麻布十番祭りで配られた今年のうちわ。
宇野亜喜良さんデザインのこのうちわが欲しくて出かけたが
昨年より人が増えていたような…。
つらなる提灯、屋台の明るさ、人のざわめき…。
にぎやかなのだけれど夏の終わりが近づいているような熱くて静かな夏の祭り。
(右) 寺山修司の詩句が書かれた宇野さんのポスター
麻布十番から六本木ヒルズまで歩いていったら盆踊りが催されていた。
踊っている人も見ている人も多かった。
24日(土)の晩
六本木ヒルズでは草間彌生アートでいっぱい。
ヒルズの天井や地面が夏にふさわしく水玉が散っている。
「水玉ガーデン」の天井からブランコに乗って憩う人たちを見ている彌生さんの人形。
カフェ/スペースの壁面を飾る草間彌生デザインのパネル
(右) 店内も赤の水玉と1列に並んだ彌生さん
ジャン・コクトー製作の映画「オルフェの遺言」に出演したフランシーヌ・ヴェズベレールはコクトーの後援者であり、
この映画でもロケ地として彼女自身の別荘での撮影も提供した。
写真はそのシーンで、フランシーヌが演じた「時代を間違えて登場する貴婦人」
コクトーは衣裳のデザイナーであるヴァレンシアガにモネの何枚かの絵を参考にするよう指示を出した。
衣裳はピンクのひだ飾りの襟で薄紫の絹のドレス。
髪は黒のビロードのリボンをつけ「タンバリン」と名づけられた小さな帽子をつけている。
そして紫水晶の首飾り、フランシーヌの愛娘キャロルがプレゼントした支那風の日傘を用いてこの場面に臨んだ。
このシーンの撮影日はよく晴れており、コクトーと親交が深くこの映画の後半にも出演するパブロ・ピカソも立ち会っていた。
時間の合間にピカソはポケットから鉛筆を出し、フランシーヌのデッサンを始めた。彩色はむしった花の汁で埋めたという。
それを見たコクトーもつられてフランシーヌをデッサンした。
左がピカソ、右がコクトーの絵。
ピカソは思いついてデッサンをしたようだが、紙と鉛筆があれば近くにある花の色づけで仕上げたその時の短い時間が閉じ込められている絵である。
そしてコクトーの走るような細い線に淡い色彩。軽やかさと撮影日の明るさが感じられる。
1959年9月、この映画がクラインクインするまでには2年の奮闘があった。
特にプロデューサー探しと資金不足の解決だと思われるが
この時ジャン・コクトーは70歳になっていた。
相変わらず多忙であったコクトーだが、「最後の映画」と言明したこの作品は
9月7日から南仏のレ・ボード・プロヴァンスで撮影が始まった。
コクトー自身が詩人を演じ、後世への遺言を映像で作ったこの映画には
詩人の魂が時空と異境を自由に彷徨するその真実が隠されている。
カメラからアングルを確認するコクトー
15世紀風の衣装は現代に蘇るまでの時の流れを示すものでもあり
コクトーは完成に細心の注意を払っていたという。
フランソワ・トリュフォーと
若き監督トリュフォーは「大人はわかってくれない」で得た報奨金
をこの作品のために資金協力を申し出てくれた。
他にアラン・レネ監督やプロデューサー、
コクトーの後援者であるフフランシーヌ・ヴェズベレール夫人などの協力があった。
海中からハイビスカスの花を持って蘇るセジェスト
このシーンはサン・ジャン・カップ・フェラの灯台近くで
10月9月に撮影された。
この映画にはコクトーとエドゥアール・デルミ(セジェスト)の出演シーンがほとんどで
他の場面はわずかだと発表したにもかかわらず、
フランスの役者から出演依頼の手紙が山のように舞い込んだという。
時代を間違えて登場する貴婦人
フランシーヌ・ヴェズベレール婦人も映画に参加。
このシーンは彼女の別荘であるサント・ソスピール荘の庭で撮影された。
衣装はヴァレンシアガ。
女神ミネルヴァ
ミネルヴァは元のミス・フランスであるクローディーヌ・オージェが演じたが
詩人に槍を刺すシーンは困難な場面となった。
ゴムのスイムスーツは暑く、槍が思うように投げられず何十回と繰り返しやっとOKが出たという。
兜は七面鳥の羽根で飾った白鳥の形をしている。
放浪するオイディプス王
オイディプスを演じたジャン・マレーは舞台の空の日を縫って
飛行機で訪れ撮影に臨んだ。
コクトーはこのシーンで何かを小声でつぶやくようにと演技の指示を与えている。
この頃マレーはある悲しみを抱えていたため
オイディプスの悲劇が胸にせまる悲哀さをにじませている。
スフィンクスの模型
映画で使われた衣装やスフィンクスの模型などは
ヴァレンシアガのショーウィンドーを担当していたジャニーヌ・ジャネに任された。
ラストでスフィンクスが羽根を広げながら進むシーンは
人材不足のためE・デルミが演じた。
ジャン・コクトーと出演者たち
左からコクトー、ユル・ブリンナー、シャルル・アズナブール、フランシーヌ・ヴェズヴェレール