日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

葉風

2013-11-28 | 日常

Konoha 
落ち葉に風が触れ、乾いた音をたてて舞う。
秋はそろそろ終わる。
見上げた上に赤や黄の葉が鮮やかに彩る風景は
これから来る冬を思えば
その風景はまだ暖かい。

葉を揺するかすかな秋風を葉風(はかぜ)という。
その昔、四季は女神が司ると信じられていた。
春の佐保姫、そして秋は竜田姫。
もうすぐ冬の白姫がやってくるだろう。


ランボー 心の渇きと放浪と 

2013-11-26 | 

                            

食いたいものはあるにはあるが
土だの石が食いたいのだ。
毎朝、僕が食うものは
空気だ、岩だ、鉄、石炭だ。

踊れ、わが飢餓、、草食え、飢餓よ、
     音の牧場だ。
昼顔の
     陽気な毒でもなめろ。

砕いてもらって小石を食べろ
御堂の古い石材も
古い洪水(でみず)の玉石も
灰色の谷間にころがるパンまで食べろ!

            堀口大學 訳 (抜粋)


叩きつけるような言葉を連ねたランボーの詩。
青春期にある鬱屈した心はランボーの全身にめぐっていた。しかし又青春は揺れ動く。
ランボーは時に夢想にさそう詩もあるからだ。

この詩は「最後の塔の歌」にあるが、小林秀雄訳と趣が異なるが
堀口訳ではまるで自分を嘲笑しているようでもあり、
ある物へのやり場のない怒りのようでもある。
この詩に関しては堀口訳のほうがランボーらしさを感じた。
この後、ランボーは「太陽と番った海」に永遠を探し出す。
異質のものが一致した永遠を。


生誕140周年 泉鏡花展 神奈川近代文学館

2013-11-19 | 泉鏡花

Kyokaten
泉鏡花の生誕140年を記念して~ものがたりの水脈~をテーマとして開かれている鏡花展。
耽美で怪異的な夢幻作品を多く生んだ鏡花の生涯を
遺された原稿や手紙、愛用品などで追っている。

鏡花は明治6年(1873)11月4日、
石川県金沢市に彫金師の父・清次と能楽師の血をひく母・すずとの間に誕生。
本名 泉鏡太郎

明治15年(1882)、鏡花が9歳の時に母すずが他界し、
その死別は鏡花文学のテーマとして深く影響していくことになった。

そして母と同じ名前で芸妓であったすずと神楽坂で一緒に暮らしたが
尾崎紅葉に叱責され二人はいったんは離れたが、紅葉の死後、生涯を共にした。

写真は明治36年(1930)、30歳の鏡花

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尾崎紅葉(1867~1903)

鏡花は紅葉の作品に感銘し、文学への道を歩むきっかけともなった。
明治27年、父・清次も他界し、意気消沈の末に自殺まで考えた鏡花に
紅葉は激励の手紙を送っている。

「汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至宝なり」

金剛石とはダイヤモンドのこと。
鏡花にとって師と仰ぐ紅葉の言葉は苦悩から引き上げられ
胸に沁みた言葉だったに違いない。

写真は鏡花がかつて所蔵していた品で
紅葉亡き後、毎朝両親の仏壇を拝む前に手を合わせていたという。


鏡花の原稿
左は「龍潭譚」(りゅうたんたん) 幻想小説の始まりともなった作品(1896年)
右は「夜叉ヶ池」 鏡花作品の最初の戯曲(1913年)

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鏑木清方画 「高野聖」より 明治37年(1904年)
鏡花が描く女性は、成しえなかった思いに沈み
あるいは異界で魔を秘めながらも人間の真実を問いかけてくる。



鏡花は「この現世以外に一つの別世界といふようなものがある」と自ら言っている。
別世界とは単にまぼろしや虚妄ではなく
人間界の不条理を鮮やかに問いただす領域である。
鏡花はその異界を幻想的に描き出す。

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婦系図(前編) 1908年 春陽堂
装丁 鰭崎英朋 口絵 鏑木清方・英朋

館内には鏡花本も多く展示されていた。
当時の鏡花の本はいつ見てもその美しさにためいきが出る。




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鏡花の筆記用具


初期の頃、原稿の執筆は毛筆であったがペンも用いるようになった。
展示の原稿などもペン字が多かった。
革製のケースに「MARUZEN」の文字が見える。





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ポスターとチラシの絵は
金子國義氏の「國義ゑがく-私の鏡花世界」を用いている。
題字も金子さん。

