日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

人生の踊 九鬼周造

2011-05-31 | 

                     

運命よ

私はお前と踊るのだ。

ひつしりと抱いたまま。

よそ目にはみつともないつて?

そんな事はどうでもいい。

運命よ

運命よ

お前と踊るのだ。

私はうれしい、

私は悲しい。

おお、美しい音樂。

空のをちから響いて來る

天球の旋律だ。

                      九鬼周造 「破片」より


3月11日以来、日本の状況は変わったけれど人は何も変わらないように見える。
見えるだけなのだろうか。
そして自分はといえば、音樂に翻弄されないように空を仰ぐ時、地を向く時の自分を一度は確かめている。


CD 「Jean Cocteau」

2011-05-30 | Jean Cocteau

Cd_cocteau 
この2枚組CDは、ジャン・コクトーを様々なかたちで表現するメモリアルのように作られていて内容に変化を持たせ、ジャズやシャンソンも織り込んで詩人・コクトーをたどっている。
2004年 フランスEMI Music

内容は、コクトーのベルギー・フランス王立アカデミーの入会演説、彼の詩集『オペラ』から抜粋した詩の朗読。
そしてジャン・マレー、マリアンヌ・オズワルド、スージー・ソリドール、ジャン・ドイヤンらがコクトーを語り、ベルト・ボヴィが演じるコクトーの戯曲「人間の声」が収録されている。


薔薇 シャルル・ドゴール

2011-05-28 | Flower

Sharururose 
柔らかい紫のしとねに眠るのは誰ですか

それは青の胎児・青空の色にひらく夢を見ながら

静かなほほえみを浮かべている


眠れ神秘な青の子供・充分な眠りの後に

もし誰かが優しく扉を叩き声をかけたら

そうその時にだけ開きなさい青の翼を              中井英夫「薔薇幻視」より



「シャルル・ドゴール」は1955年(昭和30年)フランスのメイアンによって発表された。
紫の濃淡があでやかな薔薇だが、その当時は「青いバラ」として登場した。

薔薇生育家が憧れた青という色彩の薔薇の実現は、失敗を繰り返し、
それでもなお青に近づこうと果てのない色素研究の積み重ねであった。
現在は某企業が青い薔薇をついに作りだしたが、薔薇が地面からどんな色でもたやすく咲くとしたら
それはとてもさびしいことである。

シャルル・ドゴールの誕生は、絶賛されながらも青になり得なかった宿命を持った薔薇だったが、
このかぐわしい香りと豊かさ、気品ある姿は一級品であり、見る者を夢想へと誘う。
幻を求めてやまなかった人々の憧れを秘めて。


天使 須永朝彦

2011-05-17 | book

Tensi
かつてコーベブックスという出版社があった。
蘭麝館や薔薇十字社ほど趣味的な造りではなかったが、愛書家が好みそうな本を出していた記憶がある。
本書は1976年(昭和50年)、普及版としてコーベブックスから1200部発行された。


ページを開ければ、白日夢か漆黒の迷宮をさまようような須永氏の退廃美がちりばられている。
漢字が持つ高雅さで倒錯を描いた11篇の物語。

月光の下で年に一度論文を書く美少年。官能的な金色の翼をもつ天使。
マタドールの死で明かされる真実の愛とその恋人の悲嘆など‥。
そしてルイ、ルイザとジャン、ジャンヌが妖しく交錯するリラの不思議な記憶。

Tensisign

ビアズレーを思わせる杉本典己のイラストとあいまって、読み終えたあとに一瞬軽い眩暈をおぼえ、そして現実に戻った。

天使はいつのまにか近くにいる。
人間はいつのまにか天使に盲いてしまう。



右は須永氏の美しい文字。


サラセニアの魔力

2011-05-13 | Flower

1sarasenia 

サラセニアを手にしたら赤い花びらが散ってしまった。
だが花びらを失ったサラセニアは、まるでひとでかパラソルのような奇怪な形を現した。
(写真の右中央)

すでに生ける気持ちはサラセニアに合わせて。
バラバラと落ちた雄しべからは粘着液が石につく。
かまわず花と葉を足していった。
メキシコに咲く食虫植物は時に人を狼狽させる。





このサラセニアの正式名称は
「サラセニア プルプレア ベノサ バーキー 」
右の写真が本来の花のすがた。生徒さんから借りて撮影した。
明るくなると「きれいな花」になってしまう気がするが、
大胆な形にやはり野性的な魔の魅力で迫ってくる。
熱くて暗い花、太古の化石のような。


