日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

宇野亞喜良展 「メルヘニズム」 六本木ヒルズ

2017-09-22 | 宇野亜喜良

明後日の24日まで開催中の宇野さんの「メルヘニズム」展を見てきた。
今回は4つの童話を中心に宇野さんの世界感がただよう原画が多く展示されていた。



どの絵もやはり幻想的で
色彩が美しく、コラージュの要素も素敵で1枚の絵から離れるのが惜しかった。
そして見果てぬ夢を見る思いがしたオブジェの素晴らしさ。
アートショップでは宇野さんのスカーフや書籍なども販売。
トランプは今回の絵画展の絵でデザインされた2パターンの発表。

ギャラリー入り口のディスプレーから。
 


閉店した馬車道の喫茶店「ウィーン」 横浜市中区

2017-09-19 | 近代建築

クラシカルな建物が目を引いた馬車道の喫茶店「ウィーン」。
初めて見た時は通り過ぎただけで次の機会に、と思っていたら
まもなく閉店してしまった。



今日も前を通ったがまだ建物はそのままで何か安心したような気がした。
1階の入り口ではどこかの商店だろうか、臨時売店が出ていた。

アーチの窓には天使のレリーフが。


ランプもそのまま残されて壁に影を落としていた。



馬車道の街灯。トップには小さな王冠も飾られている。


小茂田青樹 「夜露」

2017-09-16 | 絵画

漆黒の背景にアザミ、露に光る蜘蛛の巣、そして並ぶどくだみの花。
それぞれのモチーフが妖しげに組み合された作品「夜露」。



埼玉の川越に行った時にこの絵のポスターが目を引いた。
「小茂田青樹展」を開催していた島根県立美術館へ行き、
展示の最終日に見ることが出来た。

異空間のような絵「夜露」1931年(昭和6)は
6図からなる連作「虫魚画巻」の中に収められているが、
実際は右側にもうひとつ蜘蛛の巣がある横長の作品。

「四季草花図」夏季 1919年(大正8)

金銀砂子におおわれた萩と朝顔。萩は優雅に。朝顔は可憐に。六曲一双の屏風。

「松江風景」1920年(大正9)

松江に1年間住んだ青樹。川の広がりから見た静かな松江の風景。

「緑雨」1926年(大正15)

雨に濡れて水滴が落ちる芭蕉の葉。
あたりは靄のようにけぶり、蛙は雨に喜び、柘榴の花が咲く初夏の絵。

「梅花朧月」1932年(昭和7)

青樹の絶筆となった作品。
淡い朧月夜。黒い梅の枝はくっきりと伸び、
かすかに開いた白梅は発光するように浮かびあがっている。

「夜露」のうちわ

展覧会開催中に前売り券を購入しておくと入場の際にもらえたうちわ。
島根に行く前に近所のコンビニで前売り券を購入して楽しみにしていたグッズ。

島根県立美術館は宍道湖のほとりに建つ。
湖の向こうに沈む夕日を一望できる場所としても有名。
日没に合わせて閉館するという心にくい配慮もされている。



小茂田青樹(おもだせいじゅ)
大正から昭和に活躍した日本画家。
1891年(明治24)川越に生まれ、1908年(明治41)に画家を志して上京。
「安雅堂画塾」に入門。同日に速水御舟も入門している。
お互いに切磋琢磨しあった仲だったという2人は年齢も近く、
後の時代になってみれば、まるで運命のめぐり会いのようでもある。
青樹の澄んだこころが見つめた絵は
どこか儚く穏やかな面影を残していた。


舞劇「朱鷺」 上海歌舞団

2017-09-08 | アート・文化

   時はいにしえ。どこからか聞こえる音楽。
   白い羽根が落ちる。ひらひらと。



中国で歴史的傑作と称賛され、日本でも脚光を浴びた舞台「朱鷺」を観た。

絶滅の危機に追い込まれた朱鷺と人間のこころが
時空を超えて結ばれる悲哀と抒情性あふれる舞台で
主演2人の表現力と技術もさることながら、一糸乱れぬ群舞は圧倒的な美しさだ。

湖で出会った村の青年ジュンと美しき朱鷺の精ジエのダンスは
通い合う気持ちが切なく、
春のように優しいその愛はずっと続くはずだった。。

しかし人間界に住めないジエは白い羽根をジュンのもとに置いて去っていく。
1幕ラスト、すべるように朱鷺が1羽ずつ旅立っていくシーンは絵画のように美しい。

2幕は近代。
地球は乱獲や土地開発で汚染され、朱鷺は少しずつ弱りつつあった。
瀕死のジエを助け、再会したジュンとジエ。
だが自然破壊で散っていった朱鷺は
博物館のガラスケースに収められる運命に。

