ジャン・コクトーが1951年から没年まで書いた日記はコクトー自身によって
『定過去』と名づけられ、時には絵も入れて書かれた。(笠井裕之 訳)
1952年6月9日より抜粋
生涯をつうじて、死後もなお、わたしは曲解され、侮辱され、誹謗され、
泥の中を引きずりまわされることだろう。
おそらくわたしは、それと引きかえに、静けさと愛する者たち
〔エドゥアール・デルミットとフランシーヌ・ヴェスヴェレールのこと〕 の信頼とに
つつまれたこの幸福を手にしているのだ。
そのためにどんな高価な代償を払っても足りるということはない。
デルミットは1947年にコクトーと出会い、その後養子となった。
ヴェスヴェレールは、1949年にコクトーと出会う。
以後、彼女が所有する南仏の別荘とパリの邸宅はコクトーの自宅同然となった。
現代詩手帖「特集コクトーの世紀」より
写真はベニスでのコクトー、デルミット、ヴェスヴェレール夫人(1951年7月)