「あなたは私の運命よ。でも私はこの運命が気に入ったわ」 王妃
「僕たちは紋章の双頭の鷲となりましょう」 スタニスラス
この作品はジャン・マレーが舞台で上演するためにコクトーが書いた作品で、
どんな役をしたいかと尋ねたところ
マレーは「1幕は沈黙、2幕は饒舌、3幕目は階段落ち」と答え
この3つの条件によって作られた。
王妃は、夫であったフレデリック国王が暗殺されてから人前に顔を出さずにいた。
亡き夫の命日であるこの日、舞踏会を欠席し、王を偲んでいたが
窓から突然、無政府主義者の詩人スタニスラスが王妃の命を狙ってしのび込んできた
王妃を暗殺し、権力を握ろうとするフェーン伯爵が
王とそっくりのスタニスラスを利用して城に送り込んだのだった。
彼は秘密出版で王妃を攻撃した詩人であることを侍女から聞いた王妃は
彼を「死の天使」と呼び、スタニスラスの侵入を責めるが
亡夫に生き写しの彼を読書係として城に迎え入れた。
王妃の知らない闇から来たスタニスラス。
そして闇の中に生きていた王妃。
まったく違う立場でそれぞれ孤独だったふたりだが
王妃はひと目見た瞬間に彼に惹かれていた。
スタニスラスは、王妃の務めとして皇太后のいる宮殿へ赴いて民衆に顔を見せ、
王室の威厳を示すことを勧める。
ヴェールの下に自らを隠していた王妃はそれを受け入れた。
フェーン伯爵に抹殺同様にあつかわれた為、王妃が旅立てば自分の命も狙われる。
王妃がテーブルに置いた毒薬入りの指輪から毒を抜き取り口に入れた。
愛の言葉をかけるスタニスラスだったが、自分を置いて死んでいくスタニスラスに王妃は怒り
態度を一変させて冷淡なことばを浴びせ続ける。
怒りと悲しみにうちひしがれたスタニスラスは
剣を王妃の背中に突き刺した。
愛していると告げる。
王妃の冷淡な態度は、彼が自分を殺すように仕向けるためだった。
王妃もカーテンをつかんだまま倒れ込み息絶えた。
無政府精神の王妃と、宮廷精神の詩人スタニスラスの愛は
身分の差を越えながらも紋章の双頭の鷲となった。
映画は翌年1947~1948年にかけて撮影された。
舞台となった城はフランス共和国が管理するヴィジル城が使われた。
コクトーは1940年からこの作品を暖めていたが
1942年に王妃役をを演じたエドウィジュ・フィエールに台本を見せ、受諾を得た。
しかしジャン・マレーの兵役の復帰を待ち、
作品のタイトルがなかなか決まらない事情もあって
舞台初上演は1946年になった。
タイトルは映画の中の台詞からジャン・マレーの提案で名づけられたという。
兵隊役など端役で出演させるため、彼を故郷から呼んだばかりでもあった。
コクトーはバイエルンのルードヴィッヒⅡ世の謎にみちた最期と、
その従姉であるオーストリア皇妃エリザベートのイメージを重ね、
コクトーの詩的想像を加えて仕上げられた。
コクトーは王妃役のエドウィジュ・フィエールの演技力を絶賛し、
彼女なしにはこの作品は出来なかっただろうとまで言っている。
往年の大女優グレタ・ガルボもこの役を熱望したという。
舞台となった宮廷の部屋。
中央階段の左側にコクトーが立っているが小さくてよくわからない。
日本で上映された時のチラシ
「双頭の鷲」撮影の時のコクトー(1947年)