他に使用した花◆クレマチス、クリスマスローズ、ギボウシ、利久草


誰かがサズを弾いていた

2011-05-09 | 宇野亜喜良

Unopostcard
NHKの「みんなのうた」で流れている「誰かがサズを弾いていた」
ヤドランカの歌に、宇野亜喜良の人形がシルクロードの夢物語を映像にしている。

砂漠、月、少年と花の少女。歌はロマンチックでありながら悠久の時の流れを感じる。

サズは、イラン・トルコ・バルカン半島諸国の民族楽器で、
ペルシャ語で「笹が奏でる風の音」という意味だという。
(NHKホームページより)

宇野亜喜良は憧れたイラストレーターだった。
寺山修二が編集、そしてイラスト・装丁が宇野亜喜良の新書館「フォア・レディスシリーズ」を
乙女の夢をかなえてくれるバイブルにしていた少女は多かったと思う。
宇野さんの変わらない夢を今もたどれるうれしさ。

造形、映像、音楽のすばらしさが永遠の祈りの子守唄になった。

写真は宇野亜喜良ポストカード


生誕100年 岡本太郎展

2011-05-07 | 絵画

Taroten
みなぎるようなパワーで己の芸術に生き、疾走した岡本太郎。どうしても見ておきたい展示会だった。

会場に入ってすぐに目に飛び込むオブジェ。洞窟を探検するようにワクワクする。

太郎のパワーが伝わってくるのだ。理屈などいらない楽しさがある。

そしてピカソとの「対決」

ピカソに衝撃を受けた太郎は、ピカソの真似ではない自分の絵を

生み出さなければならなかった。

「対決」はなおも続く。その対象は社会であり文化であり自分自身だった。

自分のその時の気持ちをキャンバスの絵に変える。


色彩は鮮やかでくっきりとした絵。
古代模様のようにも見え、前衛でもあり未来的にも見える太郎の絵は
解釈などしないでただ岡本太郎の息づかいを感じるだけ。

太郎が残した多くの言葉は、敏子さんがその時々で書きとめておいたもの。
太郎はいつもまっすぐだ。正々堂々としているから嘘がない。
生きることの困難をおそらく幼いときから味わった岡本太郎の言葉は多くの力を与えてくれる。

そして病を周囲にさとられないように「ワッ」と両手をあげておどけたゼスチャーをしたという太郎は、
病の時でも対決し続けた。やはり凡人ではない。

出口で1人1枚持って帰れる三角紙で私が引いたことば。
 「芸術というのは生きることそのものである。」


ビロードのようなダスティミラー

2011-05-05 | Flower



茎も白く葉が銀白色のダスティミラー。
葉はその形と陰影の美しさにあり、ビロードのような手触りは
グリーンの葉とは別のあたたかさを感じる。 

それなのにどこかクール。
色彩を忘れたように生けてみる。

花言葉◆薄れゆく愛、あなたを支える
他に使用した花◆シルバーレース、クレマチス、アンスリューム、ぜんまい


神谷バー 台東区浅草

2011-05-03 | まち歩き

明治からはじまった長い長い年月、神谷バーはどれほどの人々を惹きつけてきただろうか。
娯楽の中心が浅草にあった大正・昭和の初め頃。
一日の楽しみを神谷バーのデンキブランで喉をうるおして帰る‥。そんな懐かしいざわめきが聞こえる酒場は今もその面影をとどめている。

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文人にも愛され、小説にも登場する神谷バーは、明治13年(1880年)に
「みかはや銘酒店」として神谷傳兵衛が一杯売りを始めた。
そして日本で初めての洋酒バーとして明治45年(1912年)、「神谷バー」が誕生。
現在のこの建物は大正10年の落成。戦火にも耐え抜き90年の月日をみつめてきた。







神谷バーといえばデンキブラン。
デンキブランの名は、カクテルのベースになっているブランデーから。そしてアルコール度が45度と強く、
まだ電気がめずらしかった明治のころは目新しいものに「電気〇〇〇」と名づけていた。
そのイメージから「デンキブラン」が誕生した。現在は30度。オールドは40度。

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木村伊兵衛(1901年~1974年)が撮影した「神谷バー」の写真。撮影は昭和28年6月中旬。



パナマ帽にカフスの袖をはずして一人デンキワインを飲む粋な男。
この画像はポストカードからの転用だが、何かの本で最初にこの写真を見た時、
やわな男や女が入り込めない大人の世界を感じたものだった。
(今はレストランもあり、ファミリーや女性同士も楽しめる。)
時がいつであっても、デンキブランはひとつの情景を生む男と女にする魔法の味なのかも知れない。