明治からはじまった長い長い年月、神谷バーはどれほどの人々を惹きつけてきただろうか。
娯楽の中心が浅草にあった大正・昭和の初め頃。
一日の楽しみを神谷バーのデンキブランで喉をうるおして帰る‥。そんな懐かしいざわめきが聞こえる酒場は今もその面影をとどめている。
文人にも愛され、小説にも登場する神谷バーは、明治13年(1880年)に
「みかはや銘酒店」として神谷傳兵衛が一杯売りを始めた。
そして日本で初めての洋酒バーとして明治45年(1912年)、「神谷バー」が誕生。
現在のこの建物は大正10年の落成。戦火にも耐え抜き90年の月日をみつめてきた。
神谷バーといえばデンキブラン。
デンキブランの名は、カクテルのベースになっているブランデーから。そしてアルコール度が45度と強く、
まだ電気がめずらしかった明治のころは目新しいものに「電気〇〇〇」と名づけていた。
そのイメージから「デンキブラン」が誕生した。現在は30度。オールドは40度。
木村伊兵衛(1901年~1974年)が撮影した「神谷バー」の写真。撮影は昭和28年6月中旬。
パナマ帽にカフスの袖をはずして一人デンキワインを飲む粋な男。
この画像はポストカードからの転用だが、何かの本で最初にこの写真を見た時、
やわな男や女が入り込めない大人の世界を感じたものだった。
(今はレストランもあり、ファミリーや女性同士も楽しめる。)
時がいつであっても、デンキブランはひとつの情景を生む男と女にする魔法の味なのかも知れない。