日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

赤い風鈴がいっぱいに

2016-07-18 | まち歩き

新宿の地下鉄丸の内線に通じる地下通路メトロプロムナードで見かけた風鈴。
昨日までの飾りだったが
化粧品メーカーが風鈴に8色の口紅の色を再現したのだとか。
夏らしいアイディアが素敵な飾り。


喫茶 「ソワレ」 京都市下京区

2016-07-16 | まち歩き



月の光の中にいるような青い空間のソワレ。
外観は青いテントが目印の瀟洒な建物で
童話に出てくる家のようだ。

店内に入ると青の照明に囲まれたインテリアに
幻想的な異世界に迷い込んだような心地がするソワレは、1948年(昭和23)に創業。
この雰囲気は当時から変わらないのだという。

そして東郷青児の絵画も壁に数多く飾られ、
グラスやコースターにも女性の顔が描かれている。


ランプと木彫りの装飾が訪れる人を迎える入り口。



青の照明が天井に広がって。



壁の飾り、区切りの場所にも木彫りのレリーフが使われ、
それが青い照明とともにインテリアの主役にもなっている。
見事というしかない美しさ。
 
 


この窓際でソワレの時間を過ごした。
鴨川近くにある小さなせせらぎと目に涼しい緑を見おろせる。



ソーダの中にきれいな色のゼリーがきらきらと。
宝石のようだと話題になっている「ゼリーポンチ」は冷たく淡い味。
透明感のあるすてきなメニュー。



ロマンチックな2階窓際にある葡萄のランプと
1階へ降りる階段の場所を灯す赤いランプ。
 


歌人である吉井勇さんがソワレに寄せた句が入り口の左側に。
「珈琲の香にむせひ(び)たるゆうへ(べ)より 
               夢みる人となりにけらしな」



入り口右側には白い鳥と花があしらってある可愛いウインドー。



東郷青児画伯のポストカードとソワレのショップカード。
ポストカードは店内で販売している。




今思い返しても
青と薄紫の中をさすらっているようなソワレの思い出。
アンティークではあるけれど、ソワレ独自の個性は「青」という色彩とともに輝く
現代のパラダイスのようだった。


喫茶 「築地」 京都市中京区

2016-07-16 | まち歩き




河原町からすぐの路地裏にある喫茶「築地(つきじ)」
この界隈のなかで、外国の街角に建つカフェのような外観が異彩を放っているが
見た瞬間に魅せられてしまう素敵さ。

小窓の下にはタイルが貼られ
「築地」と書かれた黒い看板にランプの灯りがほのかに広がる。



扉を開けると中にまた扉が。
ダイレクトに入れると思ったがわくわくする瞬間だ。



築地は、西洋文化を取り入れ近代化へ進もうとする1934年(昭和9)に
初代オーナーによって創業されたが
建物は大正時代のものだという。
店名は当時のオーナーが「築地小劇場」が好きだったことから名づけられた。

中世風の店内には飾り棚、絵皿や琥珀色に輝くランプ、時計、
絵画や鏡などが歴史を語るように。
 


2階にあがる階段もミステリアス。



漆黒の雰囲気のなか、
店内に流れるクラシック音楽に耳を傾け
今はすたれつつある「名曲喫茶」の名残りのような「築地」が
とても貴重な場であることを実感した。


喫茶 「フランソワ」 京都市下京区

2016-07-15 | まち歩き


窓が可愛いヨーロッパ調の外観を見ただけで入りたくなる喫茶店。
そしてイタリアバロック様式の店内は
いつの間にか前の時代にまぎれこんでしまったような錯覚に。

1934年(昭和9)初代立野正一氏が思想や芸術を自由に語れる場所として創立し、
店名は画家フランソワ・ミレーから名付けられたという。
当時は戦時色の強い時でもあり
それでも社会への思想があり、芸術を愛する者たちがここに集い、
文化的雰囲気に包まれていた頃の名残りは今も失せていない。


細工がしてある円柱や、出入り口のガラス扉、
アーチ型のステンドグラスがクラシカル。
  


赤い椅子と黒い木製の装飾が重厚で優雅。
 


ガラス張りの禁煙席。奥の左側にも座席がある。



注文したウィンナコーヒーと
ハムチーズトーストがフランソワのマーク入りのお皿に。
美味だった。



喧騒から離れ、時間を忘れてゆっくり出来る場所フランソワ。
店内の絵画を楽しみ
藤田嗣治をはじめ、文化人が多くここに去来したことが夢のような気がするほど
時の流れを感じたひとときだった。
2002年(平成14)、喫茶店として初めて建造物の有形文化財として登録された。