文学館へ行ったのは11月4日。
鏡花の誕生日であった。鏡花は酉年であり
その向い干支が兎で鏡花は兎の品をコレクションしていた。

それにちなみ、4日に兎の品を身につけていくと記念品が提供された。
記念品はふたつのバッジ。
140年の文字がバッジに記されていた。


ヒバの実

2013-11-17 | Flower

Hibanomi

 

沢山の実がついたヒバの枝。
重くて器ごと倒れそうなので花器に剣山を入れた。

つやのある茶色のコニカルブラウンと赤のヤブデマリ
そしてやわらかい小さな葉はロータスブリムストン。
菊の葉のようなダスティーミラーを1枚添えて。

実を楽しむ秋。
昔、母と東北を旅した時に霧立ちこめる山に
赤く色づいたナナカマドの実が鮮やかだった風景が心の絵画になった。


紅葉した木イチゴの葉

2013-11-15 | Flower

Kiitigo フラワーショップにも紅葉の葉や枝が出回るようになった。
木イチゴの葉はオレンジのグラデーションで目を楽しませる。
そして黒っぽいドラセナの葉と黒い実のビバーナム。
秋の組み合わせは絵画を思い浮かべながら。

使用した花材
ダリア、クリスマスブッシュ、ドラセナコンパクトシルバー、ビバーナム、バーゼリア、タニワタリ、ユーカリ、ヒペリカム(紅葉)、木イチゴ


古典にしてモダン

2013-11-10 | こけし

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このこけしを前にすると弥勒菩薩のような表情にいつも見入ってしまう。
両脇に細く引かれた髪の毛の美しさと頭部にくるくると描いた飾りが優雅。
作者は弥治郎系の佐藤辰雄工人(幸太型) 6寸

胴体は、赤、紫、黄の縞模様を下半分だけに描いたのが斬新。
頭に小豆が入っているので振るとカシャカシャと良い音がする。
佐藤辰雄工人は2011年に逝去したと聞く。
新しいこけしをもう手にすることが出来ないのが残念である。


まだ咲いていたダチュラの花

2013-11-06 | Flower

Dacyura



世田谷区の2階建ての家を覆うように咲いていたダチュラ。
11月になっても数え切れないほどで圧巻でさえあった。

日本画家・田中一村が奄美で描いたダチュラの花を実際に毎年見られるのが楽しみだった。
今年は白いダチュラを見られなかったのであきらめていたが
この季節になっても香りを放ちながら次々と咲くダチュラの風景を見ることが出来た。








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田中一村
「ダチュラと赤翡翠(あかしょうびん)」 昭和42年(一部分)

一村のダチュラの絵は今さら取り上げるまでもなく有名だが
この絵を始めて見た時、下を向いて咲くダチュラの存在を知らず
奄美の南国的風景に思いを馳せた。
この時からダチュラは一村の花と胸に刻まれてしまった。


薔薇の回廊 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

2013-11-02 | book

表紙が黒のメッシュ地で、中のページがピンクの紙で仕上げられたマンディアルグの短編。
パリの地下鉄を舞台にエロティックでありながらスリリングな幻想を描いたこの作品は
谷崎潤一郎を記念して書かれた。

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薔薇色のワンピースを着た美少女フローラは切符一枚を手に
パリのメトロを巡ろうと思い立つ。
彼女にとってメトロは地上の雑踏とは違った気分を味わえる別の世界であった。

ホームへの人気のない動く歩道に乗ったフローラ。
ポスターの文字が目に入ったと思った時
彼女の運命は日本人によって時空を越えようとしていた。
序々にスピードを増していく歩道と
フローラへの予告のように文字を変えていくポスター。

フローラは自分が開放される心地良さを感じるようにそのスピードに身をまかせていた。




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挿画は山下陽子
5点のコラージュがピンクの紙に収められている。
迷宮へ入り込んでいくようである。
そして造本はアトリエ空中線のセンスで造られた。


2012年10月 エディション・イレーヌ社発行
翻訳 松本完治


チューベローズとシンフォリカルポス

2013-11-01 | Flower

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チューベローズの香りと
ネックレスのようなシンフォリカルポスの連なり








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左の写真のピンクのチューべローズは香りがあたりに満ちて部屋をめぐる。
白が原種だが薄いピンクはブローチのようだ。「月下香」「夜の恋人」などの別名がある。
香水の原料には欠かせず、南フランスのグラース近郊は8月から9月にかけて、この花の香りにむせかえるという。

そして右写真の濃いピンクのシンフォリカルポスは粒がひとかたまりで連なった枝物。
実の付きかたが紫式部の実と似ているが実は確かにシンフォリカルポス。
新品種は未知へのイメージに導いてくれる。


使用した花材
チューベローズ、シンフォリカルポス、鶏頭、カーネーション、木イチゴの葉、フロリバンダ、ミモザの茎