しい間であったので、
私は事の成り行きを困ったことになったと思いながら見守っていたが、
小林は栗原中尉との問答に気をとられていて、私の存在には気がつかなかった。
・・・生きている二・二六 池田俊彦 著より
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安藤大尉から遂一詳細に状況を聞いたので、もういちいち偵察して回る必要はなくなった。
林には会えなかったが、せめて歩三の同期生には会って、
それから聯隊へ帰ろうと決心して警視庁へ向かった。
桜田門外には、日比谷と虎ノ門の二正面に向けて機関銃を配置し、
ここにはバリケードまで設けてある。
兵に聞くと、将校は屋上にいるというので、暗い階段を駆け昇って屋上に出た。

鈴木少尉    清原少尉           常盤少尉  

同期生は三名とも屋上にいた。
が、いまとなっては話すこともうつろである。
三名とも、初めから積極的に革新的に革新運動の仲間に入っていたわけではない。
将校団の動き、時の流れに押し流されたというべきものであろう。
とくに安藤大尉が動いたので、これについて参加したのであろうと私は想像した。
慰労の言葉が出るわけもなし、さりとて激励の辞も出なかったはずだ。
とりとめもない話をして、「まあ、成功を祈るよ」ぐらいのことは言ったと思う。
ただ、張りつめた興奮状態にあるだろうと予想していた私には、
意外にも放心状態にも近い、非常に平静なようすであったのに驚いたのであった。
警視庁には歩兵一個中隊を配備したというのに、
兵隊が見当たらないので聞いてみると、私を屋上の端へ導いて下を指した。
なるほど、警視庁の中庭にほぼ一中隊の兵力が整然と叉銃を組んで、
兵はアチコチに分散して静かにたむろしている。
高い屋上から見下ろした実に静かなその風景は、
どういうわけか、いまなお鮮明に私の瞼に残っている。

日比谷公園の前で、
十数人の市民がこわごわ警視庁の陣地を覗き込んでいるようすを眺めながら、
二重橋前を通り、竹橋を経て、私は聯隊本部へ帰った。
宮城前広場はまことに静かな雪景色であった。


小林友一 著 
同期の雪 雪の朝 から
 


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