日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

槿(むくげ)

2014-07-31 | Flower

Mukuge














暑さを知らぬげに、しかし暑くてもなお一日を咲き切ろうと開いている槿。
朝開いて夕刻にはその姿を閉じてしまう。
別名「夕影草」と美しい呼び名がある。

「槿花(きんか)一日の栄え」「槿花一朝の夢」ということばは人の世の
はかなさ、つかの間の盛りなどをたとえたもの。
さりげなく咲きひっそりと散っていく…。
次から次へと蕾を開いていく、そんな強さがあるのに。


ジャン・コクトーとバレエ・リュス

2014-07-30 | Jean Cocteau

コクトーの処女詩集『アラジンのランプ』を発表した同じ年の1909年、
ロシア出身のセルゲイ・ディアギレフが主宰するバレエ・リュス「アルミードの館」を観たコクトーは
ニジンスキーの驚くべき跳躍と、刺激的な色彩、異国の情熱を響かせる音楽に心を揺さぶられ
劇場へ通いつめるほどバレエリュスにのめり込んでいった。

両親が正装をしてオペラ座に行っていた子供時代。
コクトーは母が持って帰ったプログラムを見ては舞台への憧れを抱いていた。
そんな彼がバレエリュスに魅せられたのは当然の成り行きだったといえる。

まもなく、多くの芸術家を支えパトロンでもあったミシア・セールのサロンで
ディアギレフと知り合うことになる。
かねてから若き才能を耳にしていたディアギレフはコクトーをバレエリュスの家族として迎え入れた。


バレエリュスでコクトーが最初に手掛けた作品「薔薇の精」を踊るニジンスキーと
カルサヴィーナのポスター(一対の作品) 1991年
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「青神」1912年
台本:ジャン・コクトー/フレデリコ・ド・マックス、衣装:レオン・バクスト

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「青神」はインドの僧侶と悪霊に襲われた娘が交錯する舞台で
この公演の後にディアギレフが「私を驚かせてみたまえ」と言った
有名な言葉はコンコルド広場で交わしたコクトーとの会話であった。
若いコクトーの未熟さにディアギレフがさらなる才能を期待して苦言を呈した言葉だ。
この体験によりコクトーは自分の軽薄さに決別し
死んで生き返る「脱皮」を強く感じた時だった。









「パラード」1917年
台本:ジャン・コクトー、衣装・美術:パブロ・ピカソ、音楽:エリック・サティ

「パラード」のためにピカソがデザインした緞帳(上)と舞台装置(下)
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7c_russes_2「パラード」は小屋で演ずる舞台を旅芸人が見世物をする物語で
ピカソはタビオニ洞窟と呼ばれる仕事場で作業を進めた。
ディアギレフはこの公演が物議をかもすことを予想し、
アポリネールに序文を依頼したという。


案の定、この舞台は初日から激しい怒号に包まれ、混乱と憤激が渦巻いた。
時は第一次世界大戦の時で
特に激戦といわれたヴェルダンの戦いの時であり、
パリの生活は厳しい時でもあった。

上演されるまでにコクトーの意向がことごとく退けられた舞台になったが、
1913年「春の祭典」の一大スキャンダルに劣らないこの騒ぎから
コクトーは自分の中に新しく目覚めたものを自覚し輝いていた。




「パラード」の振付をし、出演したレオニード・マシーン
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マシーンのダンスは目を見張るほど見事な登場だったという。
バレエ映画「赤い靴」に振付、出演した名ダンサー。







「青列車」1924年
台本:ジャン・コクトー、衣装:ココ・シャネル、振付:ニジンスカ

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コート・ダジュールの海水浴をテーマに、アクロバットの要素を取り入れた舞台。
ピカソは幕のデザインに二人の女性が海辺を走っていく巨大な絵を取り入れた。


コクトーと出演者たち






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ベネツィアのサン・ミケーレ島に眠るディアギレフの墓前に跪くコクトー


魅惑のコスチューム「バレエ・リュス展」 国立新美術館

2014-07-25 | アート・文化

今も伝説となって語り継がれるバレエ・リュス(ロシア・バレエ)は
ロシアの天才プロデューサーであるセルゲイ・ディアギレフによって1909年パリで立ち上げられた。
オーストラリア国立美術館所有の140点におよぶ今回の衣装展は
舞台衣装が各演目ごとに配置されているので、当時そのままの衣装を真近で見ることが出来る。

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ディアギレフのバレエは、アラビア、スペイン、インドや
ロシアの民族性を取り入れ、エキゾティシズムあふれる演目であった。
そこに美術、音楽、衣装など各分野に優れたアーティストを起用し
その情熱的で生命力に満ちたバレエはパリの人々を熱狂の渦に巻き込んだ。