お盆なので蓮を

2016-07-14 | Flower

今はお盆の中日。
場所によっては8月だが、店先に蓮が出ていたのでアレンジしてみた。



泥中から清らかに咲き出す蓮の花は、古代インドで清らかさの象徴とされてきた。
極楽浄土の世界に咲く最高峰の花が蓮の花。
お盆に蓮が使われるのは
「蓮のはなびらに乗って先祖が帰ってくる」といわれ
お盆の習慣が仏教に由来することから。
夏になるとお寺などで蓮が開いているのをよく見かける。

使用した花材
蓮、紫陽花、ブラックベリー、ギボウシの葉、キイチゴ、ナルコユリ、マウンテンミント


平等院 宇治市宇治

2016-07-14 | 神社仏閣

平等院は、王朝文化が花開いた平安中期の1052年(永承7)に
藤原頼道によって、父道長の別荘を寺院に改め創建された。
阿弥陀如来を安置する中堂、そして左右の翼廊は
優美で、あたかも鳳凰が翼を広げているように見えることから
江戸時代初期に「鳳凰堂」と名づけられた。
1951年に国宝に指定、1994年に世界遺産に登録されている。

鳳凰堂と阿字池(国宝)

当時の貴族や人々が望んだ極楽への願いを現世に具現化した極楽浄土の世界。


北側の翼廊と反橋

浄土庭園と呼ばれる庭園は平安時代の代表的な様式だという。


阿弥陀如来坐像(国宝)

藤原時代の代表的な仏師・定朝(じょうちょう)によって創られた。
定朝の作品という確証あるものとされる。


雲中供養菩薩像(国宝)
  
52体の木彫りの菩薩像が鳳凰堂の内部にしつらえられている。
これらの作品も、定朝とその一門によって造られたという。
様々な楽器を奏でるもの、舞うもの、合掌するものなど、
心の平安を雲に乗せて彫られた極楽浄土の数々の光景は
見ているだけで心がおだやかになる見事なものだった。
造られた当時は彩色されていたという。


平等院に求めた古の浄土への願いは、いつの世も人々が求めてきた切実なもの。
そんな深い思いが込められた鳳凰堂だが
めぐるように歩いたここはとても明るく気持ちが解放されるようだった。


2泊3日の旅でお寺や神社をまわったコースは
春日大社→晴明神社→金閣寺→銀閣寺→平等院、と
まるで修学旅行のコースになってしまったが、
(確かにどこでも学生たちと一緒だった)
晴れた日の京都、雨の京都のお寺や神社はここ平等院で最後を締めくくった。


雨の銀閣寺 京都市左京区

2016-07-11 | 神社仏閣

京都は午後から雨に濡れた。
寂びたあの色彩風景は変わっていないだろうか、と
遠い昔に見た銀閣寺へと気持ちがはやる。

入り口へ導く黒い石畳の道。先に見えるのは総門。



観音殿(銀閣寺)国宝

この観音殿が通称銀閣寺と呼ばれるが
敷地内の本堂(方丈)、東求堂(義政の住居、国宝)などをを含めた全体が銀閣寺と呼ばれる。

銀閣寺は正式名称を「慈照寺」といい、
室町幕府第8代将軍足利義政によって創建された。
祖父・義満が建てた金閣寺を踏襲して造営されたが
義政が生きた時代は動乱の世であり
11年にも及ぶ「応仁の乱」のさなかで、風流人でもあった義政は
ここに理想郷とする観音殿の完成を待っていたが
その完成を見ずに他界した。

侘び寂び(わびさび)の建築物ともいえる観音殿は
2層造りで、1層目は「心空殿」といわれる住宅様式、
2層目が「潮音閣」といわれる禅宗様様式の仏堂になっている。

観音殿の中は
「心空殿」に義政が座禅をするための部屋で「千体地蔵菩薩像」、
「潮音閣」には、黒い漆塗りの天井の下、
古木に座るまばゆいばかりの「観音菩薩像」が安置されている。

向月台と銀紗灘(ぎんしゃだん)

台形の向月台は高さ180㎝位。
銀紗灘の波紋は、中国の西湖(せいこ)を模していて
波紋に月の光が射すと本堂に反射するように作られたのだという。
東山から昇る月の光に照らされた白砂は
ほの白く、さぞ幻想的な風景なのだろう。