月日は流れ
白髪のジュンが見たそのケースの中にいたのは朱鷺の精ジエだった。
白い羽根をずっと持っていたジュンがその羽根をジエの胸に当てると
ジエはケースから現れた。

時を超えて、みたび巡りあったジュンとジエ。
舞う。舞う。かつて人と朱鷺が共存していたあの頃のように。
白い羽根は
朱鷺の存続が後世も続くようにとの願いとともに現代の若者の手に渡された。

哀調を帯びた楽曲に乗せて舞う幽玄の世界。
朱鷺の動きをダンスに昇華させ、
鍛え抜かれた技術によって優美な舞台を観ることが出来た。

興雲閣 松江市殿町

2017-09-07 | 近代建築

松江のシンボルでもある松江城内の一角に建つ洋風建築「興雲閣」は
建物が洋風、屋根が瓦葺きの疑似洋風建築で1903年(明治36)に完成した。



淡いグリーンがさわやかなこの建物は
「松江市工芸陳列所」として建設され、また明治天皇の行在所の目的として建てられたので
装飾が多く用いられ華やかな仕上げになっている。

しかし日露戦争により戦時色が濃くなったため明治天皇の巡行は実現せず
のち明治40年、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓のため改装し
嘉仁親王を迎えて迎賓館としての役目を果たした。

2階へと続く階段。


廊下(1階)


貴顕室(きけいしつ)(2階)

皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が行啓の際に使用された部屋。

大広間(2階)

150人の収容が可能という広さ。コンサートなどにも使用される。

軒の周囲を飾る可愛いデザイン。


玄関の扉には松江市の徽章の文様。
円の輪郭は亀田山を、中は松葉が図案化されている。


1階には喫茶室が。


松江市工芸陳列所から興雲閣の名に改められたのは1909年(明治42)で
旧松江藩主・松平直亮氏により命名された。
現在は松江郷土館として一般公開されている。

1969年(昭和44)に島根県指定有形文化財に
2011年(平成23)に松江市歴史的風致形成建造物に指定された。

出雲大社へ 出雲市大社町

2017-09-05 | 神社仏閣

縁結びの神様、そして「因幡の白うさぎ」を助けたことでも有名な
「大国主神(オオクニヌシノカミ)」が祀られている出雲大社へ行った。
大国主神は「大黒様」としても有名だ。
日本書記では「大己貴神(オオナムチノカミ)」と呼ばれる。


勢溜の鳥居

勢溜と書いて「せいだまり」と読む。
かつてこのあたりに芝居小屋があり、多くの人々が勢いよく集まって溜まっていたのが名前の由来とか。
この鳥居から参道へ入って行った。

鳥居をぐれば神の聖域。
祓社(はらえのやしろ)をお参りして身を清め、日本の名松100選に指定されている「松の馬場」を歩く。

御慈愛の御神像

うさぎに手を差しのべている大国主神の像。
参道を行くと左側に立っている。

手水舎で手と口を清め「銅鳥居」に入る。この鳥居を通ってお社へ。

拝殿

鳥居を過ぎると最初にあるのが拝殿。
平成20年から平成25年までの本殿の改修工事の時は
ここに大国主神が遷座されたので仮本殿とされていた。

八足門(やつあしもん)

八足門は大国主神が住まいとしている社。
この奥に御本殿があるので参拝客はここで御神体にお参りをするが
大国主神は西向きに座しているので横顔を拝むことになる。

宇豆柱(うづばしら)
八足門の前にある大きな円の中に3つの円。
これは出雲大社境内から発掘された巨大柱のことで
かつて3本の杉の木をまとめて1本の柱として使われていたことを示している。

東南付近から

千木が天にそびえる屋根が並ぶ。

一番高い屋根が「御本殿」
大国主神が祀られている日本最古の神社建築様式で、
高さ24メートル。昭和27年(1952)国宝に指定されている。

低い屋根が「御向社(みむかいのやしろ)」
大国主神の妻・須勢理比売命(スセリヒメノミコト)が祀られている社。
大国主神の父であるスサノオに結婚を反対されるが、内助の功により大国主神を助けた。

右側が「天前社(あまさきのやしろ)」
大国主神が兄神から試練を与えられ火傷を負った際に看護をした𧏛貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムカイヒメ)の
2神が祀られている。

