詩人・堀口大學の詩と彼が翻訳したフランス詩が収録された本で
画家・小林ドンゲの挿絵が11枚入った詩集。
堀口の翻訳で日本にフランス詩が広く知られることになった功績は多大で
『月下の一群』は多くの人々がフランス詩に親しむきっかけともなった。
10代の頃、まだ見ぬフランスの風景や季節を想像出来たのも
『月下の一群』からだった。
そして小林ドンゲが詩に添えた絵は退廃的幽玄を漂わせ
詩と共鳴し合い、言葉の影からその輪郭を引き出すかのようだ。
カバーの函と表紙の絵は同じでタイトルは「青い蝶」
小林ドンゲは美術大学を卒業後、駒井哲郎と関野準一郎の「銅版画研究所」で銅版画を学んだ。
そのアトリエには浜田陽三、浜口知明や加納光於、野中ユリも学んでいた。
三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)はインドに咲き
仏教の想像上の花とされるが、実際は無花果(いちじく)の類だという。
神秘的な花の名を持つドンゲの絵も神秘の心から妖艶な線が引かれているのだと思う。
堀口大學 「時間の川」 より
僕の心の飾り物
僕の命の削り屑
僕の手足に咲いた花
詩(うた)という名のナルシスが
姿うつして見とれてた
流れる鏡 川の水
かえらぬ時がなつかしい
僕もいつしか老いてきた
涙もろさの目がうるむ
昭和50年(1975) ほるぷ出版 発行
「私はジャン・コクトーです・・・」 ジャン・マレーがこう語りはじめて舞台は始まった。
コクトーの作品に多く出演し、また詩人・画家でもあるジャン・マレーが
コクトー自身になり、コクトーの生涯を演じた一人芝居である。
この本はその内容を網羅したいわば台本のようなもので
脚本はマレーとジャン=リュック・タルデューの二人が手がけた。
この舞台が上演されたのは1983年9月。
アトリエ座においての初演だった。
マレーはこの時70歳。
日本では1985年に草月ホールで上演。
詳細は不明だが、マレーは何カ国かを回ってこの一人芝居を演じた。
この時の模様はNHK教育テレビ(現在のEテレ)で放送された。
かすかな記憶では、黒い舞台に白髪のマレーも黒の服で
あの特徴あるしわがれ声が語ったフランス語が今も耳に残っている。
字幕もあったが内容は当時の私には難解であった。
録画しなかったことを今でも悔んでいる。
マレーがコクトー自身になった台詞から抜粋した言葉より
・学校時代のぼくの本当の思い出は、ノートが閉じられる ところではじまる。
・ぼくの顔が美しかったことは一度もない。若さが美しさのかわりを勤めてくれた。髪も歯も髭も、てんてんばらばらだった。神経や魂までそんなふうに植え込まれていたにちがいない。
・ぼくは、一連の逆説によってしか存在しない分身の、そのまた亡霊になってしまった。
・祈ろう、祈ろう、祈ろう、そして愛そう。あの荒れ狂う恐ろしい憎悪が、ぼくたちの身体のどんな繊維にも触れませんように。
コクトーを尊敬していたマレーが、自分が演じられるうちに
コクトーの肖像を皆の記憶に残そうと舞台化を考えたことが偲ばれる。
コクトーの作品と心情を深く理解していたマレーが語るコクトーは
生きたコクトーそのものであった。
この舞台はコクトーの没後20年の時であり
コクトーに何か贈り物をしたかったが、逆にコクトーから贈り物をもらったと
マレーは述べている。
コクトー自身になって芝居が出来たマレーの喜びを感じる一文である。
コクトー亡き後、マレーはコクトーの業績を絶えず称え
又最後までコクトーに対して謙虚であり続けた。
そしてこの演技によってマレーは「1983年度デュサーヌ杯」を受けた。
岩崎力 訳 1985年 (株)ニューアート西武発行