正面から見た銀閣寺

均整のとれた3つの花頭窓(かとうまど)


庭園内にある錦鏡池にかかる橋

庭園は池泉回遊式庭園と呼ばれる庭園様式で、西芳寺に学んで造られた。
銀閣寺には8つの橋があるという。
水に浮かび、そして水をめぐるように点在する石の美しさ。


庭の斜面を上がった所から見た銀閣寺の全体

右側の手前が東求堂、その奥の大きな屋根が本堂。


帰り道に木々の間から見えた花頭窓




足利義政の夢のかたみともいえる銀閣寺。
はじめて見た時に静かにたたずむこの銀閣寺に魅せられた。
その日は晴天の日だったが
雨の日の銀閣寺を見られたことは何よりの観光となった。
もっとずっと見ていたかった銀閣寺。


金閣寺へ 京都市北区

2016-07-08 | 神社仏閣

いうまでもなく日本に冠たる金閣寺。
やはりここは人でいっぱいだった。
燦然と金に輝く雄姿に、久しぶりと思う人、やっとめぐりあえたと思う人、
又は美に魅入られて今日も訪れる人…。
様々な思いが交錯しているのに金閣はきらめきながら
池に自分の姿をただ映している。


舎利殿(金閣)と鏡湖池(きょうこち)
池は室町時代の代表的な池泉回遊式庭園。大小さまざまな島が浮かぶ。



圧倒的な美を誇る金閣寺は
正式名称を「鹿苑寺」といい、室町幕府3代将軍の足利義満によって
1397年(応永4)に創建された。
三島由紀夫の小説『金閣寺』のモデルにもなった65年以上前に起きた火災。
それは1950年(昭和25)7月の未明、若い僧侶の放火により火が上がり
あわれ金閣、国宝の像も含めすべてが焼き尽くされてしまった。
しかしその5年後、1955年(昭和30)に再建され修復を重ねて今日の姿になった。
1994年(平成6)、世界遺産に登録されている。

金閣の建築様式は3層になっており
1層が寝殿造り、2層目が武家造り、3層目が禅宗仏殿造りで
各層を違えた異色の造り。



小さく出ているのは「漱清(そうせい)」と呼ばれる。
控えめながら金閣に変化を与える存在。



手入れが行き届いた美しい池は
舎利殿とともに端正にして風雅。



銀河泉
義満がお茶の水を汲むのに使ったとされる。



陸舟の松(りくしゅうのまつ)
義満は盆栽を好んでいた。地面に広がる舟形の松は樹齢600年。
後ろの高さのある松は、義満亡きあとに植えられた五葉松で帆のように作られという。



舎利殿と鏡湖池で極楽浄土を表しているといわれる金閣寺。
その輝きは失せることなく
季節によって変幻自在の姿をこれからも見せていく。


晴明神社の「七夕まもり」と「桔梗守」 京都市上京区

2016-07-07 | 神社仏閣

今日は七夕の日。
先日行った京都の晴明神社で可愛い七夕守があったので購入した。
天の川のまわりに神社の社紋である五芒星(ごぼうせい)が描かれている。
五芒星は、陰陽道で魔除けの呪符として用いられた。



晴明神社は、平安時代に天空の星の動きで吉兆を言い当てて活躍した
陰陽師「阿倍晴明」を祀った神社で
彼の屋敷跡に1007年(寛弘4)に創建された。

そして桔梗守は、晴明が考案した「晴明桔梗」にちなみ
境内に桔梗が咲いている間に時期限定で手に出来るお守り。



境内に咲く桔梗は澄んだ青。約2000株植えられているという。
  


一の鳥居
社紋である五芒星が掲げられている。



安倍晴明公の像
天を仰ぎ、観測をしている晴明の姿。



晴明井
晴明が念力によって湧き出たという水。
水の出口はその年の恵方により立春の頃に方向を変える。



晴明神社はさほど広くないが
御神木、そして陰陽道で魔除けや厄除けの果物とされる桃が置かれてるうえに
いたるところに社紋があり
厄が落ちて清められるような思いがした。


奈良ホテル 奈良市高畑町

2016-07-06 | 近代建築

奈良ホテルは明治建築の粋を集めたような夢のホテル。
奈良公園の中に100年の時を超えて
桃山御殿風のその景観は今も変わらずにたたずんでいる。

 

1902年(明治42)関西の迎賓館として
東京駅などを設計した辰野金吾によって古都奈良にふさわしく
随所に桃山風の意匠を取り入れ、檜造りの格調高いホテルが誕生した。


