坂東玉三郎の美女、市川海老蔵の公子による「海神別荘」
天野喜孝の美術で海底の宮殿・琅�釦殿(ろうかんでん)は珊瑚の宮殿である。
多くの財宝と引きかえに父は娘の美女を波に沈めた。
海底の魔界に輿入れした美女は、黒騎士団に護られて水中を進んでゆく。
<私の身体はさかさまに落ちて落ちて沈んでいるのでしょうか>
白いコスチューム姿の玉三郎は水中でまばゆいばかりに美しい。
水が揺らぐハープの音色、揺れる光。
すべてが水の中でゆらめいている幻想に誘われる忘れがたい場面である。
宮殿に着いた美女は公子が支配する魔界に慣れることが出来ず人間の未練を残している。
自分が無事であることを故郷に知らせたいと公子に願い出るが公子はそれを認めない。
泉鏡花は、ここで公子の台詞を借りて「己の存在の意味」を持たせている。
自分が在る、それが存在する意義であると。
蛇身となった美女は故郷に落 胆して海底に戻るが、悲しみの極地の果て、
公子の高潔な精神に自分が殺められる幸福にたどりつく。
この作品は鏡花の美しい言葉が随所にちりばめられていながら
清冽な魔界と邪悪な人間界の対峙がくっきりと描かれている。
公子の純粋さ、高潔さを美女が理解したことによって二人は心が一つになり結ばれる。
剣を手に玉三郎と海老蔵が向かい合う姿は気品に満ち、
別世界に存在する清らなる鏡花のふたりである。
海老蔵は姿が美しい。しかし好青年ふうな言い方が一本調子に聞こえてしまう海神であった。
水の揺らぎに響くことを思えば納得できる表現ともいえるかも知れないが。
玉三郎は自分の存在の不安におののくような心の内部を繊細に演じる。
幻想世界に生ける財産ともいえる存在であり、完成された演技を水の魔界で見ることが出来た。