そして舞踊の神ワツラフ・ニジンスキーの驚異的な跳躍、
さらには次々と起用したアーティストの総合芸術として
バレエ・リュスは革新的な存在となっていった。




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「アルミードの館」1909年
衣装デザイン アレクサンドラ・ブノワ


衣装に飾られたメタリックな模様やブレードは
ダンサーの動きによって光を放ち、
衣装の光と影でダンサー自身が浮かんだり沈んだり見えるドラマチックな衣装。






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「シェエラザード」1910年
衣装デザイン レオン・バクスト


バレエ・リュスの衣装デザインを一番多く手がけたレオン・バクスト。
この舞台でバクストは赤やオレンジ色などの東洋的イメージで鮮やかな色彩を用いた。
ダンサーたちが激しく踊る場面では
衣装の効果で色彩のスペクタルがつくりだされた。









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「牧神の午後」1921年
衣装デザイン レオン・バクスト


ドビュッシー作曲のギリシャを題材にした舞台で
ニジンスキーの露出した衣装と
ニンフのやわらかなプリーツとプリントが幻想の世界を作り出した。






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レオン・バクストの衣装を過ぎると、ナタリヤ・ゴンチャローワに変わり
さらにアンリ・マティスやジョルジョ・デ・キリコの
現代的アバンギャルドな衣装に変わっていく。

第一次世界大戦、ロシア革命という時代の波が大きくうねるその時にも
人々を独創的舞台で魅了した。


左は「舞踏会」1929年の舞台
衣装デザイン ジョルジョ・デ・キリコ





バレエ・リュスは1909年から1929年までの20年間の活動期間だったが
ピカソ、マティス、デ・キリコ、ジョルジュ・ブラック、マリー・ローランサン、アンドレ・マッソン、
ジャン・コクトー、ココ・シャネル、そして音楽のモーリス・ラヴェル、ボロディン、チャイコフスキー、
ストラヴィンスキー・・・と20世紀を彩るアーティストたちが関わった燦然と輝いた20年間であった。


衣装の他にデッサン画や当時の公演プログラムも展示されており
ディアギレフの審美眼によって
熱狂をもたらしたバレエリュスを知る資料として貴重なものといえる。
バレエ・リュス。
それはもう2度と現れることのない栄光と喝采のバレエ団として語り継がれ、
なお伝説となっていくのだろう。


スペードの女王 プーシキン

2014-07-15 | book

   

Pusikin















スペードの女王
冬のペテルブルグ。青年士官ゲルマンの野望は
トランプの数字に翻弄され、やがて自滅へと向かう謎の物語。

ゲルマンが憑りつかれたカードの数字「3」「7」「1」

それは、トランプの賭けに勝つ秘法を切望した彼によって息を引き取った伯爵夫人が
亡霊となって現れ、ゲルマンに告げた数字だった。

「3」と「7」は成功。しかし張ったはずの最後のカード「1」は消え
スペードの女王に変わっていた。
カードの女王は戦慄のほほえみをゲルマンに投げかけた。
人生のすべてを失ったゲルマンは精神病棟へと・・。

   ねがわくは神、われが心を狂せしめたもうことなかれ(プーシキン)


ベールキン物語
「スペードの女王」と一緒に収録された5篇の短編。
「その一発」は決闘を描いたものだが、士官は相手に傷を負わせず
心理的苦悩を与える。
士官に残された一発は良心を問う音となって壁に打ち込まれた。

行く手を阻む吹雪によって将来が変わった「吹雪」と
自分を隠しながらも状況の成り行きで思わぬ結末を迎える「贋百姓娘」の人生の皮肉。
そして親の悲哀がにじむ「駅長」、「葬儀屋」の軽妙なユーモラス。

ロシアの牧歌的情景、その裏側に澱むたそがれのようなほの暗さに
胸騒ぎを感じながら読み進めたのは久しぶりのような気がする。
「スペードの女王」はオペラ化されているが
チャイコフスキーの歌劇は1902年、
ウイーンにてグスタフ・マーラーの指揮によって上演されたという。

             岩波文庫 神西 清 訳


折り紙あそび

2014-07-07 | 日常

Tanabata 
七夕の笹が店頭に並んでいたので、今年は飾ってみようと購入した。
いつ買ったのか思い出せないほど昔の折り紙を出して、ネットで見よう見まねで色々作ってみる。

笹の先端には天の川を渡る時に照らすランタンを。
でも今日はあいにくの天気で天の川は見えず。

明日は沖縄に強力な台風が上陸とか。
何事もなければ良いけれど。