2階へと続く広く大きな階段
赤い絨毯が敷かれ、御殿の中を登って行くよう。



1階ロビーから吹き抜けになっている2階は
欄干に囲まれた優雅な場所。多くの絵画が架けられていた。



春日大社の灯籠をイメージしたというシャンデリア。
真鍮に赤い紐や房が組み合わされ、古典とモダンがマッチして。



1階ロビーの桜の間
奥に見える柱時計は「平成の大時計」で15分毎にメロディが流れる。
皇后陛下はホテルから帰る際、このメロディをお聞きに再度訪れたという。



1階ダイニングルーム「三笠」
朝食の時に窓際の席から内部を撮ったので、小さくなってしまい残念。
高い天井とやわらかな照明が静かな雰囲気。



フロントに置かれたポスト



1階カフェルーム入り口のすり絵ガラスにも奈良の意匠が。



宿泊した部屋のランプ
天井までの高さは5m。窓の外はあふれるような緑がいっぱいに広がっていた。



部屋に置かれている繊細な模様のスチームヒーター
大正3年から使われていたとのこと。



クローゼット脇に設置されていた暖炉(現在は使用していない)
改築の際、煙突は撤去したが暖炉は当時のまま残したのだという。


いつかは行ってみたいと思っていた奈良ホテルの本館で
静かでクラシックな時間を過ごすことが出来た。
日本の皇族をはじめ、ここを訪れた世界の著名人は数知れず。
どんな時にもすべての人々に篤いもてなしを
永い歴史とともにくりかえしてきたからこそ夢をみられるホテルなのだと
今もその名残りを惜しむ思いでいる。


JR奈良駅の旧駅舎

2016-07-05 | 近代建築

古都奈良にとけ込むように威風堂々とした旧奈良駅舎は
1934年(昭和9)に2代目の奈良駅として生れた寺院風の駅舎で、
宇治の平等院などをモデルに設計されたという。



設計は柴田四郎と増田誠一氏で、増田氏は法隆寺の宮大工に教えを請い、
奈良にふさわしい駅を作るため寺院建築の研究も重ねた。
左右対称の駅舎にくっきりと据えられた相輪がさらに古都のイメージを深め、
全体を引締めている。

中に入ると赤い大きな四柱がどっしりと。
寺院の入り口のようでもあり、四方から人々を囲むような温かさも感じる四柱である。
見上げると天井は複雑な組み合わせで
木の重量感と漆喰の繊細な模様が和洋建築の調和を見せている。


 

現在は奈良を案内する総合観光案内所になっている旧駅舎だが
カフェもあり、外国人も多く見かけた。


春日大社の 「夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)」

2016-07-05 | 神社仏閣

朱色の社殿が緑に映え、いたるところに下げられている灯籠が
多くの祈りとともにいにしえからの物語のように歴史を語る奈良の春日大社。

6月30日に夏越大祓があったので茅の輪くぐりを体験した。
緑に包まれる中、歩いていくと茅の輪がしつらえてあった。



大祓式は年に2回、6月30日と12月31日に行われる神事で
6月の祓いを夏越大祓という。
半年の区切りとなるこの日に罪や穢れを茅の輪をくぐることによってはらう行事。

15時から神職さんが茅の輪をくぐる儀式が始まったが間に合わず、、、。
式を終えた神職さんたちをお見送りした。



春日大社の中門

昨年は式年造替でこの中門あたりが工事中だったが、鮮やかな朱色に塗り清められていた。
神様はけがれを嫌うため、20年ごとに式年造替が行われる。
四基の灯籠は大宮型灯籠と呼ばれている。


藤原氏の氏神が祀られている春日大社は
およそ1250年前、平城京の守護と民の繁栄を願って建てられ、
1998年(平成10)にはユネスコの世界遺産に登録された。
明治初期までは春日神社の名称だったが
全国に1000社ある春日神社の総本社であり、他社と区別するため「春日大社」に改称。


回廊

こころを無にしてゆっくりと歩いたみた。
平安時代の中にタイムスリップするような感覚。




再現されている藤波之屋の万灯籠

境内の藤波之屋は、江戸時代まで神職さんたちの詰所だった場所。
ここにいくつも灯された万灯籠が。


苔むした石籠が両側に並ぶ参道を神様に近づいて行くように歩くと
神聖な空気が緑豊かな木々から流れてきた春日大社。
無事でいることの感謝と何事もない平和を祈ってきた。