垣に添って御本殿の後ろ側を通り、西側に行く。

大国主神の正面に当たるのがここ西方向なので重要な場所。
再度の拝礼を示す説明板が立てられていた。

大国主神が向いている1キロ先には稲佐の浜がある。

神楽殿
 
 
日本一の大きさと重さを誇る注連縄が有名な神楽殿。
長さ約13メートル、重さ約5トンという巨大なもの。

ムスビの御神像
波の上の金珠は「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」で
若き大国主神が修行していた時に
日本海の波に金珠が現れ、この魂から神としての力を得られたという。


古代出雲にいた神々が作った日本国。
短い時間の参拝だったが、国造りの壮大なドラマに興味は尽きず、
はるか神代の昔を偲ぶ時間だった。

大社駅 出雲市大社町

2017-09-03 | 近代建築

かつては出雲大社への玄関口として繁栄した面影を残す「旧大社駅」。
その純日本風のたたずまいは端正な美しさと格式を保って今も存在する。



大社駅は明治45年に開業して以来、輝かしい歴史を刻みながらも
1990年(平成2)に、大社線の廃止により発着駅としての役目を終えた。
2004年(平成16)国の重要文化財に指定、
2009年(平成21)には近代化産業遺産に指定された。

ここには東京、大阪、名古屋から直通電車が入り、
お召し列車も入線したという誇るべき歴史を持っている。

中央口の両サイドにはベンチが。

ガラス窓はきれいに磨かれここにもいくつもの物語があったことを偲ばせる。

中に入ると思わず息をのむ光景が目に入った。
広い空間にたたずむ骨董美術のような出札口。


5カ所の出札口が、当時いかに人の往来で賑わっていたかを語っている。
神秘的でさえある出札口は装飾も風格があり感動的な美しさ。



灯籠型のシャンデリアの下、
広いスペースにはベンチがあったのだろう。
昭和初期までは3等車の待合室だったという。
そして右側には1・2等車の待合室があり
現在は鉄道関係の資料室になっているがこじんまりとした部屋だった。

そして左側には駅長室と事務室が。
貴賓室もあったという。
いにしえの映画のワンシーンを見るような錯覚を覚えた。

プラットホームに出てみた。
列車が止まり、乗る人降りる人が歩いた長いホーム。


古びた小さな窓さえ凝っている精算所。



出雲大社へ通じる駅として多い時は1日に4000人の利用客があったという改札口も
変わらずに保存されている。



比類なき建築美。
当然そこにはいくつものドラマが生れては思い出が残される。
時の流れによってそれが記憶に封じ込められたとしても
その思い出の美しさに変わりはない。
私もこの駅に降り立ってみたかった。

可愛らしい 出雲大社前駅

2017-09-01 | 近代建築

緑の瓦の丸い屋根が可愛らしく
出雲大社(いづもおおやしろ)に1番近い駅が「出雲大社前駅」。



この瀟洒なたたずまいの出雲大社前駅は
1930年(昭和5)に大社神門駅として創業。
40年後の1970年(昭和45)に出雲大社前駅に変更された。
そして1996年(平成8)には登録有形文化財建造物に指定されている

駅はこじんまりとした左右対称の造りで
構内は天井も高く、ステンドグラスが嵌められている。



当時出札口だった半円形のスペースには出雲の案内などが貼られていた。



小さな窓がノスタルジックな出札口。


出雲大社までは駅前の「神門通り」を歩いて7~8分。


寝台特急 サンライズ出雲

2017-09-01 | 乗り物

出雲大社と島根県立美術館への旅で初めて乗った寝台列車「サンライズ出雲」。

前から憧れだった寝台列車。東京駅を22:00に出発。

友人と一緒なので行きはB寝台2人用 サンライズツイン(1階)


2台並んだベッドの中央足元に扉があり
枕元には照明スイッチ、ラジオ、目覚ましなどの設備が。
向かって右側が窓。

1階なので窓がホームの足元の位置になり、外からは部屋を見おろす具合になる。
扉の後ろには鏡が据え付けられていた。
ベッドの幅はシングルより広め。



ツインの部屋を出た所から通路を撮影。



翌朝09:58に出雲市駅に到着。



帰りは松江から乗った。19:27分出発。
B寝台1人用 シングル(2階)

2階なので窓がアーチ型に天井へ伸びて開放的。
1人用なのでツインよりも広く使え、
音も1階ほどダイレクトに伝わって来ないので快適だった。



洗面台は両サイドにあってカーテンも閉められるので
使用中に人に見られる心配はない。

他にサロンやシャワールームなどの写真を撮れなかったが
寝台列車の楽しみを1階と2階で、通常とは違う夜を過ごすことが出来た。